第26話 空の青 海のあを

 盆を過ぎ、8月も終わりかけだというのに、浜辺にはまだ数組の海水浴客がいる。幼い頃は何も厭うことなく水の中へ向かっていくことが出来たが、いつからだろう。海は遊ぶものではなく見るものに変わったのは。

 俺はひとり、自動販売機で購入したペットボトルの麦茶を手に、砂浜へ続くコンクリートの階段を降りる。


「ほい」

「……ありがと」


 階段の途中に腰掛けていたあまねは、受け取るなりパキッと音を立ててフタを回し開け、そのまま勢いよく一気に三分の一ほど飲んだ。その様子を見て、以前周がペットボトルのフタを開けてから差し出してきたことを思い出す。鈍感な上、気の利かない大人だな、俺は。


「あのさ、周。さっきの話だけど」

「あー! 海来るの、久々だなー!」


 俺の言葉を遮るように、周は大きな声を出した。


「さっきの俺の」

「僕泳ぐの苦手だから、いつも砂遊びばっかりでさ。父さんに『それじゃ公園にいるのと変わらんだろ。何のために海に来たんだ』て叱られたりして」

「だから、聞けって」

「そんなこと言われても『どんな遊び方をしようがこっちの自由じゃん』て、ようくんも思わない? もし僕に自分の子どもができたら好きにさせてあげたいな。まぁそんな未来は来ないんだけど」

「周、いい加減にしろ」


 俺は周の頭を軽くはたいた。


「痛。本当にさ、葉くんは僕の頭を何だと思ってんの」

「俺の話を聞こうとしないからだ、バカ」


 ウミガメを前に腹を決めた俺の答えを聞いた周は、一瞬ポカンとしたかと思うと顔を赤くして大いに狼狽えた後、長椅子から立ち上がり、逃げた。

 18歳のダッシュなど本来追いつける訳がないのだが、なんとなくの土地勘のお陰で捕獲に成功し、今に至る。


「まだ水族館、見てないエリアもあったんだぞ。もったいないことしやがって」

「葉くんが僕の予想と違うことを言うからだよ。あんな問題の出し方しといて何だよ、好きとか……」


 後半になるにつれ音量が小さくなった。照れているのか目も合わせない上、口を尖らせている。俺は周の隣に座り、足首をぐるりと回した。急に走ったせいか、普段なら意識していない筋肉の存在を感じる。


「すっかりほだされちまったなぁ」

「ほだされ? それ、どういう意味?」

「高校生には難しい言葉か。後で辞書引きな」


 空を見上げる。

 天気予報は一日中太陽のマークで、洗濯指数は90パーセントだった。雷も豪雨も、入り込む余地はない。


「2ヵ月近くほぼ毎日一緒にいて、同じ飯食ったりあーだこーだ喋ってりゃ、そりゃそうなるか」

「葉くんのこと、わかんないや」

「あんなにハッキリ言ったのに。俺にとっては割とキヨミズだったんだけど」

「『清水きよみずの舞台から飛び降りる』でしょ。言葉で仕事してる癖に変に略すの、良くないんじゃないの」

「正しく使うより語呂の良さが優先なんだよ」

「さっきあんなに正しさがどうのって言ってたじゃんか」

「そんなもん、ケースバイケースに決まってんだろうが」

「僕にめちゃくちゃ考えさせといて、いい加減だなぁ」

「そう思うならお前はブレずにいてくれよ」


 高校を卒業して、目の前に広がる海のように広大な世界へ踏み出せば、嫌でも生き方を曲げなくてはいけなくなる時が来るかもしれない。それでも大切なものを失わないための矜持きょうじを持って生きて欲しいと、心から思う。

 周の頭をわしゃわしゃと撫でると、周は身体をビクリとさせた。


「何だよ」

「いや……今の話の流れから、キスでもされるのかとドキドキしてたから」

「しねぇよ。言ったろ、高校生に手は出さねぇの」

「手はダメでも口なら出していいでしょ。ほらほら」


 顔を近付け、ニヤリと笑う。

 可愛いことしやがって。

 俺は周にデコピンをかますと「歌詞、どうするかな」と、話題を変えた。

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