第16話 サザーランド領での生活

◇◇◇◇


 教会に到着して十日後のことです。


「ほら、食べた人からすぐに片づけをします。このあと、外に出て算数のおさらいからはじめますよ」

「はい、神女官さま!」


 講堂でパンとスープの簡単な食事をしていた子どもたちは、慌てたようにスプーンを動かし始めました。


 もう食べ終わった子は、さっと立ち上がり、ワゴンに木製のスープ皿とスプーンを戻しています。その顔が「ほめて!」と無言で訴えるので、私は笑顔で「すごいですね。いつもありがとう」と気持ちを伝えます。


 子どもは嬉しそうに顔をくしゃくしゃにして笑うと、友達とつれだって教会の外に出てきます。


 教会に到着した次の日から、私とアイトは大車輪で掃除と荷ほどきを開始しました。


 というのも、住民さんたちが次々とやってきて「洗礼式がまだなんです」「聖水をわけていただきたくて」と申し出始めたからです。


 これは早く教会としての機能を開始しなければなりません。


 アイトは住民さんから馬を借りて市場に行き、正確な時間を聞いてきました。それにより、教会の鐘を鳴らすことも可能になり、その役目はアイトが引き受けてくれることになりました。


 到着して二日後には、講堂を開いて早朝祈祷会を開始。


 特に宣伝したわけではないのですが、朝の鐘をつくと、まるでいつもどおりだといわんばかりに住民さんたちは集まってきて、私とともに大神ミハリエルに祈りを捧げました。


 そのあと、住民さんと世間話をするのですが、そこからの内容によっては相談に移行したりするわけで……。


 その中で、「子どもに文字と算数を教える場所が欲しい」という提案がありました。


 もちろん町まで行けば学校があるのですが、なにしろ遠方です。


 行きかえりの時間があれば、家の用事や農作業などが手伝えるので、誰も学校に通わせていないのです。


 アイトは非常に憤りを覚えたようで「子どもを働かせるのか」と親御さんたちに食ってかかっていましたが……。農村部には農村部の事情というものがあります。王都のような都市部とはまた違うのです。


 そこで、「では早朝祈祷会のあと、私でよければ文字と計算を教えましょう」と提案しました。それならば行きかえりに時間がかかって親御さんたちが渋ることはありませんでしょう。


 到着三日後には簡単な勉強会を開始しました。

 本当はノートと鉛筆。あるいは黒板とチョークを使いたかったのですが、いずれもここでは高価で手に入りません。


 そこで棒を手に持ち、地面に書くことにしました。


 これなら間違えても足か手のひらでパパっと書き直せますし、私も進捗状況を一目で理解できます。アイトは『青空教室かよ……』といたましい顔をしましたが、これも工夫です。


 すると『お礼もできませんが……』と子どもを預ける保護者たちがおもいおもいに家で作っているというお野菜をくださるので、アイトが『じゃあ、朝ごはん込みで勉強会やろう』と提案してくださいました。調理を請け負ってくださるというのです。


 なんでもアイトは、子どもたちの栄養素の偏りが気になっていたようです。

 お手を煩わせるのではと申し訳なかったのですが、子どもたちの食生活が少しでも改善できるのならとなんでもないことのようにおっしゃいます。


 本当に。大神ミハリエルはやはりこの方を聖徒としてこの国に遣わしてくださったに違いありません。


 しかも。

 ……おいしいのです……。


 スープも手作りパンも卵料理も……っ! すべてにおいて絶品です! こどもたちも完食ばかり! これ、私が作成した料理ならこうはいきません! 最悪、子どもたちの教会離れが進んだかもしれません!!!!


 こうして、四日後には「早朝祈祷会」、「子どもたちの朝食会」、「子どもたちの勉強会」という流れができ、お昼になる前には子どもの家族が迎えに来るという形で終了することになりました。


 なかには『お手伝いします』と申し出てくれる村人もいるほどで、村の方々も非常に満足しており、このような形でみなの思いを作り上げてくださったアイトを本当に尊敬します。


「あ! お兄ちゃん!」


 最後のひとりになってしまって、焦ってご飯を食べていたハイネくんが嬉しそうな声をあげました。


 振り返りますと、講堂の裏手で居住区に続く扉からエプロンをしたアイトが出てきました。


「おう。飯食ったか。あれ? なんだ今日、集まり悪いな。子どもの数が少なくないか?」


 ハイネくんから食べ終わったお皿を受け取りながら、アイトはワゴンに近づきます。

 お皿や鍋に残る分量を見て判断したようでした。


「みんなユノ病になってんのよ」


 続いて顔をのぞかせたのはエヴァさんでした。


 なぜ居住区から、とぎょっとしたのですが彼女の姿を見て納得いたします。

 金の豊かな髪は三角巾でまとめられ、エプロンには調理の際にできたとおぼしき汚れが見えます。


 たぶん、アイトの手伝いをしてくれていたのでしょう。


 私と年が変わらないのに、エヴァさんは料理や家事において万能なのです。素晴らしい女性です。


「エヴァさん、いつもありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げると、エヴァさんはなんでもないことのように笑顔を浮かべられました。


「こっちこそ、妹たちが世話になってます」


 エヴァさんの妹ちゃんたちもここで文字と計算を教わっています。


「いえいえ。非常にまじめでかわいい子たちで、とても教え甲斐があります。名前なんてあっさりスペルを覚えてしまって、計算も一桁なら……」


 私はもっと妹ちゃんたちのことを伝えようとしたのですが、エヴァさんはあっさり聞き流し、いきなりアイトの背中に抱き着くので絶句いたしました。


「アイトもいつもおいしいご飯をありがとう♡」

「やめろ、エヴァ! 出入り禁止にするぞ、教会に!」


 アイトは怒鳴り、水を飛ばす犬のように身体を振ってエヴァさんを振りほどきます。


 ですがエヴァさんも負けてはいません。ぎゅっと胸を押し付けるようにしてアイトと腕を絡めます。


 エヴァさんとアイトはいつもかように……その濃厚なふれあいを行っているのでしょうか。


 だとしたら神の館でそのような不埒なことは許されません! ここは責任者としてしっかり伝えなくては!


「あ、あああああああああの。エヴァさんとアイト。ば、ばばばばばば場所を選んで濃厚接触を行って下さい!」


「何バカなこと言ってんだ!」


 逆にアイトに怒鳴られ、私は内心で「きゃいん」とつぶやきました。

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