3-1 口無し
解熱剤も効いたようで、翌朝になればナツの熱は下がっていた。
けろりとした顔で、
「う~ん、おはよ~。お腹空いたな~」
なんて言っている。
食欲もすっかり戻ったようで何よりだ。
ホッとしながら、ハルは携帯で時間を確認する。間もなく六時というくらいだ。
タチバナに掛けられた術を取っ払うにも、ちょうど良い時間だろう。
「それじゃあナツ。さっそくタチバナ君を……」
ハルがそう言いかけた時、
「わあああっ!」
「やだ、何で!?」
「何だよ、これ!?」
――突然、クラスメイト達の悲鳴が響き渡った。
双子は揃ってハッと顔を上げる。
少ししてざわざわとした声も聞こえ始めた。
女子と男子、どちらもだ。
「今のは」
「まさか」
ハルとナツは顔を見合わせると、大急ぎで部屋を飛び出した。
向かう先は借りている二つの大部屋だ。
「僕、男子部屋に確認に行くよ」
「私は女子部屋に」
短くやり取りを交わすと、ハルとナツは廊下の途中で別れる。
早朝だという事を気にする余裕もなく、ハルが足音を立てながら走って行くと、開け放たれた障子戸が見えた。
ひどく中途半端に開いたそこからは、ずれた布団の端が見える。
よほど慌てて飛び出したのだろう。嫌な予感に焦りを感じながら、ハルは部屋に飛び込む。
――すると。
そこでは、半数近くのクラスメイト達が、この騒ぎにも関わらず目を閉じたままだ。
傍らでは泣きそうな顔で、他のクラスメイト達が必死に彼女達を起こそうと身体を揺すって呼び掛けている。
「ねぇ、ねぇ、起きてよぉ……!」
「どうしようどうしようどうしよう……!」
その光景に、ハルは思わず、ヒュッと息を呑んだ。
胸に広がる嫌な冷たい感覚の中でハルが目を見開いていると、
「あ、あ、ハルちゃあん……!」
座り込んでいたヒナがハルに気が付き、半泣きで飛びついて来た。
「ハルちゃん、ハルちゃん! 皆がね、起きないの……! 冷たいの……!」
「冷たい……タチバナ君と同じ状態ですか?」
「うん……!」
ヒナは首をぶんぶん縦に振る。
(……これはずいぶん大きく動いてきましたね)
タチバナ一人を狙った時は、もう少し慎重だったように思える。
それが昨日の今日でこの人数となると、向こうも焦っているようだ。
(井戸の封印がまずいというのは理解しているのか)
……確かに井戸のアレはまずい。
何が押し込められているかは分からないが、正直、ハルとナツの二人では対処が難しいと思う。
そう考えながらハルは部屋の中の、目覚めないクラスメイト達の位置を確認する。
眠ったままの子達がいるのは、ハルが立っている障子戸付近が多い。
となると障子戸を開けて、そこから何らかの術を掛けたという事だろうか。
(――失敗した)
自分達が命を狙われている状態ではあっても、ここまでクラスメイト達に手を出してくるとは考えが至らなかった。
恐らく男子部屋も同じようになっているだろう。
(こちらも形振り構っていられないかもしれない)
幸いタチバナと同じ状態であったならば、ハルはこれを
人目につくとかつかないとか、そんな事を考えている時間はなさそうだ。
(恐らく今回の件は、規模が大きい。協会が
やろう、とハルは思いながらヒナを見る。
「ヒナさん。誰か、伊吹先生には連絡に行きましたか?」
「う、うん。大丈夫」
「でしたら、ひとまず眠っている子達以外の布団を横に除けましょう。その方が、様子を見やすいですし」
「そ、そうだね!」
こくこくとヒナは頷くと、近くの空いた布団に手を伸ばし、畳み始めた。
動揺していたクラスメイト達も、ヒナを見て同じように布団を片付け始める。
ハルはそれを見てから、一番近くにいる眠ったままのクラスメイトの枕元に座って、じっと見つめる。
……やはり彼女達も、青色半透明の薄い膜に覆われている。
解いてしまおう、そう思ってハルはポケットにしまった扇子に手を伸ばそうとした、その時。
「皆さん、大丈夫ですか!?」
バタバタとした足音と共に、ツバキの声が背後から聞こえた。
「ああ、何という事でしょう……! 山神様の怒りが、まだ収まっていないだなんて……!」
そして悲愴な声でそう言うと、両手で口を押えた。
ハルは顔だけをそちらに向ける。ツバキは困惑した表情を浮かべているように
「…………」
目が合った。
声や表情とは裏腹に、酷く冷えた色をしている。
獣が獲物を見るような眼差しだ。
そんな彼女の目を見ながらハルは口を開く。
これは、少し揺さぶりをかけた方が良さそうだ。
「そうであれば、もう儀式がどうのとは言えませんね。私の知り合いに、こういう事に慣れている人がいます。電波が繋がる内に連絡を取っていましたので、
「――……本当ですか? それはとても助かりますが……」
ハルがそう言った時、ツバキに一瞬、動揺が見えた。どうやら
自分達の家系について多少知っているくらいだから、想像したのはたぶんそちらだろう。
(私達でさえ面倒だと思いますからね、村雲の本家は)
良くしてもらった等と言っているが、そういう類の人間達ではないのはハル達の方が良く知っている。
だから、と言うわけでもないが、ハル達が連絡をしたのは自分達の叔父だ。
疑っている人物にその事を教える必要はない。
まだ事態が動く前の連絡だったので来てくれるか分からないが、多少の嘘を混ぜてハルは言う。
「そう言えばハルちゃん、神職のお家って言ってたね」
「ええ。……たぶん大丈夫だと思いますよ」
ハルの言葉に、ヒナを始めとしたクラスメイト達は、少しだけホッとした顔になる。
こう言う事を話すと、大抵は信じてもらえないか、あまり良い感情を抱かれないのだが、彼女達は違うようだ。
本当に良いクラスメイトに恵まれたなとハルはしみじみ思う。
「良かった……村雲の方に来ていただけるなら安心です」
ツバキは笑顔を浮かべてそう話す。
けれどもその表情とは反対に、その眼差しは冷えたままだったが。
◇ ◇ ◇
その後、ナツから話を聞いたが、男子部屋も同じ状況だったそうだ。
半数近くのクラスメイト達が、冷たい身体で眠っている。
(冬眠……いや、まるで冷凍保存でもしているような……)
出された朝食を食べながら、ハルはそんな風に思った。
鮮度が落ちないように、逃げられないように。
井戸の
ただ、それをする可能性も低いだろうともハルは思う。
林間学校はハル達の学校の行事であるし、予定の日数で戻らなければ捜索隊が出るだろう。
それに伊吹だって、この村に着いた時点で学校へ連絡を入れているはずだ。
だから、そこから連絡が途絶えたとなれば、学校側が何かしらの行動を起こす。
そうすれば警察がこの村へやって来て、あの井戸も含めて捜査されるだろう。
(たぶん井戸の底に人骨がある)
儀式と称して生贄にされた子供達の人骨が。
それが見つかればこの村で行われていた事は明るみに出るだろう。
けれど問題は井戸の底の何かだ。
あそこには確実に何かがいる。ハルとナツだけでは対処が出来ない何かが。
そこへ何の対策や耐性もない人間が手を出したならば危険だ。
(……叔父さん、来てくれるかな)
ナツが冗談混じりに言っていたが、それまでに自分達が無事でいられるかどうかが微妙だ。
この村の人間の狙いは第一に自分達なのだから。
ただやり方を見ていると、一応は、何とか疑いの目が向けられないように、と対策しているのは分かる。
この様子だと祟りだ何だと未知の恐怖を徐々に煽って、最後に全員を眠らせた上で双子を生贄にする、というのが順当な流れだろう。
そのタイミングで生徒達を目覚めさせれば、クラスメイト達を助けるためにハルとナツは自らの意志で命を捧げた――なんて話に持って行きやすい。
しかも眠らせるために睡眠薬等は使っていないのだ。身体を調べたところで痕跡は出てこない。
それに井戸の事は怖がらせないように誰にも伝えていないので、もし警察が来てもツバキ達はどこか別の場所を伝えるはずだ。
何なら獣に襲われたとでも言えば、遺体が無い事も一応の理由にはなる。
付け加えるならば、ツバキを含めたこの村の人間達は皆、自分達にとにかく
(死人に口無し――まさにこの村の名前通りですね)
一体どんな意味を込めて、こんな名前をつけたのか。
『儀式』を絡めて考えれば、何とも趣味が悪い。
そう思っていると、
「そうだ、気分転換に村を見て回ったら如何でしょう?」
ツバキがそんな事を言いだした。
「え……?」
「実は数日後の祭りに備えて、準備をしていたところだったんですよ。口無村の風鈴祭。あちこちの家の軒先で、たくさんの風鈴を飾るんです。雨に濡れていても綺麗ですよ」
にこっと微笑むツバキ。
普通ならば気を遣われていると思うだろう。
しかしハル達からすれば、自分達を屋敷の外へ追いやって何をするつもりなのか、と思ってしまう。
「いえ、しかし……」
さすがにどうかと思ったらしい伊吹が、やんわり断ろうとしたが、ツバキから、
「ね、先生」
なんてやや強い調子で言われてしまい
「そ、そうですね……」
と頷いていた。
何だかんだで美人の押しには弱い先生なのである。
まぁ、その気持ちはハルも分からないでもない。ツバキに不信感を抱いていなければ、ハルもころっとなっていた気もする。
(さて、どうするか)
ツバキの提案を伊吹が受け入れたので、体調の悪い者達以外は、屋敷の外へ気分転換に出かけるだろう。
自分も仮病を訴えれば屋敷内に残る事は出来るが……。
(さすがに昨日の今日でその理由は出しにくい)
皆が熱を出したのに、一人ピンピンしていたという実績持ちのハルがそれを言っても、訝しまれるだけである。
ナツならば、病み上がりでまだ身体がだるいとか言えば何とかなるかもしれないが、先ほど朝ご飯をしっかり食べたばかりだ。
双子揃ってどうしようもない。
気分が乗らない……だけでも良いが、それを言うと他の子達にも移ってしまう。ただでさえ気持ちが落ち込んでいるのだ。あまり精神的な負担が軽減できる手段を減らしたくない。
となるとやはり、外へ出ないわけにはいかないだろう。
「……村の中をまだ調べていませんでしたね」
「そうだね。ま、どの道、狙いは僕達でしょ。うちのクラスの連中に眠らせる以外の事をするなら、僕達に何かした後だろうね」
「ええ。……乗りましょうか」
ナツの言葉にハルはそう言って頷いた。
今直ぐに眠らされた者達を起こそう事は可能だ。
けれどこの人数を一気にとなると、恐らく自分達の方が限界を迎える。
そうなった場合、ハル達が動けなければ二度目を防げない。
人間が飲まず食わずの状態で、身体が持つのは三日。特にタチバナの場合は今日で二日目だ。
あの状態になっているのが術であれば、もう少し持つだろうけれど、決着をつけるのならば今日か明日だ。
屋敷を追い出されようとしているのならば、自由に動ける内に情報収集をしておいた方が良いだろう。
「それじゃあ、皆、少し外の空気を吸いに行こうか」
伊吹が生徒達に向かって明るく声をかける。
ツバキも綺麗な顔でにこりと微笑んで、
「ええ、ぜひ。駄菓子屋にはアイスやラムネも売っていますよ」
なんて、そんなおまけ情報もくれた。
上手く誘導が出来たとでも思っているのだろうか。
そんな事を思いながら味噌汁を飲んだのだった。
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