4-3 儀式
一方その頃ナツはと言うと、件のお社へ連れて来られていた。
もちろん睡眠薬を飲んで眠ったフリを続けているので、運ばれてきたという方が正しい。
(とは言え……これ、結構大変なんだよなぁ)
目を閉じたままナツは心の中でそう呟く。
何かある度に、うっかり瞼がぴくぴくと動きそうになってしまう。しかも自分は目を閉じているのだから、周りの人間がその事に対して、どう反応しているかが分からない。
まぁ今のところは、視線などは多少感じるが、つつかれたり叩かれたりしないので、眠ったフリはバレていないと思う。
バレませんようにと内心ひやひやしながら――実のところちょっとスリルも感じつつ、ナツは必死にこらえていた。
そんなナツだが、ここへ運ばれる前に服も着替えさせられている。儀式で着たアレだ。
(着ている服がどんなものだろうと、意味はないと思うけどねぇ)
生贄として捧げようとしているのならば、必要なのは
捧げられる側からすれば、服なんて食べられない皮と一緒である。
(まぁでも、皮も美味しく食べる料理方法ってのはあるけれど)
野菜ならば出汁にしたり、フリカケにしたり、その活用方法は様々だ。
とは言え自分の場合は野菜の皮と違う。食事という意味では食べられないので、別のお話になってしまう。
――なんて暇つぶしに考えてはいたが、別にナツだって全裸で放り込まれたいというわけで断じてない。
井戸に放り込まれる前に、服を剥かれて周囲の人間に丸見えになるなんて地獄だ。ナツにだってちゃんと羞恥心というものがある。
(……まぁ、ハルなら『はぁ、まぁ、別にいらないなら……』とか言いそうだけど)
ナツの双子の姉は、そういう事に対しては、わりとそんな風に答えるタイプである。
もう少し慎みを持って欲しいものである。
そんな事を考えている内に、ナツは井戸の前に拵えた祭壇の上に置かれた。
「……山神様、六年前の儀式で捧げられなかった片割れです。どうかどうか、お納めください」
少ししてツバキの声が聞こえた。彼女はそう言うと、今度は何かしらの祝詞を唱え始める。
聞きやすい声量と速度だ。長い祝詞を途中で言い淀む事もなく、一定の調子を保ちながら続けて行く。
何だかんだで、伊達に神職を名乗るだけの事はあるなとナツは思った。
――――しかし。
祝詞が二周目に入った辺りで、ツバキの声に若干、困惑の色が混じり始めた。焦り感情も感じられる。どうやら上手く行っていないようだ。
(祝詞を唱えたら生贄を井戸に放り込むと思っていたけど……これは、あれかな。井戸の
ナツ達が二人で来た時は、それこそ祝詞はなかったが、そんな感じだった。
お社で祈っている内に伸びて来た手に、井戸の中に引きずり込まれる……という奴だろう。
あの時は自然と出て来た様子だったが、本来はこの祝詞で引っ張り上げていたのではないかとナツは思う。
どうして出てこないのか。
それはハルが応急処置した結界と、ナツがあの手達に「待っていて」と頼んだからかもしれない。
待っていてくれる。期待していてくれる。ならば頑張れないはずがない。
(とりあえず、アキトさんが手助けしてくれるんだっけ)
ナツはまだアキトの事を完全に信用はしていないが、それでも百パーセント疑うつもりもない。
味方かもしれないと思える要因は幾つかあったからだ。
アキトが協力してくれるならありがたいし、そうでなかったとしても、様子を見てここから逃げるだけだ。
大人しく生贄になるつもりは毛頭にない。
アキトからは何をするつもりなのかは聞かなかったが、儀式の時にと言っていたし、事を起こすのならばそろそろだろう。
さて、何をしてくれるつもりなのか。そう思って様子を伺っていると、
―――ドォンッ!
突然、近くから爆発音が聞こえて来た。
音と爆風の雰囲気から、お社の方だろう。
ただし、音は大きいし風は強いが、痛みはない。音のわりには爆発自体は小規模のようだ。
そういう風にしたのだろうなとナツは目を閉じたまま思う。
「何事です!?」
けれども何の心構えもしてなかった者達に対しては効果は抜群だ。
ツバキの祝詞が止まった。
ナツは気付かれないように、薄目を開けてお社の方を盗み見た。するとそこからはもくもくと黒い煙が上がっている。
(あらまぁ。アキトさんってば、見かけによらず過激なんだな~)
なんて感想を心の中で呟いたが、ナツはこういうノリが好きな方である。
ちょっと楽しくなりながらナツはそのまま周囲の様子を確認した。
ツバキは近くにいるが、他の人間達はお社の方へ慌てて駆け寄っている。
――動くならば今だろう。
ナツはそう判断すると、勢いをつけて立ち上がり、その場から駆け出した。
「えっ」
ツバキの間の抜けた声が聞こえた。頭の中で状況が整理出来ていないらしい。
彼女は一瞬ポカンとした表情を浮かべていたが、直ぐにハッと我に返って目を剥く。
「あなた、いつから気が付いて……!」
手を伸ばすツバキの指先はナツには触れない。
ハハッ、と笑って、
「そりゃあもう、それなりに最初っから!」
ナツは律儀にそう返した。
ツバキの目がつり上がる。
「誰か、生贄を捕まえなさい! 生きてさえいれば、足を潰しても良いわ!」
「アッハ、乱暴~!」
本当に形振り構わないなぁとナツは走りながら思う。
逃げるとなると、足袋を履かされていてラッキーだった。
そんな事を思いながら、石段を目掛けて一直線にナツは走る。
――その時、向こう側から上がって来る影が見えた。
「ナツ!」
石段の下から顔を出したのはナツの双子の片割れだ。
「ハル!」
ナツはパッと笑顔になって、そのままの勢いでハルに飛びついた。
ハルは石段から落ちかけて少し慌てた様子だったが、直ぐに後ろにいたアキトに支えられて踏みとどまる。
双子はお互いの顔を見てから、無事を確認するように、ぎゅう、と抱きしめ合った。
「ま、間に合ったぁ……!」
アキトがそんな二人を見て、ハァ、と安堵したように息を吐いた。
ナツは彼を見上げて、ニッと笑いかける。
「ありがと、アキトさん! いや~、良い爆発だったよ~!」
「ふふ。お気に召したようで何よりです」
ナツがお礼を言うと、アキトは胸に手を当ててにこりと微笑んだ。
その顔を見てナツは、おや、と思った。
アキトの顔色が先ほど見た時よりも、ずっと良くなっていたからだ。彼の顔は、どこか憑き物が落ちたようにすっきりとしている。
この短い時間の間に、何か良い事や心境の変化でもあったのだろうか。
ふっとそう思ったので、ナツはハル聞く。
「何かあったの?」
「ああ、ええ、まぁ、その……えー、鬱憤晴らしと言うか……」
するとハルは微妙に目を泳がせながらそう答えてくれた。
ハルにしては珍しく言葉を濁している。
……これは聞かない方が良さそうである。好奇心はあるものの、猫を殺したいわけでもない。
「どういう事なの、これは」
そうしていると、ツバキの声が聞こえた。彼女を始めとした村の口無村の人間達が、バタバタと足音を立ててこちらへ近づいて来る。
ツバキ達はそれぞれ、なかなか怖い顔をしてこちらを睨んでいた。
特に、その怒りの感情が強く向けられているのはアキトだ。
「アキト、お前……! お前、自分が何をしているか分かっているの!?」
ツバキはその綺麗な顔を歪ませて、アキトを怒鳴りつける。
しかしアキトは落ち着いていた。
「分かってます。分かっているから、ここにいます。あなたを止めるために」
「……止めるですって?」
「ええ。……情けない事に、私は自分だけではその勇気が持てなかった。本当は、自分達の中だけで解決しなければならない事だった」
アキトは胸に手を当てる。
「勇気をもらいました。諦めるなと言ってくれる人がいたんです。だから止めます。……母上、こんな事はもう止めましょう」
アキトはツバキに気圧される事なく、静かにそう返した。
不安そうに瞳が揺れる事も、声が震える事もない。
彼のその態度はツバキの癇に障ったようで、彼女の顔が怒りで赤に染まる。
「止めようですって? 馬鹿な事を! やはり、やはりあの後、お前も直ぐに捧げるべきだった。そうしていたらこんな事にはならなかった。この臆病者が、灰鐘家の恥さらしがっ!」
そう怒鳴りツバキは両手を広げる。
するとツバキを中心に、地面がパキパキと音を立てて凍り始めた。
何らかの術を使ったのだろう。
「わ~、スケートリンクみたい」
「クラスの皆に掛けた術の強化版……というところですかねぇ」
「それじゃ、上にかぶせれば溶かせるね。良かった良かった。っていうか、別の事で使えば良いのに」
「別?」
「スケートリンクも楽しいから良いけどさ~。ほら、アイス作れそうじゃん? 夏場には特にお役立ちだよ~?」
ハルとナツはこんな状況にも関わらず、呑気に世間話している。
二人を見てアキトが目を瞬いていた。
「先ほども思いましたけれど……お二人は相変わらず、焦らないんですね」
「ま、慣れているからねぇ、こういう状況」
「それもハルさんからも聞きました」
「アハ。じゃあ、そういう事だ。それに今は味方が増えたしね! それに、あの人達よりも……」
アキトの言葉にナツはそう答え、いったんそこで言葉を区切る。
そしてツバキ達の向こう側にある井戸へ目を向けた。
「あっちの方がまずいよ」
そう言った時、井戸がガタガタと振動を始める。
「――――解ける!」
その瞬間、パァン、と何かが弾ける音がして、井戸の中から無数の手が勢いよく伸びて来た。
結界が解けたのだ。
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