第3話 アリバイはある?
「それは違うよ、斎無さん」
僕と斎無さんの席は隣同士だ。
午前中、僕の椅子はガタガタと不安定に揺れていたが、午後になると全然揺れなかった。
しかし隣の斎無さんは、逆に午後になると椅子がガタガタと揺れ始めたという。
つまり僕の椅子と斎無さんの椅子が入れ替わっていたのだ。
斎無さん曰く『椅子すり替え事件』と呼ばれるこの事件は、僕が犯人だと疑われている。
根拠は午後から使っていた僕の椅子……ややこしいから僕の椅子(午後)と呼ぼう。対して変わらない気もするが、こう呼んだほうが頭の中で整理しやすくなる。
とにかく僕の椅子(午後)の裏面に、斎無さんが持っていたシールが貼られていたのだ。
そのシールは午前中、斎無さんが自分の椅子に貼っていたという。
つまり僕の椅子(午後)
それはまあいいだろう。個人的には本当に斎無さんが貼ったのか疑うべきだと思うけれど、それを言い出したら他にも疑うべき点があるように思える。
しかし残念ながら僕の頭ではそれをこの場で思いつけない。
だから僕にできることは、自分の無実を証明する他ない。
「違う? あなたがやったわけじゃないって言いたいのね。じゃあ証明してくれる? 私達の椅子がすり替えられたのは、あなたの犯行じゃないってことを」
「わ、わかってるよ」
出来るだろうか……。自分で言うのも何だが、僕は口下手だ。先月まで友達なんて一人もいなかったし、今だってここまで喋り続けて喉がカラカラだ。
普段の会話も頭で考えながら喋るなんて僕には重労働なのに、自分の潔白を証明するなんてことが可能なのだろうか。
「じゃあ、まず確認だけどさ。この椅子が入れ替わったのはいつのことかな」
「そんなの決まっているわ。玄間くんの椅子は午前中、ずっとガタガタしていた。一方私の椅子は、午後からずっとガタガタしていたわ。つまり犯行はお昼に行われたのよ」
「そうだね。僕も椅子が入れ替わったのは昼休みだって思う。少なくとも五時間目、午後最初の授業では僕の椅子はガタガタと揺れなくなってたよ」
斎無さんと僕の意見が一致した。椅子が入れ替わったのは昼休み。これは間違いない。
午前中最後の授業、四時間目の授業中はまだ椅子の揺れを感じていたと記憶している。
「念の為確認するけど、斎無さんが椅子に違和感を覚えたのはいつ?」
「午後の授業が始まってすぐよ。もっと正確に言えば、昼休みが終わって自分の椅子に座った時ね。だから椅子に違和感を感じたのは、五時間目の授業開始直前ってことになるわ」
「そっか、ありがとう」
斎無さんは昼休みの終わり、五時間目の開始直前に違和感を覚えたと言った。
これは椅子が入れ替わった時間を把握する重大な手がかりになる。しかし僕の無実を証明する手がかりにはならない。
僕の無実を晴らすには、もっと別の手がかりが必要になるはずだ。
少なくとも目の前の斎無さんは、入れ替わりの時間がわかったところで僕への疑惑を一寸たりとも薄めないだろう。
「椅子が入れ替わったのは昼休みの間ってわかったのは収穫だね。だけど……」
「これじゃあ、玄間くんの潔白を証明できないわね」
僕の思っていることをずばりそのまま言われてしまった。やはり斎無さんはまだ、僕のことを疑っているようだ。
当然だろう、全然事態が収まっていないのだから。
「事件の時間がわかったのなら、次は容疑者のアリバイが重要になるわ」
悩んでいる僕に、斎無さんは諭すように言う。
そうかアリバイか! 確かにミステリでは、容疑者のアリバイが事件を解くきっかけになる。
まあ大体アリバイは謎を加速させる要素になっちゃうものだけど。
まさか僕の高校生活でアリバイが必要になるなんて思わなかった。
昼休みの間、僕は何をしていただろうか。思い出せ、確か僕は……。
「……学食に行ってたはずだよ。四時間目の授業が終わってからすぐに、僕は学食に行った。間違いないよ」
「入学初日から学食に行ったの? 普通はお弁当を持ってくるんじゃないかしら」
「今日は母親が仕事で、弁当を用意する余裕がなかったんだよ。だから学食に行くことにしたんだ。本当はコンビニでなにか買ってきても良かったんだけどね。初日だからクラスのみんなは昼飯をどうするのか、様子を見たかったって理由もあるけどね。うちの高校に学食があるのは、受験の時に知ってたから」
「意外ね。案外気にするのね、そういう周りの空気みたいなもの」
「気にするよ……」
脱陰キャを目指す僕としては、周りの空気に合わせるのは努力義務だ。
ちなみに義務じゃなくて努力義務なのは、今までぼっちだったのに急に周りに合わせられるわけないだろうという、自己評価の結果だったりする。
可能ならば実施しよう、くらいの心構えでいるほうが精神衛生上いいだろう。
……こんなことを考えているから陰キャなのか?
「お昼ご飯なんて自分の好きにすればいいじゃない。周りの目を気にしてメンタルに負担をかけるなんて、愚かとしか言えないわ」
「全くその通りだと思うよ」
斎無さんほどの美貌であれば、周りの方が斎無さんに合わせてくるだろう。そういう空気の中心になるような人だ。
だから陰キャ側である僕の気苦労なんてわからないだろう。
「ちなみに斎無さんはお昼どうしたの。やっぱり弁当?」
「私も学食でお昼を食べたわ」
「えっ!? 今僕が学食で食べたことに色々言ったのに!?」
「私が言ったのは玄間くんの周りに合わせようとする考え方に対することよ。学食でお昼を食べる行為自体に文句なんてあるわけないじゃない」
「そ、そんなむちゃくちゃな。いやでも、僕の考え方がまどろっこしいっていうのは否定しないよ」
「ええ。とても優しいのねあなたは」
「褒めてるんだよね……それ?」
「社会に出て苦労しそうな性格だから励ましてるのよ」
「高校に入学したばっかりなのに、もう社会に出たあとのことを心配されてる!?」
斎無さんはまるで僕を現代社会の波に揉まれて、精神を病んで仕事を辞めそうな人間とでも言いたいようではないか。
いや実際のところ、こんな僕があと数年で社会に出て普通に生活できるのかと不安に思うのだが。
だからこそこうやって、今のうちに脱陰キャ計画なんてやってるわけで……。
その脱陰キャ計画のせいで、周りを気にして気疲れしてるのは、なんとも皮肉ではあるが……。
「話を戻すわね。要するにあなたも私も、昼休みのアリバイはあると主張しているわ。ふたりとも学食に行ったとね」
「うん、証人もいるよ」
「へえ……。玄間くん、よくわかってるじゃない」
「ミステリーだと、アリバイは自分ひとりで主張しても駄目だって言うしね。証明できる第三者が必要だよね。それも、できれば複数人」
「その通り。あと訂正しておくけれど、現実でもアリバイは第三者がいることが望ましいわ。ミステリーだけの話じゃない。まあ証明できなくても警察が裏付けを取るから、証人がいなくても大丈夫な場合も多いわ。現実の事件はミステリーと違うってことね」
「そ、そうなんだ。詳しいね斎無さん」
「名探偵ですもの」
まだ続いてたんだ、その探偵ごっこ……。
「それで玄間くん。あなたのアリバイ、証明できる人は誰なのかしら」
「確か……」
僕が学食に行ったのは、今日仲良くなったグループのメンバーだ。だから証人となると、そのメンバー全員となるはず。
立山くん、蒲田くん、石川くんの三人だ。初日から友達ができてよかったと改めて思った。
こんなアリバイ証明のためなのは、なんか嫌だけど。
「立山くん、蒲田くん、石川くんね。うん……確か、彼らを学食で見かけた記憶があるわ」
「えっ!? 斎無さん、立山くんたちを知ってるの?」
「当然じゃない。クラスメイトだもの。もう全員の顔と名前は覚えたわ」
「す、すごいね。僕なんか、立山くんたち三人の名前をやっと覚えたくらいなのに」
「私のこともね」
「ああ、そうだった」
斎無さんほどインパクトのある人はすぐに覚えられるだろう。
というか、今こうやって探偵ごっこに付き合わされたら、誰だって覚えると思う。
「それで、斎無さんのアリバイを証明出来る人は?」
「いないわ」
「は?」
「私、学食では一人で食べてたのよ。だって午前中は休み時間中ずっと、大勢のクラスメイトに話しかけられてたのよ。お昼ご飯くらい、ゆっくり食べたいじゃない」
「そうだったんだ……。人にはアリバイとか証人とか聞いておいて……」
「証人が必要と言ったのは玄間くんよ。あなたが言わなかったら私の方から言及するつもりだったけれど」
「な、なんかずるいよ斎無さん。僕だけアリバイを証明しろって言ってるようなものじゃないか」
「だって、私は自分が犯人じゃないってわかってるもの。これはあなたの疑惑を晴らすための時間なのよ」
「アンフェアだよ。それじゃあフェアじゃない。探偵って言うなら、自分も容疑者リストに入れたうえで、身の潔白を証明すべきじゃないかな」
僕は自分が一方的に疑われてる理不尽さに、思わず負け惜しみのような言葉を吐いた。
しかし斎無さんは感心したような顔をして僕を見ていた。今の言葉のどこに、そんな顔をするポイントがあったのか甚だ疑問だ。
「ふふ、面白いわ。あなたは自分が疑われている状況にも関わらず、探偵の私も盤面に引きずり下ろそうとしているのね。面白い、面白いわ玄間くん」
こっちは全然おもしろくないよ斎無さん。
「事件を捜索している探偵自身が犯人、確かにそういうミステリーも多い。じゃあ当然私も疑われて然るべき。もっともな意見だわ」
「いや別にそこまで考えて言ったわけじゃないけどさ」
「でも残念ながら私のアリバイを証明できる人物がいるの」
「さっきは一人で食べてたって言ったのに?」
「この証人は、あるいはあなたの証人にもなるはずよ。あなたのアリバイが真実ならの話だけれど」
なんだか持って回った言い回しをするなぁ……。本当にミステリーの探偵みたいだ。
現実でやられたら滑稽というか、痛々しさを感じるという発見があったが、それでも斎無さんのような美少女が言うと説得力があるのがずるい。
「誰なのかな。その証人って……」
「学食のおばさんよ」
「ああ、ええっと……。確か五〇代くらいの、人柄のよさそうなおばちゃんだよね」
「うちの高校では食堂でご飯を食べるために、まず券売機で食券を買う必要があるわね。そして買った食券を食堂のおばさんに渡すの。そして注文したものが出来たらおばさんから受け取って、空いてる机に行ってご飯を食べる」
「うん、その通りだった。食券を渡してから受け取るまで、列に並んでる必要があるから、人が多くて時間がかかったよ」
「五分以上は並んだかしら。でも繁盛してるお店であの人数を捌き切るのは難しいと思うわ。そこは流石、学食のおばさんだわ。大勢の学生を捌き切る腕に関しては料理人としてトップだわ」
「本当頭が上がらないよ。これから三年間、お世話になる機会も多いだろうし」
実際、うちの学食は料理の提供がびっくりするほど早かった。数十人は並んでいたはずなのに、次々と料理を出していく姿はさながら職人の域だった。
うどんやそばといった、簡素な料理を注文する生徒が多かったのも素早く列を捌けた理由だろう。
ちなみに僕は唐揚げ丼というものを頼んだ。立山くんが「これうまそうじゃね?」と言って、みんなで同じものを頼んだのだ。実際すごく美味しかった。
白米の上に唐揚げを乗せて、その上から甘酢あんかけのタレをかけて、ネギと揚げ玉(みんな天かすと言っていたが、僕には違いがわからない)をふりかけた料理だ。
ボリュームがあり、高校生男子のお昼にはぴったりの料理だ。
しかし一食四五〇円という値段で、うどんやそばが二二〇円だったことを考えると、他の生徒が後者の料理を注文する理由がわかってしまった。
高いのだ、高校生の金銭感覚的には。あと料理ができるまで時間がかかる。
そういうわけで次から僕もうどんを注文する予定だ。もしくは二七〇円だったカレーも選択肢に入る。
「そういえば斎無さんは何を食べたの?」
「カレーそばよ」
「珍しいというか、意外というか」
「カレーうどんはよく見るけれど、カレーそばってあまり見ないから気になったのよ」
「僕らの県って、麺類だとラーメンが王様でうどんが次点、蕎麦屋さんなんて無いもんね」
「だから食べてみたかったの、カレーそば。美味しかったわよ、さっぱりしてて」
「聞いてたら興味出てきたよ、僕も今度食べようかな」
「おすすめよ。制服にカレー汚れがついても目立たない、冬服の今の時期がベストだわ」
そういうと斎無さんは自身の胸のあたりを指さした。いきなりなんの主張をしているのだろうと困惑した、というかドキッとした。
しかしよく見てみると、彼女の着る紺色のセーラー服の胸元に、黒い染みのようなものがあった。黒地に隠れてよくわからず、気付くのに時間がかかった。
この時の僕の姿は、傍から見たら女子の胸元を至近距離で凝視している変態に見えただろう。
僕もギリギリアウトじゃないかとヒヤヒヤしている。
「カレーの染みがあるってことは、確かに斎無さんは学食で昼飯を食べたみたいだね。だって弁当でカレーを持ってくる人なんていないだろうし」
「カレーパンやカレーコロッケを食べて胸元にこぼした可能性もあるけどね。だけど私はカレーそばを食べたあと、トレーと容器を返却しに行ったわ。そこでごちそうさまでしたって言ったのよ、学食のおばさんに」
「なるほど……。つまり斎無さんが学食で注文する時と食べ終わった時、その二つのタイミングに目撃者はいるってことか」
「そうなるわ。これでアリバイは証明出来るかしら」
僕は警察じゃないし探偵でもない。普通の高校生を目指している陰キャだ。これが実際に斎無さんのアリバイ証明になっているのかわからない。
けれどなんとなく、斎無さんが嘘を言っているように思えないし、何よりこの探偵ごっこが少し楽しくなってきたこともあってアリバイを了承することにした。
あとでわざわざ学食のおばさんに、本当に斎無さんが学食に来たか確認しに行くのも面倒だし。
「これでお互い昼休みのアリバイは証明できたね」
「いいえ、学食にいたことの証明は出来たけれど、学食から教室へ帰ってきた時間の証明がまだよ」
「そっか、忘れてた。そうだな……僕は昼飯を食べ終わった後も、そのまま学食で立山くんたちと話してたよ。僕らの唐揚げ丼が出来上がるのが遅くて、食べ終わる頃には学食に人はあまりいなかったと思う。それで話してたら昼休み終了のチャイムが鳴って、急いで教室に戻って……って感じだったと思う」
「廊下を走ったら駄目じゃない」
「うん、気をつけるよ」
「うちの高校は厳しいから、先生に見つかるとスポーツ刈りにさせられるらしいわよ」
「えっ本当っ!?」
「冗談よ。ただ昔はそういうのがあったって聞いたわ」
聞いたって誰にだろう。そういえばうちの高校は昔は運動部が強くて、体育祭にも力を入れていたって聞いた記憶があるな。
あれは中学の担任の先生が進路相談の時に教えてくれたはずだ。
斎無さんも先生に聞いたのだろうか。それとも先輩やOBに聞いたのかな。
流石に令和のこの時代に、そんな厳しい校風が残っているはずないだろう。……ないよね?
「私は学食から出た後、女子トイレに行った。理由は聞かなくてもわかるでしょ」
「うん、ごめん。女子に聞くのは駄目だよね」
「何を勘違いしてるのよ。カレー染みが取れないか試してたのよ」
「ああ、うん……ごめん。勘違いしてた」
「それで結局、これはクリーニングに出すしか無いと思って気分が下がったまま教室に戻ったの。あれは昼休みのチャイムがなる直前だったから、玄間くんたちが戻ってくる数十秒前になるわ」
「それを証明出来る人はいるよね」
「ええ。あなた達のグループ以外は既に教室にいたもの。私がチャイム直前に教室に入ってきたのを目撃したはずよ」
流石斎無さんだ。自分の行動がクラスメイト全員から見られているのも自覚した上でアリバイとして利用している。
もちろんその時はこんな事件が起きるとは思っていなかったんだろうけど、探偵を自称しているだけのことはある。
「じゃあ残るは……」
「誰がどうやって、椅子をすり替えたのか」
「だね」
事件の大詰め。フーダニット・ハウダニット・ホワイダニットを解き明かす。
よく考えると、僕たち二人の昼休みのアリバイを証明しただけで、事件の真相には全然近づけてないではないか。
この時僕はこの『椅子すり替え事件』が、意外にも大きな謎を抱えた事件だとようやくにして気付いたのだった。
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