第5話 事件の真相
教室を出た後、僕たちは校舎の外まで来た。校庭には部活動に励む生徒が大勢いる。
もしかしたらあの中に僕のクラスメイトもいるかもしれない。
「それで斎無さん。一体どういうことなのかな」
「ねえ黒間くん。世の中には知らない方が幸せな真実もあるとは思わない?」
「そうだね。真実が人を幸せにするものばかりじゃないってのは、よくある話だよね。ところで椅子すり替え事件の真相って何だったの?」
「人の話を聞いてる?」
「僕の質問に答えてくれない?」
僕らは両者睨み合い、沈黙したまま数秒が経った。斎無さんはミルクティーをひとくち飲んだ。
僕も斎無さんにおごってもらった天然水を飲む。やはり天然水はおいしい、水道水とあまり違いがわからないけど。
「そうね。玄間くんは何が知りたいのかしら」
「何って……そりゃ全部だよ。先生と話してる途中、斎無さんが気付いたこと全部話してよ」
「そ、そうよね。やっぱりそこが気になるわよね」
斎無さんが気まずそうに頬をかく。さっきまであんなに自信満々に探偵ごっこをしていたのに、今では見る影もない。
「結論から言うと、犯人は玄間くんじゃなかったの……」
「いやそこは最初からずっと主張してたよね!? なんで急に考えを変えたの?」
「え、ええと。たぶん犯人は佐藤くん……と言っていいのかしら」
「佐藤くんって、あのサッカー部の佐藤くん?」
「正確にはサッカー部に入部希望の佐藤くんよ」
そういえば先生が言っていたな。椅子の交換をしてほしいと先生に言ってくれたのは佐藤くんだったと。
ということは、椅子すり替え事件の犯人は佐藤くんだったのか?
しかしなぜ佐藤くんが……? 僕の頭の中には未だ疑問でいっぱいだった。
「というかそもそも、これは事件じゃなかったかもしれないわ……」
「そこから違うの!? 事件とか犯人とか、あれだけ盛り上がってたのに?」
「問題を見誤ってたとしか言いようがないわ……。私のミスよ……」
「なんかカッコつけてるけど、素直に斎無さんの勘違いだったんだね」
「……そういうこと」
元々僕は犯人じゃないとわかっていたから、斎無さんの主張が間違っていると知っていた。
しかしそもそも事件ですらなかったと言われてしまうと、今までの時間はなんだったんだろうと思ってしまう。
「じゃあせめて、どうして椅子が入れ替わったのか。それをなぜ佐藤くんがやったのか教えてよ」
「それを説明する前に玄間くん、あなた教室で友達とお弁当を食べたことはある?」
「な、ないけど……。急に僕のメンタルを刺しにきてどうしたの……」
「安心して。私もないわ。だから今回のような、初歩的なミスを犯してしまったのね……」
「えーと、友達と弁当を食べることが何か関係してるの?」
というか斎無さんって、友達と昼飯食べないのか。なんだか意外だ。斎無さんのような美少女なら、大勢の友達に囲われて昼飯を食べてそうなものだけど。
「友達とお昼ご飯を食べる時、机をくっつけて食べる人がいるらしいわ」
「それは見覚えがあるよ。僕も中学の頃、遠くから見てたから」
「なんだか聞いてて悲しくなるわ」
「僕のことはいいから……。机をくっつけて、それで?」
「あなたが友達とご飯を食べるとして、机をくっつける場合、わざわざ自分の机を友達のところまで持っていくかしら」
「友達と昼飯食べないからわからないけど、そんな面倒なことはしないんじゃないかな」
「その場合、自分の机は持っていかず、友達の周辺の机を借りてくっつけるわよね」
「まあそうなるだろうね」
「それが答えよ」
「え?」
斎無さんの言葉が理解できなかった。友達の周りの机を使うことが、答え……?
僕には友達がいないのに、そんなことを言われてもわかるわけがない。
「つまりね。佐藤くんはお昼ご飯を食べる時、おそらく玄間くんの机でお弁当を食べたんじゃないかしら」
「佐藤くんはどうして僕の机で食べたの?」
「佐藤くんの友達が私たちの席の近くにいたのよ。それで私の席も佐藤くんの友達に使われてたんでしょうね、私たちは昼休み、教室にいなかった。いない人の席を使っちゃダメなんて決まりはないでしょう」
「それは確かにそうだけど……」
言われてみてようやく理解した。僕は中学の頃、他の人に自分の席を使われて困ったという経験をしたことがあったのだ。
昼休みに教室を一旦出て、しばらくして教室に戻ると知らない人が自分の席に座っていた。どいて欲しいと言うことが出来ず、再び廊下に出てふらふらと時間を潰した記憶がある。
その日以来、僕は昼飯を食べ終わるとすぐに自分の机で寝たふりをして過ごすようになった。
自分の席を使われたくないのなら、ずっと居座ればいい。そう考えてやったことだった。
しかし今日の僕は違った。同じグループのメンバーと一緒に学食に行ったことで、自分の席から離れてしまった。
その間に僕の席を別の人が使っていたというのは、考えてみれば全然あり得る話だった。
「佐藤くんは自分が使った椅子がガタガタだと気付いた。先生に交換してくれるよう手配してくれたのね。残念ながらまだ初日ということもあって、それが誰の席かはわからず玄間くんにまで話がいってなかったようだけど」
「ちょっと待って。今の説明だと椅子の入れ替わりについてまだわからないんだけど」
「これは完全に推測になるのだけれど」
そう前置きして斎無さんは言う。
「お弁当を食べ終わった後も、佐藤くんたちは私たちの席にずっといたんだと思う。理由はそうね、雑談でもしてたんじゃない? 友達と話す時に、彼らは椅子を寄せ合って、時には立って会話をして……。そのうち昼休み終了のチャイムが鳴るの。するとどうなると思う?」
「そりゃ、椅子を元に戻すだろうね」
「そこよ! そこで椅子のすり替え……いえ入れ替わりが起きたんだわ。みんなで集まって椅子も密集して、最初に自分が使っていた椅子なんて覚えていなかった。チャイムが鳴った時に座っていた椅子を、近くの机に戻したのよ」
「そっか。じゃあ椅子の入れ替わりはわざとじゃなくて……」
「偶然起きた出来事ってことよ。玄間くんの椅子が壊れていたのと、私の椅子にシールが貼ってあったことで事件にまで発展しちゃったのね」
「勝手に事件にしたのは斎無さんのせいだと思う」
「……つまり事件の真相はそういうことだったのよ」
斎無さんのその一言で、椅子すり替え事件は幕を下ろした。
結局これは事件ではなく、そこに悪意はなく、むしろ椅子の交換を頼んでくれたという善意まであった。
僕たちが勝手に事件だと思い込んだだけだったんだ。まあほとんど斎無さんの暴走だったと思うが。
◆◆◆
僕たちは帰り道が同じということもあって一緒に帰ることになった。
美少女と二人きりで下校なんて一ヶ月前の僕からしたらすごく羨ましいと思うかもしれない。
けれど今の僕が感じているのは気まずさだけだ。
だってあんなに名探偵のように振る舞った斎無さんの推理は、結局的外れだったのだから。
容疑者として疑われていた僕も、意味もなく慌てふためいたのも悪かったかもしれない。
「ごめんなさいね玄間くん。こんなことに巻き込んでしまって」
「それは別にいいんだけどさ……いや斎無さんの言い方がいちいち大げさというか、まるでミステリーみたいな言い方なのはなんなのさ」
自転車を手で押しながら、僕は気になっていたことを聞いた。あのミステリーから出てきたかのような喋り方は素でやっているのか気になっていたのだ。
「名探偵みたいでしょう?」
すごくクールなドヤ顔で斎無さんが答える。そんなキメ顔で言われても、あれじゃあな……、
「迷探偵だったよ。名じゃなくて迷、推理が迷子になってる方ね」
「なっ……」
斎無さんは不意を突かれたような顔をした。いやそんな心外なことを言われたみたいな顔されても困るんだけど……。
「く、玄間くん……言っていいことと悪いことがあるんじゃないかしら」
「いやでも、あんなに自信満々だったのに結局推理は外れてたわけだよね」
「そ、それはそうかもしれないけれど……。でも私の観察力は中々のものだったでしょう!?」
「細かいところに気がつくなとは思ったよ。それは素直にすごい」
「ふふ、そうでしょう。これこそ名探偵の証よ!」
「だから推理は的外れだったでしょ……。それじゃあただ単に妄想がたくましいだけだよ。まさに迷探偵だね」
「言ってくれるじゃない……」
そりゃこんなことに付き合わされたら小言のひとつくらい言いたくもなる。もっとも僕がここまで言えるのは、斎無さんに非があるとわかっているからだけど。
自分が悪くないとわかると強気に出る陰湿さに辟易しそうだ。脱陰キャへの道はまだまだ遠いなあ。
とかなんとか考えていたら、斎無さんは皮肉をこめた声で言う。
「玄間くんこそ、中々堂に入った容疑者っぷりだったわよ。自分が悪くないってわかってるのにあそこまで慌てふためいて……ふふ、思い出しただけで笑いそうだわ」
「それは、斎無さんが強気に出るから……!」
「つまり名探偵の雰囲気が出てたのね」
「無敵かな? 僕の意見は全部スルーしてる?」
この斎無紗奈絵という女、すっかり自分をミステリーの名探偵だと思い込んでいるが、その実ただの妄想癖強めの探偵ロールプレイをしてるやばい女だと確信できた。
最初に斎無さんに話しかけられた時点でやばいと感じていた僕の直感を褒めたくなる。
確かに探偵ごっこは楽しいかもしれない。被害者を追い詰めたり、自分の推理を披露するのは、日常の中で得られない快感があるだろう。
だが事件の真相が判明して自分の推理が間違っているとわかった後も名探偵ぶっているやつなど、もはや痛いとかやばいを通り越して危険極まりない。
今日はたまたま僕が犯人役にされたけど、今後は斎無さんと関わらないようにしていこう。かわいいけれど、それ以上に恐ろしい。
僕は平穏な高校生活を望んでいるのだ。スリリングな非日常など求めていない。
「玄間くん……改めて謝罪させてくれるかしら」
おや。風向きが変わったかな。流石に斎無さんも自分の間違いを認めて、探偵ごっこなんかやめる……いややめろとまでは言わない。僕を巻き込まないように考えてくれていると嬉しいんだが。
「今日は疑ってごめんなさい。でも私、とても楽しかったわ。あなたと一緒に事件の謎を究明していくのが、とても楽しかった……。こんなこと初めてなの……」
「何回もあってたまるか……」
「ん? 何か言ったかしら」
「いや、なんでもないよ……」
僕のことはそのへんの石ころとでも思って話を続けてほしい。いっそのことそのまま僕のことを頭の中から消し去ってほしい。そして今後、僕に話しかけないでほしい。
勘違いしてほしくないが、僕は斎無さんを嫌ってるわけじゃないってこと。
斎無さんとの会話はカロリーが高すぎて、もうお腹いっぱいってだけだ。もう高校三年分のカロリーを摂取したから、卒業まで話さなくていいかなって思っただけ。
そんな考え方だと友達が出来ないぞと言われるかもしれない。あいにく僕も別に斎無さんと友達になれると思ってないから、そこは気にしないでほしい。
とにかく重いのだ。斎無さんの存在感が。陰キャの僕にとって、斎無紗奈絵という少女の存在はカロリーが高すぎる。
「私、現実でこんなに誰かに探偵のようなことをしたのは初めてだった」
「むしろ何回かあったなら怖いよ」
「私の考えをべらべらと喋るだけなら、今までもあったわ」
「あったのか……」
「でもあなたは私の推理にしっかりと反論して、根拠を示してくれた。それが嬉しかったの……」
「いやそうしないと僕が犯人になるからだよ」
「あなたとの会話はミステリーのお話みたいで、とても非日常的で……」
「やってたことは妄想お披露目だったけどね」
斎無さんは僕の小言など耳に入らないようだ。すっかり自分の気持ちを語るモードに入ってしまっている。
これもまさか探偵ごっこの延長じゃないだろうな、と自転車を押す手に力が入ってしまう。
斎無さんがなんと言おうと僕は緊張しっぱなしで、とても非日常って感じじゃなかった。
自身の身の潔白を証明するなんて、ある意味非日常的体験は出来たが、それは全然ポジティブな意味での非日常ではない。
本当に肝が冷える思いだったよ。
「ふふ、妄想お披露目ね……確かにその通り。私の推理は……間違っていた部分も、まあ少しはあった……かも、しれないけれど」
「そこは認めようとしないんだね……」
「でも本当に……本当に」
自然と自転車を押す手が止まる。僕たちはその場に立ち止まっていた。他の通行人の邪魔にならないよう、自転車を道の端に寄せた。
斎無さんは目を閉じて、胸元に手を持ってくる。そしてひと呼吸置いてから、噛み締めるように呟いた。
「楽しかった」
「…………」
「だからもし、もし玄間くんがよかったらなんだけど……」
斎無さんの頬が朱色に染まる。何かとても大事なことを言いそうな雰囲気だ。
まさかな、と思いつつ僕は身構える。
自意識過剰だろうか。でも高校生の男女がこんなシチュエーションで言う言葉など、僕にはひとつしかわからない。
陽キャのみなさん、このシチュエーションで恋愛以外のセリフが出てくるのなら、その答えを教えてください。
「私と……私と……」
いや待てよ、友達になってくださいというパターンだな。そうだそうに違いない。
僕なんかが斎無さんから告白されるわけがない。そんなのはわかりきっていたじゃないか。
ならこのシチュエーションで出される言葉は、友達になろうというのが適している。
なるほど斎無さんの前後のセリフを思い出してみると、「楽しかった」「だからもしよかったら」「私と」と言っている。これは友達パターン説が濃厚だな。
なんて頭の中であれこれ考えていると、すっかり夕日と同じ色に染まった斎無さんの顔は、僕の眼前まで来ていた。
驚いて自転車ごとのけ反ってしまう。
さて斎無さんはなんて言うのだろう、とドキドキする心臓の鼓動を抑えようと努める僕だった。
そして斎無さんは言う。
「私とまた、事件を捜査してくれる?」
「は……?」
「ごめん、私ったら緊張しちゃって……。言い間違えてしまったわ」
「そ、そうだよね。言い間違いだよね」
「玄間くんさえよかったら、また犯人役になってくれるかしら」
僕は自転車のハンドルを握り締め、サドルに跨った。そして全力でペダルを漕いだ。自転車は加速して、僕は斎無さんからどんどん離れていく。
「嫌に決まってんだろー!!」
「な、なんで逃げるのよ〜!?!?!?」
◆ ◆ ◆
こうして入学初日、僕たちの最初の出会いは終わりを迎えた。
迷探偵・斎無紗奈絵と僕との最初の事件が終わった。結局事件ではなかったのだけれど、面倒臭いのでこれからも『椅子すり替え事件』として言うことにしよう。
自転車を漕いで数分。家に近づいてきて、現実に引き戻されるような感覚があった。
僕が意外だと思ったのは、安堵と寂しさを感じた自分がいたことに驚いた。
安堵だけならわかる。しかし寂しさを感じたということは、どういうことだろう……。
家の駐車場に自転車を入れて、玄関へと向かいながら、僕は斎無さんの言葉を思い出していた。
「楽しかった……か」
ひょっとして僕も、心の奥底では斎無さんとの探偵ごっこを楽しんでいたのだろうか。
だとするとあの時間、あの空間で僕は何を楽しいと思っていたのだろう。
誰かとこんなに話したのは久しぶりだった。それが楽しかったのか?
女子といっぱい話せたこと、それが楽しかったのか?
おそらく違う。僕が楽しいと思ったことはきっと、斎無さんが「楽しい」と言ってくれたことなんだ。
友達がいない僕には、一緒にいて楽しかったと言われることなんて今までなくて……。たぶんこれが、初めてだったからだ。
玄関を開けると、母の声が聞こえてくる。
「ただいまー」
「あらおかえり。学校楽しかった?」
「……うん、楽しかったよ」
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