第20話 テオドアの位置

 アイトは顔をしかめ、マグカップの中の紅色の液体を飲みます。


「転移・召喚だよ。聖女交代の場でも言っていただろう? 王太子が見切り発車だ、って。確かに異世界から連れては来られるようだけど……」


 語尾を濁すアイトに、私はつい前のめりに尋ねてしまいました。


「で、ですが勇者と呼ばれる方はこちらの世界に来ることができるのでしょう⁉ すごいではないですか!」


「それができないと、そりゃあ神殿やあんな場面で大々的に言わないだろ? 『セシリア嬢は勇者を天界から召喚させることができるのです!』なんてさ」


 少しバカにしたような口調でアイトは言い、お茶を飲み干しました。


 あの、私が聖女を解任された場のことを言っているのでしょう。

 私はその時のことを思い出し、少しだけ胸に痛みを覚えました。それを隠すためにマグカップのお茶を飲みます。


「王太子殿下は常々ジョーンズ上級神官のことを探っていたみたいでさ」

「王太子殿下が、ですか?」


 お茶を吹きだすかと思いました。


「なにゆえジョーンズ上級神官を? というかあの方も王族です。別にあやしくは……」


 ないのではないでしょうか。素性はしっかりしています。

 私の語尾は潰えます。アイトがひょいと肩をすくめたからでした。


「きっかけがなんだったかは知らないよ? 俺だってイーリアスの身体に入ってから初めて王太子殿下と話をしたんだし」


「そ、そういえばそうです! 王太子殿下はその……この状況のことをどこまでご存じなのでしょう⁉」


 いままで思い至りませんでしたが、ご自身の弟の身体に別の魂が入っていることはご存じなのでしょうか⁉


「全部知ってるよ。俺の中身がツキシマアイトだってことも」


 あっさりと言うので度肝を抜かれました!


 わ、私だってこの状況を理解するのに随分と日数がかかったというのに!


 さすが王族というべきでしょうか。一国を統べる方というのは理解も早く、なにごとにおいても動じず、万事うまく対応なさる、と。


 そういうことでしょうか!


「おっさん。ほら……えーっと大神ミハリエルがさ」

「そのおっさん呼びはおやめください!」


「ごめんごめん。イーリアスが死んだ夜にさ、大神ミハリエルが国王陛下の夢枕に立ったんだ。

 で、聖女テオドラの身に危険が及んでいるため、第二王子イーリアスの身体にツキシマアイトという男の魂を入れるって。

 これが夢でない証に、ここでしかわからない合言葉を伝えておくって言ったみたい。俺も大神ミハリエルからその合言葉を聞いて、国王陛下に伝えたってわけ。そしたら結構あっさり信じてくれてさ」


 なんと……。大神ミハリエルが夢枕に……! なんてうらやましい!

 私は初めて国王陛下の特権について羨望いたしました!!!


「ですが……。その、王太子殿下も……?」

 ふとそこで立ち止まりました。


 国王陛下はどことなく人の好いところがあります。対しまして王太子殿下というのは、よく言えば冷静に物事を対処される方です。


 その方が、かような状態のことを信じるのでしょうか……。


「王太子殿下は最後まで疑っていたよ。俺が本当に別世界から転生したのならなにか証拠を見せろって言うから、天界から見てて気になってたことをひとつ伝えたんだ」


「気になっていたこと?」

 私が小首をかしげますと、アイトはちょっとだけ言いよどみました。


「あのさ。ちょっと個人情報的なことになるけど。テオドアは聖職者でもあるから守秘義務ってあるんだよね」


「もちろんです。懺悔室で聞いたことや信者さんの告解は他言しません」


「じゃ、これもよろしく。王太子殿下ってさ、自分が本当に国王陛下の子かどうか悩んでいて」

「は?」


 思わず問い直してしまいましたが……。

 でもそういう噂は確かに聴いたことがあります。


 イーリアス殿下はお顔立ちも国王陛下にどことなく似ておられますし、なにより髪と目の色が同じです。


 対しまして王太子殿下は容姿も王妃似ですし、なにより気性がまるで国王陛下とは違いますから。


「本人、相当思い悩んでた。本当に王太子になっていいのか、とか。けどまさかお母さんに聞くわけにはいかないだろ? 浮気した?って」


 私はぎょっとして言葉を失います。


「で、天界から見てるときから思ってたんだけど、国王陛下と王太子殿下って、おんなじ指をしてるんだよね」


「同じ指?」


「右手の親指は普通なんだけど、左手親指がずんぐりとして短い。日本じゃまむし指って呼ばれて『美人になる』とか言われるんだけど……。これ、優性遺伝だから親の遺伝子をそのまま受け継ぐ。短指症って言うんだけどね」


 きょとんとした顔をしていたのでしょう。うーんとアイトは少し考えてから説明してくれました。


「子どもって、お父さんとお母さんのいいところも悪いところも受け継ぐんだ。つまりお父さんがまむし指なら子どももまむし指になる」


「あ、なるほど!」


「発現率はそこまで高くないのかな。実際、イーリアスは違うみたいだし」


 アイトはちらりと自分の指を見下ろします。確かに、イーリアス殿下の親指は二本ともすらりとしていました。


「そのことを遺伝子のこととか優性遺伝とかを交えて説明したら王太子殿下は納得してくださったんだ。確かにこの国にはない医療と生物学の知識を持っているって」


 なるほど。 

 アイトは私にだいぶんかみ砕いて説明をしてくださったわけですが、王太子殿下は対等にアイトと情報交換をしたのでしょう。やはりこの国の次代を担うお方です。


「で。王太子殿下と国王陛下が常々ジョーンズ上級神官を警戒してたって話なんだけど」

「ああ、そうでした! それはまたどうして……」


「王位簒奪を狙っているんじゃないかって」

「誰がですか」


「ジョーンズ」

「まさか!」


 私はとっさに否定しましたが……。

 ふと思いなおしてみます。


 確かに彼だって王族です。

 王位継承権は遠いでしょうが、あるにはあります。


 ですが。

 彼は神官です。つまり王家からは出された形になっています。


「あ……だけど」

 つい私はつぶやきました。


 神殿で彼は異例の出世を遂げ、国民からも絶大な信頼を得ています。

 ……確かにこれは……微妙だと言わざるを得ません。


「王家と神殿ってこの国の交わらない二大勢力だったわけじゃないか。そこをジョーンズってうまく神殿を取り込んでさ、現在の王家に対抗しようとしてるみたいなんだ」


「いや、ですが……! 神殿が王家に対抗できるはずがありません!」

「どうして?」


「だって」

 私は困惑しました。


「だって、王家にあって神殿にもの。それはです。私たちは武器ではなく信仰でもってあらゆる危機を回避し……あ」


 そこで私は言葉を失います。


「勇者……」


 それは。

 、ではないのでしょうか……?


「いったいどれだけの勇者とやらをこちらの世界に召喚できるのかしらないけど、そんなのをガンガン神殿に呼びつけて組織化したらどうなると思う? 王太子殿下も国王陛下もそれを憂慮されていた」


「そんな……」

 私は言葉を無くします。


「その力があるセシリアを聖女にすべく、テオドアに毒を持って廃位させたかったんだ」


 私は呆然とアイトの言葉を聞きました。

 カップを握っているというのに指先がとても冷たいです。


「テオドア。君は自分が思っているよりも味方は多い。だから廃位させたとしても、体調が回復したら推してくる人が出てくるかもしれない。実際、王家のツートップがそうなんだ。だから、聖女へと返り咲かないように……」


「魔物たちをけしかけて……私を殺そうとしている、ということですか」


 私がいままで見てきた風景ががらりと変わってきたような気がします。


 大神ミハリエルから授かった力を失ったのではありません。毒を盛られていました。


 サザーランド領に追放された元聖女。そうではなく、これはいずれ聖女として復活させるための措置。


「私は……なんと安穏と過ごしてきたのでしょう……」


 知らずに言葉が漏れ出ました。

 いつも誰かに守られていたのです。

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