第20話 見せたかった景色

 屋上のドアが開く。そこは普段、生徒の立ち入りを禁じられている場所だ。禁断の場所に踏み入ることに、どこか高揚感を覚えるのは何故だろう。

 斎無さんも後ろからついてくる。屋上は夕日がよく見えて、どこか幻想的な雰囲気に包まれていた。


「これで僕たちは共犯だね」

「あら、どういうことかしら」

「生徒の出入りを禁止している屋上に入る。これは間違いなく校則違反だよ。斎無さんの言葉を借りれば事件だね」

「そんなことで事件と呼ぶのはどうかと思うわ」


 それは斎無さんが言うべきではないだろう。今までの『椅子すり替え事件』も『タバコの吸い殻発見事件』も、事件と呼べる代物ではないのだから。


「でもまぁ、そうね。あえてこれを事件と扱うなら、『屋上開放事件』かしら」

「相変わらずのネーミングセンスだね……」

「変に格好つけても事件の本質が分かりづらいでしょう。だからシンプルな名前の方が伝わりやすいの」

「そんなものかな」

「ええ。もっとも、私は共犯じゃないわ。犯人はあなた、私はそれを突き止めた名探偵よ」


 こっそり罪を擦りつけようとした僕の魂胆も見抜かれ、これで完全に僕は『屋上開放事件』の犯人となった。もっとも鍵は元々佐藤くんが持っていたわけだし、僕以外にも何人か屋上に侵入した人たちがいたんじゃないだろうか。


「とても綺麗な景色ね……」


 斎無さんはゆっくりと足を進めて、手すりまで歩いていく。


「夕日の色に照らされて、町全体が温かい空気に包まれているみたい」

「うん、僕も初めて屋上に登ったけど、町全体がよく見えるね」

「なんだかこういう景色を見てると、私たちの『屋上開放事件』なんて、ちっぽけな物のように感じられるわ」

「他の学校でも、きっと似たようなことは起きてるだろうね」


 僕も斎無さんの横まで行き、手すりに体を預ける。普段は気にかけない町の景色が、少し高い場所から見ただけで、何だか特別な景色に見える。


「この綺麗な景色、綺麗な町の中に大勢の人が住んでいるのよね」

「きっとクラスメイトも何人かはこの辺に住んでるんじゃないかな」

「川上さんや三上くんはそうらしいわ」

「だ、誰……?」

「クラスメイトの名前よ。一週間も経つのに覚えてないなんて、薄情ね」


 そんなことを言われても、僕は自分が普段話す人の名前くらいしか覚えてられない。斎無さんはもう、クラスメイト全員の顔と名前が一致してるんだろう。

 流石というべきか、僕が駄目すぎるだけなのか判断に迷う。きっとどっちもなんだろうな。僕が名前を覚えてるのは、立川くん・蒲田くん・石川くん・佐藤くんくらいのものだ。それと斎無さんも。


「それで?」


 風に吹かれて乱れそうになる髪を押さえながら、斎無さんが尋ねてくる。まるでシャンプーのコマーシャルのように絵になる姿だった。


「ここを事件の現場に選んだ理由よ。どうして玄間くんは屋上なんかに私を呼び出したのかしら」

「さっき説明したよ。屋上の鍵を手に入れたのは偶然で、佐藤くんに貰ったんだって……」

「そうじゃないわ。あなたは屋上の鍵が手に入らなかったとしても、似たようなことをしたはずよ。四階の渡り廊下とか、高い場所に呼び出すつもりだった。違う?」

「……そうだよ。その通りさ」


 つまりは動機を聞かれているのだ。僕が斎無さんを屋上へ連れてきた理由。それは一体何なのか。斎無さんはまだわかっていないらしい。


「僕は昨日からずっと、気になってたんだ。斎無さんのことが……」

「それは、どう反応したらいいのかしら」

「……? あ、いや違うよっ!? 変な意味じゃなくて、あの、ほらっ! 図書室でお薦めしてくれた本のこと! 『御手洗潔の挨拶』だよ」

「『挨拶』……? それがどうしてここで出てくるのかしら」


 どう説明したものか。こういうのは僕は苦手なのだ。自分の考えを頭の中でまとめて、人に説明するなんてことが大の苦手だ。自分の考えてることさえ上手くまとまらないのに、それを他人に説明出来るはずもない。

 こういう時こと春休みの特訓の見せ所だ。僕は頭の中の考えを取捨選択して、焦らずゆっくりと口に出すことにした。


「『御手洗』シリーズなら他にも色々と名作はあるよね。もちろん『挨拶』も面白かった。けれど、斎無さんがどうしてあの本を薦めてきたのか。それが気になったんだ」

「どうしてって、比較的ページ数が少なくて、短編集だから読みやすいと思ったから薦めたのよ」


 なるほど、確かに筋の通った主張だ。だがそこでまた疑問が湧く。


「あの時、図書室で斎無さんは僕の好きな本を言い当てたよね。その時斎無さんには分かってたはずだよ。僕が長編ミステリーが好きだってことをさ」

「……ええ、男女関係や強烈なキャラクターに魅力を感じるタイプということも分かっていたわ」

「だったら、そこで『挨拶』を薦めてきたのが分からないんだ。もちろん『御手洗』シリーズはキャラクターも魅力的だよ。主人公の石岡くんは僕も好きさ。でも僕の好みとは少し違っていたのも理解してたはずだ」

「もっと人間の内面のドロドロとしたものを書いた小説がよかった? 精神が不安定な主人公に、可愛いヒロインが出てくるような話が好みだったかしら」


 確かに僕の大好きなタイプの小説だが、今はそういう話をしているわけではない。

 ちなみに僕の好きな『人形館の殺人』や『最後の記憶』、『御手洗』シリーズで言うと『異邦の騎士』はまさにこういった雰囲気で、読んでて共感出来た。

 いや僕の趣味の話じゃない。斎無さんが何故『御手洗潔の挨拶』をオススメしてきたか、その意図が知りたかったのだ。


「『挨拶』を読み終わった後、考えたんだ。斎無さんは何故これを僕に読んで欲しがったんだろうって。いくつか考えが浮かんだけど、答えは結局分からなかったよ」

「ちなみにどんな推理をしたのか、教えてもらえるかしら。興味があるわ」

「推理ってほどじゃないけど……。自分の趣味を知ってもらいたかった、とか? あり得ないなって思って、その考えはすぐ捨てたけどね」


 僕みたいな陰キャが自意識過剰過ぎると恥ずかしくなったくらいだ。


「それとも、僕が普段読まない短編集の面白さを普及しようとしてた?」

「いいえ、特にそういった意図は無かったわ」

「そう。結局僕は分からなかったんだ。だから直接斎無さんに聞いたんだよ。『挨拶』の中でどの話が好きなのか、それが分かればヒントになると思って」

「素直に聞けばいいじゃない。周りくどいやり方が好きなのね、玄間くんって」


 直接聞けるようなメンタルだったら、十五年間も陰キャをしてない。あまり僕を買い被らないで欲しい。


「それで斎無さんは教えてくれたよね、『数字錠』が好きだって。それで思いついたんだ。屋上に斎無さんを呼ぼうってことを」

「つまりあなたは、私の好みを聞いて、それに似たシチュエーションを用意してくれたってことね。『屋上開放事件』は『御手洗潔の挨拶』の『数字錠』のワンシーンを再現するための犯行だった。これが事件の真相ね」

「そう、そういうことになるね……」


 事件っぽくしたのは半分わざと、半分偶然だ。斎無さんは事件が好きそうだから事件風のシチュエーションにしたら喜ぶのではないかと思ったのだ。

 そして屋上の鍵が手に入ったのは本当に偶然だった。改めて佐藤くんに感謝の気持ちを忘れないでおこう。


「じゃあ、これは私のためにしてくれた事件ってことだったのね……」


 斎無さんは振り向かない。手すりを握ったまま、屋上から見える町の景色を眺めている。横目で表情を伺うが、髪が風で揺れてよく見えなかった。

 斎無さんはどう思っただろう。僕のことを変なやつと思ったかもしれない。つまらない事件を起こしたものだと思っているかもしれない。金曜の放課後という貴重な時間を無駄にしやがって、と怒っているかもしれない。僕には分からない。


 だが、これが僕なりの答えだ。斎無さんは僕と話してくれた。自分のことを話して、僕と対等でいようとしてくれた。それならば僕も、僕なりに斎無さんに添ったやり方で返すべきだ。

 それが、他人に興味を持つきっかけになるはずだから。斎無さんのことをもっと知りたいと思った、僕の精一杯の犯行だったのだ。


「玄間くん……」

「……なに?」

「ここから見える町の景色はとても綺麗だわ。まるで絵画みたいに、美しい風景よ」

「うん……。東京タワーからの景色とは、似ても似つかないだろうけどね」

「けれど、こんな綺麗な風景の下にも、事件や悲劇が起きてることを忘れてはいけないわ。目に見えるところだけが全てじゃないということを、私たちは常々忘れてはいけないの」

「それは、『御手洗潔の挨拶』からの引用?」

「……一度言ってみたかったのよ。どう? キマってたかしら」


 その時の斎無さんの表情を、僕は決して忘れることはないだろう。彼女は笑顔で、ちょっぴり照れた表情を浮かべて、恥ずかしそうに少しだけ舌を出していた。

 いつものクールな学年のアイドルではなく、年相応の少女の顔だった。名探偵という仮面を剥いだ、斎無さんの素顔を見た気がした。


「玄間くん。私はね、憧れてるのよ。ミステリーの世界に、探偵に。だからつい、謎を求めてしまう。でもね、現実にはそうそう大事件なんて起きないわ。だからいつも、学校のちょっとした謎を事件と呼んで捜査するのよ」

「そっか……じゃあ今朝斎無さんが言ってたことって……」


 僕が今朝、『御手洗潔の挨拶』の中のエピソードの一つ『紫電改研究保存会』について語ってた時、斎無さんはこう言ったのだ。

『日常の中にある謎も、たまには悪くないわ』と。


 彼女は飽きていたのだ。この退屈な現実の日々に。だからミステリーの中の大事件を求めるし、現実でも起きないかと願っている。

 けれど斎無さんは分かっている。そんなこと、現実に起きるはずがないと。だから探偵ごっこをして、せめてもの欲求不満を解消しているのだ。


「斎無さんの気持ちは……僕にもわかる気がするよ」


 僕の求める、平穏な高校生活。それは絵に描いたような薔薇色の青春で、フィクションの中にしかない。いや充実した青春を送る人間は現実にいっぱいいるのは知っている。僕には出来そうにないと諦めているだけだ。

 だから僕はせめてもの妥協として、脱陰キャという目標を掲げたのだ。目立つわけでもなくボッチになるでもない、平凡で平穏な高校生活。そんなお題目を掲げていた。


 つまり僕と斎無さんは、正反対のように見えて実は──


「私たち、似たもの同士ね」

「そうだね。きっと、そうなんだろうね……」


 だから引かれ合ったのではないだろうか。日常に退屈した斎無さんと、現実に妥協した僕が出会ったのは、きっと偶然じゃないはずだ。

 夕日に照らされる町を見ながら、僕らは静かに太陽が沈むのを待っていた。家の明かりがつき始めて、夕方とはまた違った景色が見えてくる。

 けれど斎無さんの言う通り、目に見えるものが全てじゃない。この景色の中に色んな人や色んな事情、もしかしたら色んな事件や色んな青春があるのかもしれない。

 僕たちはどうなんだろう。この一場面を切り抜けば、退屈な現実ではなくフィクションの一部のように見えるのだろうか。


 斎無さんがくしゃみをして、すっかり陽が落ちたので僕らは帰る準備を始めた。今日は金曜日だ。

 放課後から夜に掛けてのこの時間は、一週間の内一番現実感の薄れる気がする不思議な時間だ、


「帰ろうか、斎無さん」

「ええ、そうしましょう」


 屋上の施錠をして、さてこの鍵はどうしようかと考えている内に、ふと頭の中に浮かんだことがあった。


「そう言えば結局、どうして斎無さんは『挨拶』を薦めてくれたの?」

「玄間くんが屋上の景色を見せてくれたのと同じよ」

「え?」


 斎無さんはタッタッと階段を降りて、僕より先に行く。そして階段を降りきったところから、僕を見上げてこう言った。


「これからもよろしくっていう……


 そう言った彼女の顔は、暗くて見えなかった。だが僕には分かる。今度はわからないなんてことは無い。

 きっと斎無さんは、笑っていたことだろう。そう思い、僕も自然と笑みを浮かべた。


「周りくどいのはお互い様だね」

「ね? 似たもの同士でしょ」

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