第12話 犯人は……
「犯人はあなたよ、玄間くん」
嫌な予感はしていた。斎無さんに事件の捜索を誘われた時から……いや、学年集会が開かれた時から嫌な予感はしていた。
それは漠然とした不安だった。どうしよう、どうしようという抽象的な不安だった。だけど今確信した。僕が感じていた不安は、目の前の彼女が原因だ。
この自称名探偵、斎無紗奈絵が原因なのだ。安達先生の怒りも、立川くんの心配も、僕にはなんてことなかった。ただ一つ、斎無さんがタバコ事件に興味を持つことが不安だった。
どつせこうなるだろうと予想はついていた。彼女はあらゆる証拠を集めた上で、僕を犯人だと言い切るのではないか。そんな確信めいた予感があった。
「……一応、理由を聞いてもいいかな」
平静を装った声で僕は尋ねる。今回の『タバコの吸い殻発見事件』には。僕は一切関わっていないはずだ。それなのにどうして斎無さんは僕を犯人と言うのだろう。
「この状況で言い逃れ出来ると思っているのかしら、玄間くん」
「この状況って、どういう状況のことかな」
「至近距離で密着している状況よ」
斎無さんは僕の目の前で、それこそ文字通り数センチほど先にいる彼女は僕に真っ直ぐな視線を向けてきた。
僕たちは今、職員室のドアに体を預けている。廊下から職員室の中の会話を盗み聞きするためだ。そして僕のいる位置だとドア越しの声が聞こえやすいということで、斎無さんは僕のすぐそばまで身を寄せている。
お互いの呼吸さえ感じ取れるほどの距離。そんなゼロ距離の状況。この状況だからこそ、僕が犯人だと言い切れるというのか。
「玄間くん、あなたは気付いてないのかしら。それとも誤魔化せてると思ってる? あなたから微かにタバコの匂いがするわ」
「えっ?」
言われて僕は自分の制服を嗅ぐ。しかし自分の体臭というものは、自分では感じ取れないものだ。スンスンと鼻を鳴らしても、自分からタバコの匂いがするのかわからなかった。
「なるほど。真っ先に制服を嗅いだということは、あなたがタバコを吸ったわけじゃなさそうね。誰かが吸っていたところに居合わせたってところかしら」
「はっ……! か、鎌をかけられた!」
今のはハッタリだったのか!?
「身に覚えがないなら、そもそも自分の体臭を嗅ごうとしない。タバコを吸ったのなら、口臭を気にするはず。そしてあなたは制服の匂いを嗅いだ。つまりあなたは。タバコの煙を浴びた……受動喫煙していたのよ」
「そ、そんなの当てずっぽうだよ……。タバコの匂いがするって言われたら、誰だって自分の服を嗅ぐよ。僕自身は喫煙者じゃないから尚更そうする」
「そうかしら。普段のあなたなら『タバコなんて吸わないし、吸ってる人にも近づかないよ斎無さん』とでも言いそうだけど」
確かに言いそうだ……僕のことをよく分かっている。斎無さんって、観察眼はすごいんだよなぁ。これで推理さえ合っていれば、迷探偵じゃなくて名探偵になれるのに。
ここで表明しておくが、僕はタバコを吸っていないし、タバコを吸った人間にも近づいていない。斎無さんの推理で言う受動喫煙者ではない。だから斎無さんの推理は間違っているんだけど、目の前で僕が犯人だと断言されるのはドキっとする。
決して斎無さんの顔に見惚れていたとかではない。純粋に自分の立場が危うくなってきたから、緊張しているだけだ。
「……ねぇ、斎無さん。もしかしてだけど」
「なに?」
「こうやって、僕に密着するために職員室に来たの? このシチュエーションを作り出すために」
「半分正解。もう半分は、さっきの安達先生の言葉を聞かせるためよ」
斎無紗奈絵……なんて恐ろしい女の子なんだろう。それじゃあまるで、最初から僕が犯人だとわかっていたみたいだ。
僕を追い詰めるために、今まで証拠や根拠を僕に見せて、そしてフィナーレに先生たちのいる職員室の前で、僕を犯人だと糾弾したというのか。
なんて探偵根性の逞しい子なんだろうと、感心してしまいそうだ。いや今の僕の状況はまるで笑えないのだが。
「僕が犯人って思ったのは、いつから?」
「最初から。学年集会が終わった後よ」
「そ、そんな前から?」
学年集会が終わった後というと、斎無さんと会話さえしていなかった時間だ。その後斎無さんが「謎の匂いがする」と言って、僕たちは事件の捜索をすることになった記憶だけど……。
「まさか僕に話しかけた時点で、僕を犯人だと決めつけてたわけじゃないよね?」
「決めつけじゃないわ。推理よ」
「どっちにしても嫌だよ……なんで僕が犯人だって疑われなきゃいけないのさ。あの時点でタバコの匂いがしてたの?」
「語るに落ちたわね玄間くん。自分からタバコの匂いがすると認めた、今の発言はそう解釈していいかしら」
「ああもう……面倒くさいなぁ……」
僕は観念して、斎無さんに話すことにした。僕が隠していた事実を。僕が疑われる理由になっただろう要素を、斎無さんに話そう。
「どうしたの玄間くん、きゅ、急に服を脱ぎ始めて……」
「いいから。ちょっと待ってて」
「いやダメよ……。玄間くん、人が見てるわ……そんな、確かにミステリーの中にはそういう描写がある作品も多いけど、白昼堂々はさすがに……」
何を言っているのだろうか、この迷探偵は。まさか僕がこの場で斎無さんを襲うとでも思ったのか。そんな行動を起こすはずがないだろうに、僕は陰キャだぞ。目立つ行動を起こすはずがない。
第一、僕は斎無さんを異性として見ていない。この状況でドキドキしているが、それは男子なら誰でもそうなるだけで、僕個人が斎無さんに抱いている印象はヤバいやつというものだ。
「ほら、これ。証拠なんでしょ、確認してよ」
僕は学ランを脱いで、斎無さんに差し出した。斎無さんはキョトンとした顔で僕の学ランを受け取ると、しばらく僕の顔と学ランを見比べたりしていた。
「ま、まあ証拠の確認は大事よね。うん、確かに確かに。そうよね、うん」
気のせいだろうか、斎無さんの顔がいつもより赤い。いや気のせいじゃない、斎無さんは案外ムッツリだ。しかしそんな情報をゲットしたところで、全然嬉しくない。というか女子とそういう雰囲気になるのがひたすら気まずい!
「僕の制服、嗅いでみて」
「なんだか変な感じにならないかしら。絵面的に」
「僕は自分の言った言葉が、変態的に思えて後悔してるよ」
学ランを脱いで少し肌寒い。ここ数年、四月上旬はすっかり暑くなっている。しかし今は夕方で、しかも職員室のあるこの廊下は夕陽が当たらない。つまり陰になっているわけだけど、これが結構冷える。
ワイシャツだけでは、四月の夕方を過ごすのは無理そうだ。
ちなみにうちの高校では学ランの下に着る服はワイシャツである必要はない。柄物のシャツを着てもオーケーである。ただし目立つ色──赤とかは禁止されている。
僕がワイシャツを着ているのは、別に真面目だからとかそんな理由ではない。着る服がないのだ。別に家が貧乏とかではなく、外に来ていく服を持っていないという意味である。なにせ友達がいないので、外行き用の服の枚数が少ない。
部屋着ならいくらでもあるのだが、どれもくたびれてたりセンスが無いシャツだったりで、体育の着替えとかで見られることを考えるととても学ランの下に着て来れるものではない。
一応無難なTシャツは持ってるが、一着しかない。だからそのTシャツは体育のある日に着て、それ以外は学校指定のワイシャツを着ているのだ。
なぜうちの学校は原則ワイシャツにしてくれなかったのだろう。それなら服選びなんかで迷わずに済むのに……。
「ねぇ玄間くん……」
「あ、終わった? 寒いから早く返してくれると嬉しいんだけど」
「男子の服を嗅ぐの……初めてだから恥ずかしいのだけれど」
「知らないよ、さっさと終わらせてよ……!」
なんでこんなどうでもいい場面で、ちょっと女子っぽい反応を出すのだろう。そういうことをするから、僕の方も少し意識してしまうのだ。全く、容姿がいいせいでそういう反応をされるとこっちも困る。
「スンスン……。なるほど使い始めの新品の匂いと、消臭剤の匂い……そして微かにタバコの匂いがするわね」
「そのタバコって、紙タバコとか電子タバコとか、判別つくかな」
「わからないわ……。でも、煙くさいわけじゃない……紙タバコでは無さそうね。そして電子タバコなら、こんなあからさまなタバコの匂いはしない……って聞いたことがある。つまりこの匂いは……加熱式タバコの匂いってことかしら」
「そうだったんだ。これが加熱式タバコの匂いだったんだね」
僕は加熱式タバコと電子タバコの違いもわからない人間だ。自分の制服に染みついたタバコの匂いが、どの種類のタバコ由来なのかさえわからなかった。
「それは変ね。あなたはタバコの煙を浴びたんじゃないの?」
「僕は煙を浴びてないよ。その制服が浴びたんだ」
「どういうことかしら。これは玄間の制服でしょう。この制服がタバコの煙を浴びたのなら、玄間くんもそうだったはずよ」
「兄さんが吸ってたんだよ、タバコ」
「お兄さん……?」
言っておくが、この学ランが兄のお下がりという話ではない。斎無さんの言う通り、この制服は僕の入学のために買った新品の制服だ。
新品の制服からタバコの匂いがした。しかし本人は吸っておらず、兄が吸った。これが僕の提示できる情報だ。
「昨日、僕の兄さんが突然家に帰ってきたんだよ。大学が休みとかで、暇だからって言ってたよ。大学の春休みは長いって聞くけど、流石にもう終わってるよね」
「お兄さんの年齢は?」
「大学二年、二十歳だよ。今週誕生日だったんだ」
「へぇ、二十歳なの」
「ちなみに兄さんは、高校は中北間高校だったよ」
「偏差値は普通、部活も普通のありふれた高校。制服の色がグレーなのが特徴と言えば特徴ね」
「で、中北間は成績も部活も普通だけど、不良がそこそこいた。それこそ未成年で飲酒・喫煙なんか珍しくもなかったって聞いたよ」
「聞いたって珍しいわね。玄間くんが人から情報を貰えるなんて。別の高校の情報を提供してくれる知り合いがいたなんて驚きだわ」
「いや兄さんから武勇伝のように聞かされただけなんだけどね……」
今の時代、不良なんか自慢話にもならないと思うのだけど、やってる本人たちは楽しいんだろうな。僕は不良とか人間関係の面倒くささが詰まってそうだし、絶対やりたくない。やる勇気もない。
不良の兄がいるせいで、こんな陰キャに育ったのではないかと思ってしまう。それくらい不良にはいい印象がない。
「それで何が言いたいのかしら。中北間高校の話があなたの学ランに関係あるのかしら」
「あるよ……ガッツリね」
「お兄さん絡みの話?」
「話すと愚痴で長くなるから、簡潔に話すね。実家に帰ってきた兄さんは、大学の友達や高校の友達を誘って家で遊んでたんだ。高校時代、友達を招いてた部屋で、タバコを室内で吸ったりしてね。ひょっとしたら、酒も飲んでたかもしれない」
「それは玄間くんにとって、災難だったわね。家にそういう人間がいると、息苦しく感じたんじゃない?」
「まあそこまでは許すさ。夜中なのにうるさいなとか思ってたけど、寝る時にノイズキャンセルイヤホンをつけて寝たから我慢できたよ」
「じゃあなにが許せなかったのかしら」
「兄さんが使った部屋が、現在僕が使ってる部屋ってことだよ。学校のバッグとか、制服とか部屋に置きっぱなしのまま、兄さんに部屋から追い出されて、僕は両親と同じ部屋で寝る羽目になったよ……」
高校生にもなってパパママと一緒じゃないと寝れないのかな? と兄の友達に言われた時は流石に怒りが湧いた。だが相手は金髪で筋トレもしてそうで、しかも四歳年上だった。僕はなにも言えずに自分の部屋を開け渡すことになってしまったのだ。
そして翌朝、自分の部屋を確認すると最悪の出来事が起きていた。
臭い! 臭かった! 酒とタバコと、あとゲロとか色々な匂いが混ざった匂いが充満していた。僕は急いで制服と鞄を取り出して、匂いを嗅いでみた。そして愕然とした。タバコ臭いのだ……。
消臭剤を噴射して誤魔化せないか頑張ったけど、こうやって斎無さんにはバレてしまった。意味のない努力だったわけだ。
「つまり僕のタバコの匂いは、兄さんが僕の部屋でタバコを吸ったからついた匂いなんだ」
「なんだか気の毒だわ……でも、そうなるとおかしくないかしら」
「なにが? 斎無さんの推理?」
「吸い殻よ。発見されたタバコの吸い殻は誰のものなの?」
「そういえばそっちの犯人は分からずじまいだね」
「おかしいわ。これは謎よ、とても謎だわ。玄間くん、何かまだ私に隠してる情報があるんじゃないの?」
斎無さんは訝しむ表情で僕に詰め寄った。参ったな、僕にはこれ以上出せる情報はないんだけど……。
そんな風に困っていると、ドアの向こう側から声が聞こえてきた。職員室の会議に進展があったようだ。
「しっ……! 斎無さん、ほら……先生たちが何か喋ってる……!」
僕も斎無さんも職員室のドアに身を委ねる。複数人の大人が声を大にして喋っている。
「安達先生、困ります!」
声の主は教頭先生だろうか。入学式で挨拶の言葉を聞いたきりだから、声だけじゃ判別がつかない。
「前にも言いましたよねえ。部室棟での喫煙は禁止! 職員は所定の場所でのみ喫煙出来るって!」
「ほんま、すんません」
「昼休みに五時間目の授業の準備をして、頑張ってらっしゃるのはわかります。でも休憩がてら、部室棟でタバコを吸うなんてダメに決まってます! あまつさえ自分の吸い殻だと気付いてなかったなんて……」
「いやあ、普段は喫煙所の灰皿に捨てるんですけど、あん時は灰皿もなかったけん、ポケットに突っ込んだんです。ひょっとしたら、部室棟から帰ってくる時にポケットから落ちたんちゃいますか」
「ちゃいますか、じゃありません! 反省してくださいね」
「すんませんでした、教頭先生」
……これが事件の犯人? 安達先生が? あれだけ人を怒鳴りつけておいて、全ての元凶は安達先生自身だったというのか。
僕は困惑しながら斎無さんの表情を伺う。
斎無さんは、やれやれといった感じで肩をすくめている。いやそんな海外ドラマみたいなリアクションを取られてもね……。
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