第10話 屋敷を出て三日目
次の日。
私たちは……いえ、私と殿下は、と申し上げねばなりません。このところどうも一緒の時間が多すぎてなんだかお友達気分ですが、違います。
私と殿下はそのような関係性ではありません。これでは殿下にご迷惑をかけてしまいます。
とにかく、私と殿下はサザーランド領に到着しました。
先行した荷馬車からの伝言を受け取ったのは、関所でした。
通行許可書と身分証明書を提示しますと、代わりに荷馬車からの手紙を受け取りました。
そこに書かれておりますのは、『今日中に荷物を教会に届けられること』『荷物をおろすとそのまま王都へ戻ること』『教会から一番近い市場がこの先にあるので、下見を兼ねて必要品等を購入されるほうがいいかもしれない』とご丁寧に提案をしてくださっていました。
殿下は市場見物に非常に乗り気でありました。
それはそうでしょう。私のように陰気で辛気臭い娘と数日過ごしたのです。ぜひ気分転換していただきたい。
そう思って私からも申し上げました。
『私は馬車で待っております。殿下どうぞ、楽しんできてください』
馬車は市場に入れません。決められた待機場で待つしかないので、馭者と馬は休息をとることになっておりました。
私もその間、馬車の中で本でも読んでいようと思っていたのですが……。
『なんでだよ。一緒に行こうぜ、市場』
殿下はびっくりしたような顔でおっしゃいます。
『買い物しようよ』
『いえ、あの……私は特になにも必要なものはありませんので』
当座必要なものはすべてこの馬車のトランクにありますし、それ以上のものはすでに荷馬車が教会に先着させております。
『じゃあ、俺の買い物が終わったら一緒にうまいものでも食べよう』
『え? ……いや、あの。私なんかがおりましたら、殿下も羽をのばせないのでは?』
殿下はお優しいですから。
きっと気を遣ってくださっているのでしょう。私ははっきりと辞退することにいたしました。そちらのほうが殿下もひとりで行動しやすいでしょうから。
『どうぞ殿下おひとりでお買い物を』
『あのさぁ』
しかし殿下は腕を組み、目をすがめて私を睥睨なさいます。
『昨日の夜、俺に水をかけただろ? あれさ、清めるだなんだって言ってたけどさ。実は「中身は魔物じゃないか」って勘ぐって聖水かけただろ』
『はううううううううううっ!!!!! い、いいいいいいいいいえ!!!! 決してそのようなことは!!!!!』
必死で首を横に振り、平静を装ったのですが殿下は非常に人の悪い笑みを浮かべられました。
『これは罰が必要だろう。なにしろ王族を水責めにしたんだからな』
『け、決してそのような!!!! 手元が狂ったのです! 私は反応をみようとおもって、ちょっとだけ額に聖水を落とそうとしただけなんです!!!』
『はい、言質取りました』
『なんてことでしょう! 殿下は策士です!!!!』
『ということで、一緒に買い物デートな』
『デート⁉ そ、そそそそそそのようなおたわむれを!!!! 私はボディーガードとして殿下に同行します!!!!』
ボディーガードって、と殿下に笑われましたが、気分は護衛者のそれです。殿下を守れるのは私しかいないのですからね。
そして馬車を降り、威風堂々と殿下に同行かつ監視の目を光らせていたのですが……。
「殿下、かようなことが面白いですか?」
半歩前を行く殿下につい尋ねてしまいました。
口に出してから慌てます。大変無礼な質問でした!
「え? めっちゃ楽しい」
ですが殿下は気に留めることもなく、くるりと振り返ってにっこり笑ってくださいました。
まさに天使も恥じらうとはこのことでしょう。
凡庸な容姿しか持ち合わせていない私など、顔を熱くするしかありません。
殿下の笑顔は、なんだか心がぎゅっと締め付けられるような気がするのです。それでいて鼓動はどんどん早くなって……。
「そ、そうですか。いえ、あの。なんだかさっきから薬局しかいっていないものですから」
私は意識を集中させるためにぷるぷると首を横に振り、早口でまくしたてました。
いけません。こんなことでどうするのですか。
「あ。つまんなかった?」
「へあ?」
変な声が出ました。
というのも、殿下が往来の真ん中で足を止め、私を真正面に見据えられたからです。
そして「やってしまった」と言わんばかりに片手で額を覆って天を仰ぎました。
ちなみにもう片方の殿下の手には、大きな紙袋が抱えられています。そこには最前から買い集めた薬草や薬液、なにかの塊が入れられていました。
「……俺さ、よくやったんだよ、これ。自分のことばっかりで振り回してさ。俺ばっかり楽しかったりして……。で、ふられたんだよなぁ……」
「やはりセシリア嬢と仲たがいを?」
うめき声をあげる殿下につい声をかけます。「いまならまだごめんなさいで許してくださいますよ」と。
「違う。俺のほう。ツキシマアイト」
「あ。そうでした。アイト様のほうでしたか」
ぽん、と手を打ちます。殿下はため息をつかれました。
「カノジョ……って通じる? 恋人ができてもさ、全然長く続かないわけよ。俺の趣味で行くところとかデート内容とか決めちゃうから」
「……殿方とはそういうものではないのですか?」
私は別に恋愛に一家言があるというわけではありませんが、神女官の愚痴というかのろけ話を聞く限りではそのような気がします。
「デート内容とか会話の主導権を握るとか。そういった感じの方がもてはやされるのでは?」
「そうなんだよ!!!!」
がぜん殿下が前のめりになって訴え始めます。
「引っ張っていってほしいとか、決断力があってほしいとか!!! そんなこと言うくせに、実際そうしたら『自分のことばっかり』『私の意見を聞いてくれない』ってさ! そのくせ『どこ行きたい?』って聞いたら『デート内容も考えられないなんて』って言うんだぜ⁉ 俺はテレパシーができるわけでもサイコメトラーでもない!!!!!」
な、なにやら殿下は過去によほどつらい体験をされたようです……。
お前らこそおしとやかでも料理上手でもねぇだろ、と呪詛と怨嗟の声をあげてひとしきり悪態をついておられました。
「……ごめん」
落ち着かれたのでしょう。
今度は一気に肩を落として、消え入るような声でおっしゃいます。
「とんでもありません。鬱憤がたまったときは吐きだすに限ります。というか、私のほうこそ殿下のなにかこう……黒いところを刺激してしまったようで、申し訳なく思っております」
私がそう詫びますと、殿下は苦笑いを浮かべられました。
「あのさ」
「はい」
「その殿下ってやめねぇ?」
「はい?」
「頭ではわかってくれてんだとは思うんだよ。俺とイーリアスが別物ってことは。だけどどっかで同一視してんだよな、君」
「そう……でしょうか」
言いながらも、確かにかぶるところはあるというか。
いやもっと正確に言うならば、やっぱりイーリアス殿下だと感じるときもあるのです。
「だからさ、俺のことはアイトって呼んでよ」
「アイト、ですか? いえですがそれは……仮にもそのお身体はイーリアス殿下のものです。王族の方を別の名前でお呼びするのは……」
ためらっていると、殿下は楽し気に笑われました。
「王宮にいるのならそうかもしれないけど、こんな下町にいて、誰がこの身体がこの国の第二王子だって思う? 実際、誰も気づいてないだろう?」
促されて私は周囲を見回します。
……言われてみればそうです。
四か所の薬局や薬草売り場に足を運びましたが、どこでも殿下は『兄ちゃん』と呼ばれ、この往来にいてさえなお、誰も平伏などいたしません。
殿下も私も貴族らしい服装はしておりませんし、殿下も私も帯剣してないから余計でしょう。
「わかった?」
殿下に促され、私もおずおずとうなずきます。
「それでは、王宮や貴族の前では殿下とお呼びしますが……それ以外のところではアイト様と」
「アイトでいいよ。俺だってあんたのことをテオドアって呼んでるんだし」
「いえしかし、それは身分というものが!」
「だからツキシマアイトは一般人だって」
殿下は……いえ、アイトはそういって笑うと、「さて」と表情を改めました。
「つきあわせてごめんな。つまんなかっただろ?」
そう言われてきょとんとしてしまいました。
「いえ、つまらなくはなかったです。殿……アイトはかようなことに興味を持つのだなぁとなんだか不思議に思えて……。私にはまるでわからないものを手に取り、吟味をしているお姿はこどものようにも見えて」
私はにっこり笑いました。
「とてもかわいいなと思って拝見しておりました」
途端に。
殿下……アイトは顔を真っ赤にしてしまいました。抱えていた紙袋を動かし、顔を隠すそぶりを見て、私は失言したことに気づきます!
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