第2話 神女官としてサザーランド領へ異動

 同じことをジョーンズ上級神官もお考えになったようでした。


「これで聖女は自ら魔物と戦う必要はなくなりました。いえ、聖女だけではありません。聖女を補佐するために王家から派遣された騎士や戦士たちも魔物と戦って負傷することはないのです! すべて召喚した勇者が成し遂げてくれるのですから!」


 ジョーンズ上級神官の言葉に会場が沸きます。


 私も安堵する部分がありました。セシリア嬢が聖女になるのであれば、それは魔物退治をするということになります。


 当然ですが魔物調伏には危険が伴います。それが回避できるのであれば……。


 きっと末永く聖女として君臨されることでしょう。

 彼女に幸あれ、と私は聖句を唱え、同時に殉死した過去の聖女たちにも思いをはせました。


 ふと。

 冴え冴えとした視線を感じ、顔を向けます。


 王太子殿下でした。


 熱に浮かされたような会場の中で、ただひとり、冷静にこの状況をご覧になっているように思えました。


「イーリアス殿下」


 ジョーンズ上級神官が顔を伏せてイーリアス殿下を促されました。

 喜びに沸き立っていた会場は、殿下のお言葉をいただこうと静まります。


 私も王太子殿下の隣にいらっしゃるイーリアス殿下をみつめました。


 ご誕生のおりには、天使も恥じらうほどだったという美貌の王子。

 私とは名ばかりの婚約者。


 聖女になるということは、王族の男子と婚姻を結ぶということと同義です。


 ひとつ前の聖女様は前王の弟殿下とご婚約をなさいましたが、その二年後に魔物から負った怪我がもとでお亡くなりに。

 その前の聖女様は当時の国王の従弟君とご婚約後、すぐに殉死。

 聖女たちの中で唯一婚約から結婚まですすみましたのは、よっつ前の聖女様だけです。


 そして私は第二王子イーリアス殿下と婚約を結びました。


 理由はイーリアス殿下に火属性の魔法が使えたからです。

 約110年ぶりに王家に生まれた魔法核を持った男児でした。

 聖女とは相性がいいだろうと神殿と王家が判断したのです。


 ですが。

 聖女の任を解かれるということは、それもなくなるということでしょう。


 そのことについて「さみしい」とか「かなしい」という感情は……。ありません。


 もとよりイーリアス殿下は私のことなど眼中にございません。

 辛気臭い女だ、と面と向かって言われたこともありましたし、そもそも聖女の生存期間は短いものです。イーリアス殿下も私がまさかこんなに長く生きているとは思いもよらなかったことでしょう。


 私は知らずに洩れそうになる吐息を飲み込みました。

 だからこそ、さらに私は憎まれ、邪魔だとお思いになっておられることとおもいます。


 なにしろ。

 イーリアス殿下はセシリア嬢にご執心であり、ふたりが恋仲であることは神殿で知らぬものなどおりません。


 数日前からイーリアス殿下は体調を崩され、王宮で安静にされていたとお聞きしていましたが……。


 どうやら案じるほどの容態ではなかったようです。そのお顔は溌溂とされており、背筋もぴんと伸びております。


「殿下?」

 あまりに沈黙が長かったからでしょう。セシリア嬢が不思議そうによびかけられました。


「イーリアス」

 王太子殿下も小さく声がけされ、肘でイーリアス殿下をつつかれたような気がします。


「ああ、俺ね。はいはい」


 咳ばらいをしたイーリアス殿下は、慌てたように手に持った文書に視線を落としました。


「えー……っと」


 イーリアス殿下が言いよどまれ、おや、と私はまばたきをしました。

 以前の殿下とはずいぶん雰囲気が変わったような気がしたからです。


「えっと。何度も協議を行った結果、テオドア・リーリスの任を解き、新たにセシリア・タミルを新聖女として迎えることとなった……って、ここは説明したな、さっき」


 イーリアス殿下のお言葉に、ジョーンズ上級神官が「さようでございます」と返事をしながらいぶかし気な顔をしております。やはりなにか異変を感じておられるようでした。


「テオドア・リーリスは、本日をもってサザーランド神殿領へ神女官として赴任することを命じる」

「はい」


 イーリアス殿下の指示に応じます。

 が、口から洩れたのはやはりか細い息でした。先ほどより熱を持ち始めた気がします。足も小刻みに震えはじめました。


 サザーランド。

 王国内でありながら王の権力が及ばず、神殿が管理する場所。

 王国の北端で、夏は涼しいが冬は雪と氷に閉ざされる土地だと聞きます。


 果たして。

 私は来年そこで草花の芽吹きをみることはできるのでしょうか。

 この身体で、耐えられるところなのでしょうか。


 そんなことをぼんやりと考えていたのですが。


「さてこの裁決。王家としてはどのようにお思いでしょうか。王太子殿下」


 いきなりイーリアス殿下がそのようなことをおっしゃり、会場中がざわめきました。


 イーリアス殿下のお隣。

 ひとつだけ用意された椅子におかけになっていた王太子殿下は、いつもの冷静な顔でお答えされました。


「ひとつ確認したい。その勇者の召喚というのはすでに成功しているのか? だから聖女を交代させるのか」


 会場中が静まり返ります。

 確かに……確かにそうです。セシリア嬢にかような力があることを神官たちはしっかりと確認したのでしょうか。


「ええ、もちろんです」

 ジョーンズ上級神官は胸を張って答えられます。


「ですが……まだ術式が確定していないのか、ここに勇者を連れてくることはかないませんが……」


「見切り発車か」


 この言葉はジョーンズ上級神官にではなく、イーリアス殿下に向けられたようです。イーリアス殿下は王太子殿下にひょいと肩をすくめてみせられました。


「なんにせよ、勇者については前に説明したとおりの対応でお願いします」


 王太子殿下が「うむ」とうなずかれるのを確認し、イーリアス殿下がジョーンズ上級神官に言います。


「勇者召喚がかなったら連絡して。一応マニュアルはここに記してる」


 イーリアス殿下は言うなり、手に持っていた巻物をぽいっと近くの神官に放り投げました。


「は……はあ」

 ジョーンズ上級神官だけではなく、神官たちはみな、戸惑い顔です。私だってそうでした。


 王太子殿下とイーリアス殿下がこのように親密な仲であるとは……思いもよりませんでしたし……。


「王家としては体調が戻り次第、テオドアに聖女として復帰してもらいたい」


 王太子殿下のお言葉に、会場はふたたび大きなざわめきに包まれました。

 ですが、王太子殿下は片手をあげてそれをおさめられました。


「ただ、神殿の人事は第二王子イーリアスの管轄だ。そこに口だすつもりはない。先の言葉はあくまでわたしと陛下の私見。以上」


 それ以降、口を閉ざされます。


「俺から伝えたいのは、2点だ」

 イーリアス殿下は指を2本立てられました。


「まず1つ。勇者召喚がかなったら連絡をくれ。2点目。テオドアは俺が預かる」

「はい?」


 なぜだかセシリア嬢が小首をかしげます。一方の私はというと声も出ませんでした。


「テオドア。サザーランド領には俺も一緒に行くから。よろしくな」


 はっきりとしたイーリアス殿下の言葉に、ぽかんと口を開いたままなにも言えません。


 数秒後、イーリアス殿下の言葉を理解し、驚きすぎて尻餅をついてしまいました。


「おいっ! 大丈夫か⁉」


 慌てたようにイーリアス殿下が私のところに近づこうとなさるのだけど……。

 いや、そう思うだけでしょうか。


 だって殿下と私は名ばかりの婚約者です。

 こんな……。こんな私のところに駆け寄るなんてあり得るはずがありません!

 それなのに、殿下は私に手を伸ばして助け起こそうと……。


「殿下、どういうおつもりですか⁉」

 その瞬間、殿下の前に、セシリア嬢が飛び込んできました。


「サザーランド領に行くとは……、どういうおつもりなのですか⁉」

「どういうおつもりもなにも。そのまんまだよ。俺はテオドアと王都を出る。婚約者なんだから当然だろう」


「は⁉」


 悲鳴のような声をセシリア嬢は上げたのだけど、広間にいた神官や貴族たちも一斉にざわめき始めました。


 当然です。

 ちょっと……意味がわかりません。


「わ……わたくしはいま、正式に聖女になりましたのよ⁉ ですから堂々と殿下と婚約を結ぶことが……」


 セシリア嬢が早口に、そして焦ったようにおっしゃいます。

 ですが、それを制するようにイーリアス殿下は大声でおっしゃいました。


「俺は! セシリアが! 嫌いだ!」


 一言ずつ区切り、かつ、明確に、大音声でイーリアス殿下は宣言なさり、ついでに、どんっとセシリア嬢を突き飛ばしたのです。


 床に横倒しになったセシリア嬢を冷淡に見下ろし、殿下はおっしゃいました。


「聖女は王家の誰かと結婚すればいいんだろう?」


 どうしてでしょうか。

 晴天を切り取ったような殿下の瞳はジョーンズ上級神官に向けられました。


「よかったなぁ。そいつも王族じゃん。結婚すれば?」

「な……! なにをおっしゃるのです!」


 セシリア嬢が悲鳴を上げました。


「殿下はなにか誤解をなさっておりますわ! わたくしの心も体もすべて殿下のものでありますのに!」


「へー」


 イーリアス殿下は腕を組み、まるでいたずらっ子のように微笑まれました。

 ……というか、もう私の中ではなにがなにやらさっぱりです。


「ま。これ以上言わないでやるよ。それが慈悲ってもんだ。だからお前、これ以上しゃべるな」


 セシリア嬢にそう命じられた後、イーリアス殿下は私の前にひざまずき、心配そうに眉を寄せられました。


「大丈夫か、テオドア。立てるか?」


 私は返事もできません。


 なにか変な夢でも見ているのか。

 それともこれは殿下のおたわむれか。

 そんなことを考えながら気を失いました。

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