第4話 やっぱり殿下が変です

「ごめん、ごめん。じゃあトイレ行って、なんかいつもと違ったらまた俺に教えて」


 ようやく笑いをおさめた殿下は目に浮かんだ涙をぬぐってそう言い、またくつくつと笑い声を立てられました。


「最初っからこう言えばよかったな。そしたら俺、変態呼ばわりされなくて済んだのに」


 は、と心臓が止まるかと。

 いえ、実際止まったと思います。


 目の前が暗転しました。


「テオドア⁉」

「はうっ!」


 殿下に揺すられ、我に返ります。


「あ、あっぶね! ちょ、急に失神とかやめてくれ!」

「す、すすすすすすすみません!!! 私、殿下になんてことを!!!!」


「は?」

「変態などと暴言を!」


「あ、暴言って自覚はあるのね?」


 にやにや笑って言われて愕然といたします。


 これは。

 死刑でしょうか……。


 死をもって償うのでしょうか……。

 その累は家族にも及ぶのでしょうか!!!!!


「そう思うんなら、はい、これ」

 殿下は再びゴブレットを私に差し出されました。


「飲んで。できればお代わりもして」


 まるで毒杯を差し出された気分で受け取り、おっかなびっくりゴブレットを唇に寄せました。匂いはありません。おもいきって一口、喉に流し込みました。


「………………………」

「はい、そんな顔しない。どんどん飲んでいこう」


「………………………」

「おいしい。ね? ほら。おいしいって言ってごらん」


「お………い………し………い……です……か?」

「まずいって知ってる。だけどどんどん飲もう。さっき俺に暴言吐いたのが悪いと思ったのならね」


 殿下が笑いながらおっしゃいますが……。

 なんというか……。

 本当に微妙なお味です。


 甘いんですが甘すぎることはなく。

 しょっぱいんですがしょっぱすぎることはなく。


 いっそどっちかにしてくれればいいのに、どちらも満足いかない結果の味付けと申しましょうか……。


 ですが、殿下に先ほどぶつけた暴言の罰がこれなら安いものです。


 私は目をぎゅっとつむり、一気に飲み干しました。


 ほう、と息を吐くと。

 くすりと笑い声がします。

 目を開くと、殿下が腕を組んでこちらをご覧になっていて。


「かわいい。子どもみたい」


 と笑っておられて……。

 私は火が出ているんじゃないかと思うほど頬を熱くして目をそらしました。


「時間をおいて、もう少し飲もうか」


 ひょいと殿下は私の手からゴブレットを取り上げると、また水差しの近くに置きます。


 そして再び椅子に座って乳鉢を膝の上に置いたとき。

 コンコンコンと三度ノックが鳴りました。


「あ。テオドアのお父さんじゃないか? リーリス伯爵」

 殿下がおっしゃいます。私はおずおずと「はい」と返事をしました。


「失礼します」


 入室の断りをして扉を開いたのは、私が子どものころから屋敷に仕えてくれている執事長でした。


 目が合うと、安堵したように微笑んでくれましたが、場の空気を読んだのでしょう。私に声をかけることはせず、後ろから入室してくる父のために脇へと控えました。


「失礼いたします、殿下。準備が整いましたのでご報告を」


 父でした。

 久しぶりに会った父は、まず椅子に座っておられる殿下に深く一礼したのち、近づいてそう告げます。


「生活用品等の荷物を載せた荷馬車は先行してサザーランド領へ出発しました。馬車のほうは屋敷前で待機しております。いつでも動けます」


 数年ぶりの再会かもしれません。

 聖女として神殿に入った直後は割と頻繁に会っていましたが、そのうち私的に会うことよりも公式な場で他人行儀に挨拶することのほうが増えてきたような気がします。


 記憶の中の父よりも、いまの父はとても疲れているように見えました。


「せかして申し訳ない。できるだけ早く王都を離れたくてな」

 殿下がおっしゃいます。父はとんでもないとばかりにかぶりを振りました。


「ですが……本当にいいのですか? その。娘とともに殿下もサザーランド領に行くなど……」

「やっぱり殿下も⁉」


 素っ頓狂な声が出て、慌ててはしたないと口を手で覆います。


 ですが咎める人は誰もいません。

 父も困惑したような顔でうなずきます。


「お前とともにサザーランドへ、と。すでに陛下と王太子殿下の許可は得ておられるそうだ」

「で、でででですが! セシリア嬢はどうなさるのです⁉」


 つい前のめりで聞いてしまう。


「セシリア? セシリアは関係なくね?」


 ゴリゴリとやっぱり乳鉢でなにかをすりつぶしながら殿下は興味なさげにおっしゃいますけど……。


「セシリア嬢とは懇意の仲では?」


 父の前でこのようなことを口にするのは申し訳ないのですけど……。

 私に魅力がないばっかりにこんな感じになってしまいましたが、それも仕方ないことです。セシリア嬢は非常に美しく、素晴らしい美貌の持ち主なのですから。


「あいつは」

 言いかけてから殿下は唇を閉じられました。


「ちょっと機密事項にひっかかる。言えないんだけど、いい?」


「も、もちろんです」

「立ち入ったことを娘が申しました」


 父娘で慌てて頭を下げると、ふふ、とやっぱり笑い声が聞こえます。


「親子だね、似てる。さて」

 殿下は乳鉢を持ってお立ちになりました。


「サザーランド領に行っちゃえばまた相当会えないから……。親子水入らずでどうぞ。俺はその間に馬車に荷物積むから。適当なところで来て。あ、テオドアの着替えもさせてね」


 殿下はおっしゃると、私の耳元に口元を寄せられます。


 なんでしょう。

 ぱちくりしていたら、


「もしトイレに行ったらおしっこの色確認して」

 また顔から火を噴くかと思いました。


「色の報告はいらないから。自分で自覚して。色が濃かったら要注意だから」


 笑いながら殿下は退室されます。私は死にたくなりながらも、両頬を手で隠して必死に平然を装いました。


 これは殿下が変態なのではなく、私の体調を気遣ってのことである、と何度も自分に言い聞かせながらも……。


 やっぱり変です。

 どうして殿下は私の体調などかように気遣ってくれるのでしょう……。

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