第7話 宿泊1日目

 実家を馬車で出たその日の宿泊場所は、王都の隣領にある別荘でした。


 すでに王家から連絡が届いているのでしょう。 

 馬車は到着すると同時に馬は世話に回され、私と殿下は執事やメイドたちによって別荘内に案内されました。


 殿下はメイドたちに、

「寝室に案内して。すぐ寝かせて」

 と指示されましたので、私はすみやかに寝室に連れていかれ、手入れの行き届いたベッドで横になることができました。


 馬車の中で座っていただけではありましたが、やはり身にこたえたところはあるのでしょう。横になり、枕に顔をうずめてからの記憶がとてもあいまいです。


 ふと目が覚めたのは、気配があったからです。

 ベッドに手をつき、慎重に上半身を起こします。


 夜も更けたのでしょう。

 寝室には橙色の光を広げる照明がいくつか用意されていましたが、カーテンが闇を遮れていませんでした。


 事実。

 窓枠らしきところから闇がしたたっています。


 壁を黒く濡らし、床を染め、年代物であろうカーペットを黒々と染めておりました。

 とめどなく窓枠からは黒い液体が入り込み、時折ごぼりと気泡をつぶして飛沫を散らせております。


 そうして、カーペットの中央に大きな黒い水たまりができたかと思いますと。

 やにわにそれは、ぐるりととぐろを巻きました。


 鎌首をもたげ、しゃあ、と赤い口内を私に向けて開いて牙を剥き、その先から毒液をしたたらせる姿がとても醜悪です。


「死にかけの聖女がいると聞いた。それはお前か」


 琥珀のような黄色い目で私を見据えてそんなことを言います。しっぽを細かく震わせると奇妙な音がしました。威嚇音でしょうか。


「さぁ、どうでしょうか。死にかけと言えば死にかけですが」


 そう答えたものの声にはしっかりとした芯がありました。数時間眠っただけですが、体力がだいぶん回復した模様です。ここ数か月、もやのようにつきまとっていた倦怠感も少しだけましになった気がしました。


「死にかけの聖女の肉を食らうと無敵になると聞いたが、本当か?」

 黒蛇は笑いますが、私は「まあ」とため息をつきました。


「寡聞にして存じませんわ。やはり私はだめです。まだまだ不勉強なようです」

「そうか。だがまあ」


 黒蛇は伸びあがります。


「食ってみればわかることだ」


 いうなり、ぎゅうううううと、今度はとぐろを巻く身をたわめます。たぶん、ばねのように飛び上がって私のほうに飛びかかるつもりでしょう。


 困りました。

 私の力はまだ万全ではないのですが。

 とりあえずいつもどおりやってみることにします。


 人差し指を立て、くるりと宙に小さく円を描きます。

 大丈夫です。光輪クラウンが浮き上がりました。


 しゃあ、と。

 威嚇音のようなものを立てて黒蛇は大口を開けたまま、私のほうに飛んでまいります。


 私は宙に浮かぶ光輪を右手のひらで、とんっと黒蛇のほうへ押しました。


 光輪は。

 一瞬にして大きく広がり、黒蛇を包みます。


「久しぶりにしてはうまくいきました」


 私は安堵の息を漏らして、よいしょとベッドから降ります。


 しゃああああああ、とか、ガラガラガラと派手な音が聞こえるほうに顔を向けます。


 部屋の中央。

 空中に。

 シャボン玉状の光輪に閉じ込められた黒蛇がおります。


 毒液を牙からまき散らし、身をのたうたせ、尾の先でバチバチと光輪をたたいて逃げ出そうとしております姿はなんとも恐ろしい限りです。


「出せ! ここから出せ! 死にかけの聖女め!」

 黒蛇が怒鳴ります。なんという大声でしょう。思わず耳をふさぐほどでした。


「静かにしてください。深夜ですよ?」

「うるせえ! ここから出せ!」


 しゃ――――っと毒液を私に向かって吹き付け、とっさに顔を背けましたが……。


 よく考えれば光輪の中に閉じ込めているのです。

 当然、私の身にかかることはなく、なんだか苦笑してしまいました。


 そのとき。


「テオドア⁉」


 ノックもなしに殿下が飛び込んでこられます。

 その服装はすでにパジャマのそれで……。なんてことでしょう! きっとこの騒ぎで起きてしまわれたのです!


「す、すすすすすみません!!! 騒がしかったですよね! ほらもう! 蛇さん、静かにしてください!」


「そんなことどうでもいい! なにこれ!」

 殿下が愕然とされいますが……。


「え。黒蛇です」

「サイズ感が違う! 俺の知っている蛇とサイズ感が違う!」


「あ! 魔物ですから!」

「なんでいんの、魔物が!」


「ですよね! 由々しきことです。ここは王家が使用される別荘だというのに!」

「なにもかもちぐはぐで君と会話ができている気がしない!」


 なぜか殿下は頭を掻きむしって地団太を踏んでしまわれました。

 ……だめです。どうやら私は不勉強なうえに語彙力も足りないようでした……。


「屋敷中に響いてたけど、お前、死にかけの聖女って言ってなかったか? テオドアのことを」


 ばりばりとまだ頭をかきながら殿下が黒蛇に問われます。

 黒蛇は毒牙から液体を飛ばしながら口を大きく開きました。


「死にかけの聖女を食って俺は最強になってやる!」

「その情報、誰から聞いたんだ。どうしてテオドアがここにいるって知ってる」


 途端に。

 あれほど騒がしかった黒蛇が黙りました。


 光輪の中でもぞりと身体を動かすだけです。その鱗は自分の毒液でぬらぬらと光っていました。


「言わない気か?」

「うるさいガキだ! 貴様から先に食ってやろうか!」


 がんっと頭を光輪にぶつけて黒蛇がまた威嚇します。

 いけません。よく考えたら私は本調子ではありませんでした。


 光輪が解け、殿下に危険が及ぶかもしれないのです。 

 すぐにでも始末せねばと指で聖句をなぞったとき。

 殿下は襟首から鎖にとおした赤い石を取り出されました。


「あ」

 つい声が漏れます。


 魔法核です。


 王家の男子にはごくまれに魔法核と呼ばれる宝石を握って生まれてくる者がいます。


 その方は生涯にわたって石のもつ属性の魔法が使えるのです。

 殿下が握って生まれてきた石。


 それは紅玉石。


「消えろ」

 右手に魔法核を握り締め、左手を黒蛇に向けますと。


 業火が立ち上りました。


 そのときの風圧によって私の前髪はふわりと浮きます。ですが不思議と熱は感じません。


 あっという間に業火は黒蛇をなめつくしました。


 悲鳴も末期の声も。

 肉を焼く臭いすら残さず。

 黒蛇は跡形もなく焼き尽くされ、あとには私が作った光輪しか残っていませんでした。


「お見事でございます、殿下」


 私は殿下に対して心から敬意を表し、それから指を鳴らして光輪を消しました。魔物のいない今、必要はございませんから。

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