第21話 キスしていい?

「なにも……知りませんでした」

「そりゃわかんないよ。悪事は露呈しないもんなんだから」


 励ますように、いたわるようにアイトが背中を撫でてくれますが、気分は陰鬱としたままです。


「王太子殿下はセシリアを最大限警戒してて暗殺計画までたてていたようだけど……」

「暗殺計画⁉」


 素っ頓狂か声が出て、カップが揺れました。いけません、このままではこぼしそうです。私は動揺を落ち着けるためにもお茶を飲み干しました。


「だけど心配しなくても失敗するから大丈夫とは伝えている。それよりなにより神殿には絶対近づくなって」


「失敗……するのですか?」


 私が目をぱちくりさせて尋ねたのですが。

 アイトは特になにかを答えてくれるわけではありませんでした。


「できればさ。テオドアをずっとサザーランド領においておきたいんだけど」

「私を、ですか?」


「だって、神殿にいるより幸せそうだ。安全だし」


 ぎし、と。

 わずかにソファがきしみます。


 アイトが背もたれに上半身を預けたからでした。その姿勢のまま、私を眺めています。


「王都にいたときは、いつも魔物と戦って。それ以外のときは神殿の奥で祭事をしたり、聖典を読んだり……」

「それは聖女なのですから当然です」


 聖女とは、大神ミハリエルから授かった聖なる力を用いて国土を平らかにし、大神ミハリエルの御言葉を国民に伝えることです。


 そのためには魔物と戦わねばなりませんし、間違ったことを国民に伝えてはいけませんから聖典を熟読せねばなりません。


「融通の利かない子だなって、天界で見て思った」

「う」


 つい変な声が漏れたのは、それがイーリアス殿下いわく『辛気臭い』につながるからでしょう。


「これは性分ですから仕方ありません」


「君が命懸けで魔物と戦い、視力を悪くしてまで聖典を読んでいるとき、世間の同世代の子たちはメイクを楽しんだり、おいしいもの食べたり、恋人と仲良くしたりしてるのに」


「そういう誰かの幸せを作り出せているのだと思ったら、こんなにやりがいのあることはりません」


 聖女とはそういうものです。

 国民のために戦い、国土を守るために死ぬのです。


 代々の聖女は短命で、その力が尽きるときは天に召されるときと決められていました。


 聖女となり、神殿で生活をして。

 私はそのことをまず教え込まれたのです。

 

 それ以外のことで、私は誰かを幸せにするすべを知りません。


「俺もずっとそう思っていた。前世で」


 ふとアイトがそんなことを漏らします。

 私はもう空になったマグカップを両手で包んだまま、彼を見ました。


「ちょうど世界的に新型感染症が広がってもう……医療機関がパニックになったころでさ。

 みんなが未知のウイルスを恐れて家の中に閉じこもっても、医療職や介護職、運送業なんかは止まれない。最前線で走り続けなくちゃいけなくて……。

 誰かがやらなきゃいけないんだってずっと思って頑張ってきたけどさ」


 アイトはわずかに唇に笑みをにじませますが。

 それがとても自嘲的でした。


「俺じゃなくてもいいんだよ。バカだよなあ、ほんと。

 あのときは、家族持ちや子持ちの看護師がどんどん辞めて……。仕方ない、こういうときはひとりもんが頑張んなきゃって必死になって……。病院をとめるわけにはいかなくて……。後輩に負担はかけられないから、率先して自分がなんでも引き受けて。だけどさ」


 はは、とアイトは乾いた笑い声をたてました。


「自分がいなくても、世界はまわるんだよ。俺は自分の命を懸けてまでなににしがみついてたんだろうって思ってさ」


「アイトは、自分の命を挺して、誰かの日常を守ったんですよ」


 気づけば私は前のめりになってアイトに伝えていました。


「誰からも感謝されないどころか、気づいてもらえないこともあったかと思います。ですが、あなたの背中の後ろで守ってもらえた人がたくさんいたのです。

 その人たちは、あなたという背中がなくなってから、自分に吹き付ける風を感じ、ようやくあなたの存在意義に気づくのです。いえ、ひょっとしたら」


 私はぎゅっとマグカップを握りました。


「そんな風など感じないかもしれません。なぜなら、あなたはそんな困難さえ、解決して見せたのです。

 だからこそ、あなたの背後にいた人たちは心安らかに、なんの憂いも心配もなく暮らせているのです。誰も気づかないことこそ、あなたの最大の功績です。アイトは素晴らしいことをしました」


 一息にそこまで伝えましたが。

 慌てて付け加えます。


「だけど自己犠牲はいけません! 自分だけが我慢をすればいいのだとか。自分がやればいいんだというのを、美談にしてはいけないのです。

 そうじゃないとアイトは……。そうですアイトは命を失うほどがんばってはいけないんですよ⁉ それはいけません!」


 わたわたと言葉をつづけるのですが、話せば話すほど何を言っているのかわからなくなってきます。額からは汗がにじみますし、いったい自分はいま、何を言っているのかと困惑していたら。


 アイトが急に小さく吹き出し、声をたてて笑い始めました。


「あの……アイト?」

「俺もさ、テオドアを見ておんなじことを思った」


「え?」 

 目を瞬かせる先で、アイトは続けます。


「天界でテオドアの仕事ぶりを見ててさ、おんなじことを思ったんだよ。だからさ」

 アイトは笑みを浮かべたまま私に言いました。


「テオドアを守ってやらなきゃって。この子を幸せにしてやりたいって思ったんだ」


 ぎし、とまたソファが揺れました。

 アイトが上半身を起こしたのです。


 ゆっくりと。

 本当にゆっくりと。


 慎重に。

 静かに。


 アイトは私に近づき、囁くように言いました。


「君をずっと見てて、だんだん好きになったんだ」


 私は……。

 なにも言えません。動くこともできません。


「テオドア」


 アイトの右手が伸び、私の髪を撫でてから首の後ろに回ります。


 彼の指が私の首に少しふれ、知らずにぴくりと肩が跳ねます。

 なだめるようにまた彼は私を撫で。


 そっと。

 本当にそっと引き寄せられ。


 私と。

 アイトの唇は、触れる寸前で止まります。


「キスしていい?」


 彼の言葉が唇をなぞり。


 私は無言のまま。

 ほんの少しだけ。

 首を縦に振ろうとしたのですが。


 ぽつり、と。


 なにか水滴が落ちる音がして反射的に顔を部屋の中央に向けます。


 ぽつり、ぽとり、と。


 まるで雨漏りのように黒い水が天井からしたたり、それは次第に細い人影のような形をとりました。


 そしてその細い人影はにたりと嗤い、言いました。


「ここに死にかけの聖女がいると……」

「うるせええええええええ!!」


 アイトの絶叫に私も、その黒影も身体を震わせました。


「邪魔すんな、死ねぇえええええええ!」


 怒声というか。

 怨嗟の声というか。


 憎悪が吹き上がるそのままにアイトは魔法核でその魔物を焼き尽くします。


 その始末にかかった時間たるや。

 数秒です。わずか数秒。

 瞬きしたときには何も残さずに消滅させられていました。


「……お見事でございます、アイト」

「ああ、もうくそ! 寝る!」


 アイトは足音も荒く居間を飛びだし、ばたん、と扉を閉めて出て行ったのですが……。


 なんだか私は急に可笑しくなって……。


 しばらくの間、ソファの上でおなかを抱えて笑っておりました。

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