第9話 友有り、近隣より来たる
梅雨の合間の晴れの日。
熱中症指数が『極めて危険』を示した7月上旬の平日、昼。
打ち合わせと称して
「やぁやぁ
缶ビールに酎ハイ、諸々のつまみが入ったコンビニの袋を片手にテンション高くビーチサンダルを脱ぎ、海津はずかずかと家に上がり込む。
赤地にプルメリアの花が描かれた派手なシャツにベージュのハーフパンツ、黒のボディバッグを肩に引っ掛けた姿を玄関先で見た瞬間、「どこの南の島から来たんだ」と思わずツッコんだ。お前の家、うちから電車でたった3駅の距離だぞ。
「いいじゃんか。こういうのが着たくなるぐらい、気分がアガッてんだよ。なんたって2年ぶりに『YK』として曲作れんだぜ。もう嬉しすぎて全然寝らんないわ」
「嘘つけ、クマのひとつもねぇじゃんよ」
「バレた」
「やっほー、周」
「やっほー、
もやしのナムル、レンコンチップス、ポテトサラダなど、テーブルには既に何品か並べてある。「呑みながらの打ち合わせなら、つまみがいるでしょ」と周がサクサクと作ったのだ。そして今は餃子の皮にタネを包んでいる。
「うお、餃子じゃん! 俺、周の餃子めっちゃ好きなんだよね」
「包むの、手伝おうか」
こちらの申し出を笑顔でやんわりと断ると、周は「座って先に呑んでなよ」とテーブルに着くよう促した。
海津がにやにやしながら周の肩を小突く。
「周は尽くすタイプだったんだな」
「そうだよ。好きな相手はとことん甘やかしてずぶずぶに沼らせた上、一生囲っておきたいタイプだよ」
「
テーブルにビールと酎ハイの缶を置き、残りを冷蔵庫に入れながら海津と周の会話を聞いているが、恋愛ごっこをすると決めた日から周の態度ががらりと変わった。
分かりやすいところで言えば、パーソナルスペースがやたら狭くなった。これまで向かい合っていた場面でも、隣り合うことが増えた。表情も心なしか柔らかくなった気がする。
目元が涼し気なため真顔だとやや冷たい印象を与えるが、そんな顔立ちの人間がゆるりと笑った時のギャップたるや、男の俺でも少し「おぉ」となる。
一体これで何人の女子を勘違いさせてきたのか、考えるだけで恐ろしい。
「葉が戸惑ってる姿、見てみたいなー」
「うるせぇよ。ほら呑もうぜ」
プルタブを開け、缶を合わせる。
軽く喉を潤わせたところで、海津が「んで、恋愛ごっこ、やってみてどうよ」とレンコンチップスを齧りながら訊いてきた。
「んー、どうだろうな」
叔父と甥という関係上、お互いに一線を引いて接している感じがあっただけに、周のこの急激な距離感の変化にまだ慣れることが出来ない。
俺と周の間で、恋愛ごっこに対する温度や考え方の差を感じているのが現状だ。
歌詞を作るという目的を考えれば、本来入り込むべきは俺の方なのに。
「周、押しが足りてないっぽいぞ」
「問題ないよ。計画は順調」
フライパンに餃子を並べていく周を眺めながら、もしやこの餌付け状態も計画の内なのかもしれないとふと思った。
「女の子たちともすっかり切れたお前がどうやって歌詞書くのかと思ってたけど、周がいい仕事しそうで良かったわ」
「任せて」
握りこぶしで親指を立て、サムズアップで応える周。
恋愛ごっこについて海津に伝えた時、大笑いするか『常識とは何か』について講義されるか、そのどちらかだろうと思っていたら「いいんじゃない」とあっさり肯定された。何かを生み出す類の仕事をしているクリエイターやアーティストといった生き物は、やはり頭がどこかおかしいのかもしれない。
まだ恋愛ごっこを始めて一週間程しか経っていないが、それでも幾つか気付いたことがある。
「俺、周のこと舐めてたかもしんない」
「どういうこと? あ、このナムル旨っ」
しゃくしゃくと音を立てながら頬張る海津に、俺は話す。
「いや、正直こんなきっちり恋愛モードを出してくると思ってなかったんだよな」
物理的な距離の近さもさることながら、感情表現が以前と比べてとても優しく、豊かになった。
「なんかこう、周に本当にそういう感情があるんじゃないかと早くも錯覚を起こしかけてる」
「それ、錯覚じゃないんじゃね?」
「え」
海津にどういう意味か訊こうとしたが、フライパンに湯を投入する派手な音が俺たちの会話を遮った。周はさっとフタをすると、こちらを見てニッコリと笑った。
「はいはい、雑談は一旦終了。餃子、もうちょっとで焼き上がるから先に打ち合わせしちゃいなよ。圭くん、映画の話をしに来たんでしょ」
「あ、そうだった。こういう楽しい雰囲気久々で」
海津はボディバッグから折り畳んだ数枚の書類を取り出し、俺に渡した。
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