第6話 海津の用件
「
「……
「もしもし。どうし」
「葉、これが最後でいいから、1曲書いて欲しい」
またその話か。
「いや、だから俺はもう書かないって」
「今、ひとつ映画の案件が動いてる。俺が音楽制作を担当することになったんだが、どうしてもそこに『YK』の曲を使いたい」
「どうして」
「この仕事を最後にするつもりだから」
耳を疑った。
「いやいや、俺はまだしもお前は需要があるじゃないか。映画の他にも楽曲提供とかCMとか、いっぱいやってるだろ。こんなに求められてる癖に、辞めるなんてもったいないこと言うなよ」
「俺はお前の方こそもったいないってずっと思ってる」
いつになく真剣な声が、スマートフォンのスピーカーから聞こえる。
どうしてこいつは、こうも俺を買い被るのか。
「お前が書かなくなってから独りでやってきたけど、正直もうつまんねぇんだわ。俺はお前の言葉に色を載せるみたいに曲を作るのが好きなのであって、単に仕事として作る曲はただただ無色で味気ない。ワクワクしないんだよ」
「ワクワクって……」
そんな子どもみたいな理由でこれまで積み重ねてきたものを終わらせようとするなんて、信じられない。
「自分自身が楽しめなくなったらクリエイターは終わりだと、俺は思う。例えばさ、エモい曲ってのは狙って作れるんだよ。そうやってこれまでやって来た。でも、テンションが上がらないまま流れ作業のように打ち込んだメロディを世の人たちに褒められて、クライアントから『次もお願いします』とか言われてみろ。これはこれで結構胸が痛む」
だから、と海津は言う。
「最後にメロディをつけるのは、お前の歌詞がいい。頼むよ」
祈るような声。海津をひとりでやらせてしまったのは俺の責任だ。
ただただ申し訳ない。
でも。
「知っての通り、俺は失恋の歌しか書けない作詞家だ。過去の記憶を手繰り寄せても、書きおろせるだけの気持ちはもう残っていない」
「2年前にお前から『辞めたい』と言われた時の俺の気持ちを想像して書けよ」
「何でだよ。それは失恋じゃないだろ」
「それはそうなんだけど。でも、お前に言われたあの言葉、一生添い遂げるつもりだった相手にフラれたような気分で、本当にキツかったんだよ……」
「ごめんて。悪かったよ。ていうか、添い遂げるって」
「仕事のパートナーとしてってことな」
「当たり前だ」
やっといつものように軽口が叩けるようになってきたと思っていたら「そういうことで、最後に気持ちが
「……いつまでに必要なんだ」
「おおおお! 書いてくれるのか! やった、マジで嬉しい、本当にありがとう!」
電話の向こうで大騒ぎしているであろう海津の様子を想像して、俺は「もう戻れないな」と思った。
「リミットは来年の3月だ。そこまでに曲を完成させておきたい」
この2年の間、一文字も書いていない人間が、果たして書けるのだろうか。正直不安しかない。移り変わりの激しい業界だけに、俺のことを待っている人もきっともういないだろう。でも、数少ない友人にここまで言われて断ることなど、俺には出来なかった。
「お前のことだからごちゃごちゃ考えてそうだけど、大丈夫。お前は気持ちのままに書いてくれ」
急激に温度の高くなった海津の声。
友人は大事にしないとな……と思いながら、俺は電話を切った。
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