第2話 椅子すり替え事件

 高校一年生、新学期初日の放課後。夕陽が差し込む教室、そこには僕と斎無紗奈絵という美少女の二人だけしかいない。

 これだけなら甘酸っぱい高校生的シチュエーションだが、実際は違う。僕と斎無さんの間にあるのは、緊張した空気だ。


「あなたが犯人よ、玄間くん」

「さっき自分が名探偵だって言ってたけど、探偵ごっこでもしてるの?」

「そんなわけないじゃない。私は真実を見つけたまでよ」


 クラス一かわいい女の子、斎無紗奈絵。ミステリアスな美少女である彼女から話しかけられて、最初はドキッとしたけど……これは引く。

 みんなは初対面でいきなり探偵ごっこを始める女を見てどう思うだろうか。僕は怖い。

 普通なら厨二病とか痛いヤツと思うだろう。斎無さんほどの容姿なら逆に様になるかもしれない。けれど僕は怖くて仕方なかった。

 だって、初めて言葉を交わしたと思ったら犯人扱いされた。しかも罪状不明だ。


 端的に言って関わりたくない。僕の中の陰キャセンサーが反応して、警鐘を鳴らしている。斎無さんと関わるとやばい。

 僕の平凡な高校生活を送るという目標が、早くも崩れ去りそうな予感がしてくる。


「反論はないのかしら。ならあなたが犯人だってことになるけれど」


 正面から斎無さんの澄み切った声が響く。その声は凛として、よく通る。声が大きいわけではないが、まるで心に直接語りかけるかのような鋭さがある。

 僕はそんな斎無さんの表情を伺う。

 大きな目が真っ直ぐ僕へと向けられていた。完全に僕を犯人と信じている。その瞳に吸い込まれそうになる……いや釘付けにされた。

 見惚れていたとかそういうのじゃなくて、どう反論したものかと考えていたのだ。


 必死に頭を回転させて、僕はゆっくりと口を開いた。

 ここで言葉に詰まったらダメだ。ゆるい言葉遣いで相手を威嚇しないように、そんなふうに考えながら……。


「いやーそうじゃないよ。いきなり何の話かと驚いただけ。びっくりしたよね、いきなり斎無さんに話しかけられたからさ」

「私に話しかけられる理由はない、そう言いたいのね」


 そうだけど、それだと僕が犯人みたいじゃないか?

 探偵に疑われてシラを切る犯人みたいじゃないか?

 これは言葉選びを間違えたかな、春休みのコミュ力強化訓練が足りなかったかなと反省してると、斎無さんは痺れをきらしたのか説明を始めた。


「入れ替わってたのよ。私の椅子が」

「椅子? 椅子って、授業で使う椅子? みんなの席にある、この椅子のことだよね」

「他になにがあるの? 自宅の椅子が入れ替わってたのなら、あなたに話しかける理由がないもの」

「そ、そう……」


 地味にキツい一言だった。つまり彼女が僕に話しかけたのは、隣の席のよしみとかではなく、今回の事件とやらが原因らしい。

 それがなかったら僕なんかとは会話もしなかったということか。

 脱陰キャを目指す僕と、クラス全員から人気の斎無さん。元々住む世界が違う人間だと思ってはいたけれど、直に言われると心にくるな。


「えーと、つまり斎無さんの席の椅子が入れ替わってたんだね?」

「そうよ、『椅子すり替え事件』と呼んでもいいかもしれないわね」

「だ、ださ……。とにかく、その椅子入れ替わり事件がどうして僕と関係あるのかな」

「『椅子すり替え事件』よ」


 面倒臭いな……。入れ替わりもすり替えも同じじゃないか。

 どうして僕が疑われなきゃいけないんだろう。斎無さんとは隣の席だけど、まだろくに会話もしたことがないのに。


 斎無さんと話していたクラスメイトはたくさんいたはずだ。それなのに話したことがない僕が疑われるということは、何か理由があるはずだ。

 ひょっとしたら、見当違いの可能性もあるけれど。


「僕を犯人って言うからには、根拠があるんだよね」

「ええ。あなたが犯人だと示すだけの推理は用意しているわ」


 へぇ……。なんだか面白くなってきたかもしれない。

 いや本当は全然面白くはないんだけど。他人に疑われるって、かなりストレスになる。身に覚えのないことなら尚更だ。


 だけど僕は、どうしてか斎無さんの推理を聞きたくなってみた。昨日クリスティの『スタイルズ荘の怪事件』を読んだからかもしれない。

 現実の謎解きがどんな風に行われるのか興味が出てきた。


「推理を披露する前に玄間くん、私の椅子に座ってみてくれるかしら」

「え、いいの?」

「別に立ったまま話す必要はないでしょ? ほら、どうぞ」

「うん、ありがとう。斎無さんって意外と気が効くんだね」

「意外は余計よ、心外だわ」


 僕の中で斎無さんの印象がやばい女から、案外いい女の子に変わろうとしていた。

 だがそんな考えは彼女の椅子に座った瞬間に吹き飛んでしまった。


「こ、これって……!」

「どう? わかったでしょう。私があなたを犯人だと思った根拠が」

「そ、そんな……どうして……」


 せっかく春休みに頑張ったハキハキと喋る練習も、この衝撃の前には無意味だった。

 僕の口からは微かに声が漏れるばかりで、上手く声を発することができない。だって……。


「これって……僕の椅子じゃないか!」


 それは間違いなく、僕が座っていた椅子だった。正確には、僕の席にあるはずの椅子だ。

 体重をかけるとガタガタと不安定になる椅子だ。確かにこれは、僕の使っていた椅子で間違いなかった。

 衝撃で喋ることも忘れている僕に、斎無さんはこう言った。


「私が見たところ、クラスの中で不安定な椅子に座っているのは玄間くん、あなただけよ」

「えっ。斎無さんはどうしてそんなことまで知ってるの」

「だって午前中、あなたはしきりに椅子を揺らしていたもの。気になって仕方がなかったのよ。だから覚えてるし、気になってクラスのみんなを観察したけれど、他の人は平気そうだったわ」

「そっか。ちなみに斎無さんの椅子は?」

「私もいたって普通の、ガタガタ揺れない普通の椅子だったわ」


 斎無さんの顔は、依然冷めた表情のままだった。


「『だった』ってことは……途中から変わったんだね」

「ええ。午後になってから、そのガタガタの椅子に変わっていたのよ」

「そっか。それなら、僕の椅子と斎無さんの椅子が入れ替わったのは間違いなさそうだね」

「そうとも言い切れない。あなたが午後から座っていた椅子は、私の午前中使っていた椅子とも限らないわ」

「え? どうして? だって僕の椅子が斎無さんの席にあるなら、僕の席に斎無さんの椅子があることになるよね」


 仮にこの椅子が本当に、午前中まで僕の使っていた椅子だとしよう。認めよう。

 だがそうなると当然、行方のわからない斎無さんの椅子は僕の席に置かれていることになる。

 間違ってないと思うけど……。


「私の椅子は他のクラスメイトと同じ、いたって普通の椅子よ。このガタガタの椅子と違って、私が午前中使っていたものだと断言できる要素がないの」

「でも僕の席からガタガタの椅子が無くなって、今は普通の椅子があるってことはそういうことじゃないかな」

「全くの別人の椅子が置かれたとしたら?」

「えっ?」


 どういうことだろう。なぜそこで全く関係ない第三者の話が出てくるんだ?

 斎無さんは僕を犯人と言ったくせに、そこに第三者が出てきたらそいつが犯人じゃないのか?


「不思議そうな顔をしているわね。じゃあ今度は自分の椅子に座ってみてくれる?」

「う、うん」


 斎無さんに言われるまま、僕は斎無さんの椅子から立ち上がり、隣の自分の席へと行く。そして椅子を引いてからその椅子に座った。


「座ったけど……」

「どう? なにか変なところとかない?」

「ないね。ガタガタしない普通の椅子だよ。そっか、おかしいと思ってたんだ。午前中はあんなに不安定な椅子だったのに、午後からは全然ガタガタしないなって思ったんだ」


 僕はてっきり、自分が緊張して落ち着きがないのが原因だと思っていた。

 そして午後からはある程度友達も出来たし、安心したから椅子を揺らすようなことをしなくなったと自己分析していた。

 けれど違ったんだ。ガタガタしなくなったのは、僕の椅子が斎無さんの椅子と入れ替わっていたからだったんだ!


「斎無さん、事件の大枠はわかったよ。それでも僕にはまだ、自分が犯人だと疑われる理由がわからないんだけど」

「そう、じゃあその椅子の裏を見てもらえる?」

「裏?」


 言われて僕は椅子をひっくり返した。掃除の時間に椅子を裏返して机の上に乗せる時のように、僕は裏返した椅子を自分の机に乗せた。


「あれー? これ、なんだろう。シールかな……」

「そう、それは『ぷにゃもんシール』よ。国民的アニメのキャラクターが描かれたシール」

「かわいいシールだね。それにやけにピカピカ光ってる。レアなの?」

「ええ。パンについてくるおまけシールだけど、そのウルトラレアは激レアよ。二〇〇円で買ったパンのおまけなのに、一万円で買取されるくらい激レアなの」

「そ、そんなに」


 ぷにゃもんって確か、ゲーム原作のアニメだよな。小学校の頃はやってたけど、対戦する友達がいなくてすぐやめたんだった。あまりいい思い出のないゲームだ。


 それはそれとして、このシールが激レアなのはわかった。そんなものが僕の椅子の裏に貼られていることもわかった。


「それ、私が貼ったのよ。朝、自分の席に来てすぐに」

「なんで? 激レアなんでしょ?」

「お金が欲しいわけじゃないもの。これから一年間、この席で頑張るってゲンかつぎに貼ったのよ。椅子の裏だと先生にバレないだろうし」

「掃除の時間、先生いないもんね」


 斎無さんに意外とかわいらしい趣味があることがわかった。

 しかしまだわからないことがある。このシールがなんだというのか。


「つまりこのシールが僕の椅子に貼られてるってことは……」

「それは午前中私が使っていた椅子ってことになるわ」

「そ、そっか。そういうことか」

「ちなみにそのシールが本当に私が貼ったか、証拠もあるわよ。そのシールの台紙よ」


 斎無さんはポケットから薄い紙を取り出した。その紙には僕の椅子に貼られているぷにゃもんシールと同じ絵柄がモノクロカラーで描かれていた。

 間違いなく、椅子に貼られたシールの台紙のようだ。


「掃除の時間、あなたの椅子にこのシールが貼られていたのを見つけたの。隣の席で助かったわ。すぐ見つけられたから。すぐに見つからなくてもクラス全員の椅子を探す予定だったけれど」

「そ、そうなんだ……」


 そんなに好きなシールなのか、ガタガタの椅子に入れ替わったことによっぽど怒っているのか……。


「ここまで言えばわかるわね、玄間くん」

「なにが? 僕と斎無さんの椅子が入れ替わってるってこと?」

「違うわ。さっきも言ったでしょう、この事件は『椅子すり替え事件』だって」

「いや偶然入れ替わってた可能性もあるよね」

「そうかしら。あなたは午前中、ずいぶんと椅子をガタガタさせていたわね。新しい環境に入って緊張してたのかしら」


 図星だ。斎無さんにそこまで見られていたとは、なんだか恥ずかしい。


「あなたはただでさえ緊張していた。そして最悪なことに、これから一年を共に過ごす椅子がガタガタで不安定だった。だからあなたは自分の椅子を他の人の椅子とすり替えたのよ。まだ入学初日で、みんな自分の椅子って自覚がないこの時期を狙ってね。おかげで午後のあなたは落ち着いていたわね。反抗をやり遂げた達成感かしら、それとも安心感?」

「掠ってはいるんだけどね」


 僕は午後から、確かに達成感に満ちていたし、安心していた。だがそれは高校デビューが上手くいった達成感からだ。

 新しい友達が出来たことと、これから上手くやっていけそうということに安心したからだ。


 斎無さんの推理は確かに見事なものだ。いや、推理というより観察力、洞察力とでも言おうか。

 だが肝心なことに犯人を見極める能力が足りていない。間違っている。


 なぜなら僕は知っている。僕自身が犯人じゃないってことを。


「それは違うよ、斎無さん」


 僕は証明してみせる。初日から言い掛かりをしてきた斎無さんに、自分の無実を証明してやるんだ!

 そしてこんな探偵ごっこしてる変な女から、とっとと逃げるんだ!

 僕が望んでいるのは、平穏な高校生活なのだから!

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