第11話 刺客登場
「す、すみません! 男性に対して使う言葉ではありませんでした!」
「いや……別にその。そんな男とか女とかどうでもいいんだけど」
もごもごとアイトは言うと、まだ少し赤い顔をのぞかせ、ごほりと咳ばらいをします。
「さて。じゃあテオドアはどこ行きたい? 俺の用事は全部済ませたから、次はテオドア」
「私、ですか? ……特に」
「特に、とかなし」
「えー……。難しいですね……」
思えば「なにがしたい?」と聞かれることなど稀であることに気づきます。
10歳から聖女として神殿で暮らしてきました。
毎日の予定はきっちりと決まっており、そこに私の意志を差しはさむ余地はありません。誰と会い、誰と過ごし、どのような祭事を執り行うかはあらかじめ用意されているのです。
「なにがしたい……ですか」
とてもそれは贅沢な選択のような気がしました。
「こういうのは、ぱっとこう頭にひらめいたことをするのが一番だ」
アイトが言います。
なるほど。
私は市場を見回しました。
実はさっきから気になっているものがあるのです。
「あれが食べてみたいです」
屋台が並ぶテントのひとつから、甘くてなんとも言えない香りが漂ってきています。
お客さんは私とそんなに年の変わらない女性が多く、みな、うれし気に細長く、きつね色をしたそれを紙にくるんでもらっています。
「チュロスか。……消化に悪そうだけど。まあ、ちょっとなら大丈夫か」
チュロスと言うのでしょうか。アイトは物知りです。
「じゃあ、あそこのベンチで待ってて。買ってくるから」
アイトが市場の一角を指さすのでびっくりしました。
「いえ、私が自分で買ってきます! アイトもご入用ならば私が買いますから!」
「とんでもない。買い物につき合わせたんだからこれぐらいさせてよ。それに、だいぶん疲れてるだろ? こんなに歩いたのも久しぶりだろうし」
言われて、そういえばと気づきました。
馬車を降り、約1時間は歩いたでしょうか。
このところ体調がいいので忘れていましたが、つい数日前まではほぼ寝たきりの生活を送っていたのです。
「悪化したら最悪だから。あそこで座って待ってて。すぐ買ってくるから」
ほぼ命令口調で命じられました。
……仕方ありません。
買ってきてくださったところで素早くお金を支払うことにしましょう。
私は言われた通りに市場のすみっこにあるベンチに向かいました。
少し人の波を逆行する形になりますが、ベンチには無事たどりつき、古びた木製の座面に腰を下ろしました。
ふと視線を感じますので顔を向けますと、アイトです。
私がベンチに座ったことをちゃんと確認してから、チュロスのお店のほうに向かいます。まるで子ども扱いされたようでちょっとだけ気に入りません。
だから私もちゃんとアイトが買い物できるかどうか見届けることにします。
アイトは紙袋を右手で抱え、人を縫って進みました。
私など、このような大勢のなかではなかなか一歩が踏み出せませんが、アイトは慣れているように見えました。
しかし……。
このようなたくさんの人の中でもアイトの……これは殿下の、と申し上げるべきでしょうか。容姿は際立っておられます。
事実、年齢を問わず女性はすべからく殿下を振り返ったり見つめたりしております。
アイトがチュロス売りの屋台の列に並びました。周りは女の子ばかりなので、一気に注目度が上がります。なかにはアイトに話しかける積極的な女子もいますが、アイトは完全無視でした。
少しぐらい愛想をふりまけばいいのに、と私はやきもきします。アイトはきっと異性にもてるから、無視される気持ちなど想像できないのでしょう。ひどい男です。
私はそんなふうに女子の気持ちを代弁していたというのに、女子のほうは無視されてもきゃあきゃあうれし気に騒いでいました。
……親の心子知らずとはこのことを言うのでしょう。いえ、親ではないですが、私は……。
アイトはあっという間に女子たちに囲まれ、チュロス屋に大変なひとだかりができていました。口々になにか言われ、アイトはそれでも無表情を通しているようですが……。
なんだか、そんな様子を見ていると。
さっきまで感じていた親近感というか。
子どもっぽい顔で商品を選んでいたアイトや、悪口を言って鬱憤を発散させていたアイトが、やっぱり遠い人のように思えます。
そういえば、イーリアス殿下からはさんざん辛気臭いとか陰気だと言われた私です。
そもそもアイトは優しいから私になぞ声をかけてくれるのです。
勘違いしては嗤われるだけです。
そっと私は視線を外しました。
ただ、ここでじっと待っていればいいのです。
そう思いなおした途端に言い知れぬ疲れに襲われました。
やはり体に堪えていたのでしょう。私は小さく息を吐いてベンチに深く身を預けました。
じわり、と額に汗がにじみます。少し、低血糖気味なのかもしれません。そういえばお昼ご飯の時間が近づいています。
体調が最悪だったときは、なにも食べたくなかったというのに最近はおなかが減るようになりました。だからきっとあの食べ物がおいしそうに見えたのでしょう。
はやくアイトが戻ってくればいいのに。
そんなことを考えたとき。
ふと、影が差しました。
反射的に顔を起こします。
目の前には、見知らぬ男女が立っていました。
「お願い」
女性のほうが震える声で訴えます。
なにごとでしょうか。私の中でも緊張が走ります。
というのも、女性は青い顔をして、目に涙を浮かべ、小刻みに震えているからです。
「この人の言う通りにして」
ぼろりと女性の目から涙が落ちます。
「この人?」
私が問い直しますと、女性は顔だけ動かして瞳を横に移動させました。
男です。
男は。
ぴったりと女性に寄り添い、右手に握ったナイフの切っ先を女性の横腹に押し付けていたのです。
「来い。そうでないとこの女を殺す」
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