第6話 イセカイテンセイした男
二時間後。
着替えを済ませた私は父と母に別れを告げ、殿下とともに一台の馬車に乗り込みました。
サザーランド領に向かうためです。
馬車は一台だけです。殿下にも私にもお供はありません。私はともかく殿下はおひとりで大丈夫なのですかとお尋ねしたのですが、「平気平気」とあっけない感じでした。
ぱしり、と馭者が鞭うつ音が聞こえます。
馬車が走り出しました。
窓に額を押し付けると、父と母だけではなく屋敷中のみんながまだ手を振ってくれています。
「神殿のやつらは誰も来なかったな」
向かいに座る殿下の声に顔を向けます。
殿下は腕を組み、外を確認されているようでした。
「新しい聖女がすでに決定しましたから」
そうです。
私は力を失った聖女です。
体力も落ち、いまも座っているだけなのにときどきだるくて仕方なくなってしまいます。
馬車の背もたれに上半身を預け、揺れに身を任せていると、殿下が自分の座席にあるクッションを持ち、私の脇に挟んでくださいます。
「あの……ありがとうございます」
お礼を伝えましたが。
やはり殿下はどこかおかしいです。
いえ、お優しい方なのでしょうが、私に対して優しかったことなどこれまで一度もないのです。
父ではありませんが、やはりなにかの目的があるのでしょうか。
「いまから一緒に生活する前にさ、少し話しておきたいことがあるんだけど」
私の向かいに座りなおした殿下がそう切り出されました。
私はごくりと息を呑み、姿勢を改めようとしたのですが、手で制されました。なので失礼を承知しつつ殿下の言葉を待ちます。
「俺さ、異世界転生しててさ」
だしぬけに殿下はそうおっしゃいました。
…………いせかいてんせい。
イセカイテンセイとは、いかなることなのでしょう。
「すみません。不勉強ゆえにわかりかねるのですが、それは……どのような状態をさす言葉なのでしょうか」
考えていてもわからないものはわかりません。おそるおそる尋ねてみました。
「いや、俺だってこう……これが異世界転生だ!っていう定義は知らないんだけど」
なんだか困った顔で殿下に言われました。なにやら複雑な意図をもつ言葉のようです。
そういえばつい先日も天界からの勇者転移召喚なる御業についての説明をジョーンズ上級神官からうかがいました。まだまだ私の知らぬことは多いということでしょう。
「俺、こことは違う世界で暮らしてたんだけど、こっちに来てさ」
「あら? ではジョーンズ上級神官がおっしゃっていた転移召喚といわれる御業でしょうか?」
さっそくセシリア嬢のお力が発揮されたのではと思ったのですが、殿下はふるふると首を横に振りました。
「あれは生きたまま連れてくるんだよ、別世界に。肉体ごと移動する。だけど俺は違う。あっちで死んで、魂だけになった」
「お亡くなりになられたのですか」
「そう」
「まあ」
「で、ここは天国なのかなって思ったところで、大神ミハリエルが来てさ」
「大神ミハリエル!!!!!」
つい大きな声を出してしまったため、目の前がまたチカチカしてきましたが、気にしている場合ではありません!
すごいことです!!!
大神ミハリエルにお会いになったのです!!!
各聖典の記述によりますと、そのお姿は男性とも女性ともつかぬ美しさ。堂々とした体躯であり、声は美麗。背中には純白の翼がある、と。
つい前のめりになります。
「大神ミハリエルのお姿とはやはり聖典どおりでしたか⁉」
「普通の小柄なおっさんだったけど。聖典にはなんて書いてあるんだ?」
「普 通 の 小 柄 な お っ さ ん」
表現方法に愕然としましたが、殿下は構わずに続けられます。
「大神ミハリエルが言うには、自分の大事にしている聖女がひどい扱いを受けている。ちょっと行って守ってやってくれって言われてさ」
「……え?」
普通の小柄なおっさん発言に衝撃を受けていたのですが、ふと我に返りました。
いま、殿下は。
『自分の大事にしている聖女がひどい扱いを受けている。ちょっと行って守ってやってくれ』
と。そのようにおっしゃったような。
目が合うと、殿下はにっこりと微笑まれました。
「テオドアはさ、大神ミハリエルに大事にされている。それは俺が保証する」
なんだか心がじわりと温かくなって、涙がにじんできました。
私が力を失ったのは、大神から見放されたわけではないようです。
10歳で聖女となり、神殿に仕え、大神から預かった聖なる力を私利私欲のためではなく、国のために使ってまいりました。
そのことがほめられたようでとてもうれしかったのです。
「俺もおっさんの側でしばらくテオドアのことを見てたんだ」
……ここでいう“おっさん”とは大神のことなのでしょうか。とてもではありませんが確認することはできません。あいまいにしておきましょう。
「殿下が、ですか?」
「殿下っていうか。俺が、ね? この中身の俺」
殿下は自分の胸を人差し指でトントンとつついて見せます。
「この身体はイーリアス・アル・マードリアンっていうこの国の第二王子だけど。中身は違う。いま、この身体を操っているというか、動かしているのは、俺。
「ツキシマアイト?」
「そう」
殿下はうなずかれ、それから天上での出来事を教えてくださいました。
大神ミハリエルとともに下界にいる私のことを見ていたこと。
イーリアス殿下とセシリア嬢のこと。
セシリア嬢とジョーンズ上級神官のこと。
神殿と神官のこと。
そんなことを一緒にご覧になり、そして。
「テオドアを守らなくっちゃって思ってさ」
目を見て断言なさいました。
私は。
ただ、言葉を無くして殿下を見つめます。
「ナイスタイミングというか……イーリアス、実は数日前に死んでさ」
「は⁉」
「病気で臥せってるって噂、聞かなかった?」
「聞き……ました」
なので広間で……王太子殿下のお隣にイーリアス殿下がいらっしゃるのを見て安堵したのです。ああ、体調悪化は一過性のものだったのだな、と。
「そのとき、死んだんだ。イーリアス」
私は愕然とイーリアス殿下を見つめます。
「大神ミハリエルは、イーリアスの魂を引っ張り出して、代わりに俺の魂を突っ込んだんだ。だから」
殿下は座席に座ったまま両腕を広げられました。
「外見はイーリアスだけど、中身は違う。それだけは伝えたくてさ」
そう言われましたが……。
すぐに納得できるお話ではありません。
これも大神ミハリエルの御心。そう思うしかないのでしょうか。
そんな私の目の前で殿下は肩をすくめられます。
「もともと俺の身体を用意しようとしたらしいんだけど、ちょうどいいのがなかったらしくて。もたもたしていたら、君、毒殺されそうだったし」
「毒殺⁉」
物騒な言葉に、思わず飛び上がりそうになります。
「自覚なかった? テオドア、食事に毒を盛られてたんだ。たぶんヒ素系じゃないかなぁとは思う。だからここんところずっと体調悪かっただろう?」
心配げに眉根を寄せて殿下はおっしゃいますが……。
「だ、誰にですか!」
それに対してはお答えいただけません。
「だから緊急避難対策として、イーリアスの身体に俺をいれたってわけ」
殿下はそう言って苦笑されました。
「テオドアに対していろいろひどいことをしてきた男と一緒に暮らすのは嫌だろうなって思ったから。見た目はイーリアスだけど、中身は違うって言っておきたかったんだ」
殿下はにっこり笑って私におっしゃいました。
「月島藍人だ。よろしく」
なんだか……。
混乱しすぎてまた熱が出そうな気配です……。
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