第16話 私を見て

「東京タワーか……」


 読んでいた小説を閉じて、僕は空想の東京タワーを思い描く。斎無さんに薦められた『御手洗』シリーズの『挨拶』を読み終えたのだが、中々……いやかなり面白かった。

 普段は長編ミステリーを読んでいるけど、こういった短編集もいいものだな。一つ一つのエピソードが丁度良い長さで、時間の使い方が下手な僕でも楽しめる。そして短編集だからといって、一つのエピソードが薄いというわけじゃない。ちゃんと面白いのだ。


「紫電改……」


 読み終わった物語を頭の中で反芻する。ミステリーの中の探偵は、いつだってクールだ。読者がわからない事件をサラッと解決してしまう。名探偵というのは本当にかっこいい。

 ただ頭がいいだけならいいわけじゃない。名探偵に大事なのはキャラクター性だ。これは僕の好みの話だが、探偵は事件を解く以外にも人間的な魅力があるとより作品の深みが増す気がする。

 もっとも、そんなのはミステリーに限らず創作なら当たり前のことかもしれない。だが僕が好きになる要素はやはり、キャラクターなのだ。かっこいいキャラクターがかっこよく事件を解決する。そこに惹かれないわけがない!


「名探偵はかっこいいな……」


 非日常的な事件が起きて、そこに現れる非日常的な存在の名探偵。世間の名声を得たいわけじゃなく、己の欲求──謎への欲求を解くために生きる存在。そんな架空の名探偵が活躍する小説が、読んでて楽しくて仕方がない。

 もっとも、この『挨拶』は比較的日常的な謎をテーマにしているようだった、だが日常の中に潜む謎が、実は事件に繋がっていたというのも面白い。現実にありそうと思えるような、リアリティのバランス感がとてもいい。

 どっちにしろ事件が起きているのだから、それはもう非日常なのだが。


「非日常への憧れかな……。でも僕が目指しているのは、平穏な日常なんだ」


 僕の掲げる信条、平穏な高校生活を送ること。それは非日常とは相反する。僕の好きなフィクションのような存在は、そこにはない。ないはずだ……。


「斎無さんは、どうして僕にこの小説を薦めたんだろう……」


 僕の身近にある非日常な彼女のことをふと思い出す。自らを名探偵だと豪語する彼女が、僕にこの本をオススメしてきた意図はなんだろう。単に好きな本だから? それとも日常の中に潜む謎を取り扱った小説だから?

 斎無さんの探偵ごっこは日常の謎を追うスタイルだ。『椅子すり替え事件』も『タバコの吸い殻発見事件』もそうだ。この小説と同じ……と言ったら小説に失礼か。この小説と方向性は数ミリ程度は合っている気がしないでもない。


 示唆的なものを感じる。そう思うのは僕の考えすぎだろうか。斎無さんと言えば自称名探偵の迷探偵だ。そこまで深く考えていないかもしれない。だがそれは探偵としての斎無さんの評価であって、一人の人間として斎無さんはスペックが高いのも事実だ。

 友達が多く、社交的で、容姿端麗で成績もいい。僕に持ってないものばかり持っている。事件の答えを弾き出す推理こそ明後日の方向を向いているが、その観察力と人の心を読む力は高い。


「斎無さん……僕にはわからないよ。君がどんな意図でこの本を僕に薦めたのか……」


 斎無さんならきっと「他人に興味が無さすぎるわ」と怒っていることだろう。実際今日言われたばかりだ。僕は陰キャで自分のことばかり考えて、周囲の気持ちを考える余裕なんてない。

 その癖周囲の顔色を伺うようやヤツで、懊悩した日々を過ごしている。こんな僕に他人の気持ちを考えろなんて、無理難題を押し付けられても困る。

 けど、そんな自分を変えたいと思っているのも事実だ。僕は脱陰キャを目標に掲げて平穏な高校生活を送ることを目標にしている。変わりたいと思っているのだ。陰気で陰鬱な日々から抜け出したいと、真剣に悩んでいる。彼女は僕に変わるチャンスをくれているのではないか?


「僕に考えろっていうのか……斎無さん。君の考えていることを、君の気持ちを推察しろって?」


 国語の問題でよくある『この時の登場人物の気持ちを答えよ』ってヤツだ。だが現実はもっと難しい。きっと答えはある。もしかしたら問題ですらないのかもしれない。

 それでも僕は考えることにした。斎無さんがしてくれたように、僕も斎無さんの好きなものを推理することにした。それがきっと、斎無さんの言う他人に興味を持つこと、脱陰キャの第一歩だと思って。


「ふわぁぁ……ねむ……」


 時計を見ると午前二時を迎えそうになっていた。これは完全に夜更かしだ。うちの学校には朝課外──通称ゼロ時間目がある。朝の六時には起きないといけないので、このままだと寝不足確定だ。

 まったく、どうしてうちの県の公立高校にはこんな面倒くさい制度があるのか。悪しき風習だなと思うけど、親に負担を掛けたくないから公立高を選んだのだ。仕方ないと思いベッドに横たわる。薄れる意識の中で斎無さんの顔と、オススメされた小説がぼんやりと頭に浮かぶ。

 寝る時まで斎無さんのことを考えてるなんて、これじゃあまるで恋する男子高校生だなと自嘲する。すっかり僕の日常の中に斎無さんが溶け込んでいた。

 全く、困った迷探偵だ。


 ◆◆◆


 翌朝、というかあれからまだ四時間ほどしか経っていない。高校生の宿命として、朝になると起きなければならない。普段より睡眠時間が減ったせいか、その日は一日中眠かった。当然だ、四時間しか寝てないのだから。


 授業なんて聞いてられなかった。寝ないように必死に目を開け続けるだけで精一杯、授業内容なんて何一つ覚えてない。放課後にノートを見返すと、ミミズの走ったような文字が書かれてあって、睡魔の恐ろしさにゾッとした。

 そういえば昼休み、僕は何をしてたっけ……。立川くんたちに昼飯を誘われたけど、あまりの睡魔に断って寝たのは覚えてるけど……。変なことを言ったりしなかっただろうか心配だ。


「どうしたの、元気がないようだけど」


 ようやく授業から解放されて、眠気も収まってきたところで帰りの準備をしている斎無さんに話しかけらえた。


「あぁ、斎無さん。読んだよ『挨拶』……」

「一晩で読み切ったのね。だからあんなに眠そうなんだ。夜更かしはダメよ玄間くん、健康に悪いわ。日中のパフォーマンスも落ちるし」

「身を持って体感したよ……」

「玄間くん、授業中白目剥いてたわよ。何事かと心配しちゃったじゃない」

「ぼ、僕白目剥いてたの? 寝ないように我慢したつもりだったけど、逆に変顔しちゃってた?」

「変顔というか、悪霊に乗っ取られるのを耐えてる感じだったわね」

「もうジャンルがホラーじゃないか」


 もしかしたら他にも僕の顔を見た人がいるかもしれない。先生たちも薄々気付いていたのではないかな。これからは夜更かししないように気を付けよう。


「それで、夜更かしするほど面白かったのかしら」

「うん、夢中になって読んじゃったよ。短編集だけど読み応えがあっていいね。僕は音楽クラブの話が面白かったかな」

「『疾走する死者』ね。あれは中々いいトリックだったと思うわ」


 あれ? てっきり斎無さんはこの話が一番好きだと思ったんだけど、反応が芳しくない。トリックを考える話だから、斎無さん好みの事件だと思っていたんだけど……。


「あとあれもよかったね、紫電改の話。なんだか不思議な話だったよね。ある意味ロマンのある話っていうかさ」

「そうね。詐欺師の話なのに、爽やかな読了感があったわ」

「なんていうか、あれこそ日常に潜む謎って感じだね」


 僕の言葉に、斎無さんの眉根がピクリと反応した。おや、もしやこれはヒットか?


「そうね。日常の中にある謎も、たまには悪くないわ」

「え?」


 斎無さんの口からそんな言葉が出るなんて意外だった。どちらかと言えば、日常の謎を追い求めている斎無さんにとって、紫電改の話こそ好きそうに思ったんだけど……。

 だめだ、僕にはまだ斎無さんの真意が読めない。斎無さんのことをもっと知る必要がありそうだ。

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