第18話 綺麗事で上等
「終業式の日にさ、僕と友達とそいつの彼女の3人で帰ってたら、今日みたいなゲリラ豪雨に遭っちゃって。制服はびしょ濡れになるし雷も凄かったから、雨宿りがてら家に寄らせてもらったんだけどさ。友達がトイレに行った隙にいきなりキスされた」
「わぁ……」
「何が起きてんのか意味がわかんなくて固まってたら、今度は下の方に手が伸びてきたんだよ。反射的に手ではねのけたよね。そしたら『何すんのよ』て怒鳴るんだよ。そんなの、こっちのセリフだっての。でね、その子が言うにはさ。モテる癖に誰とも付き合わない僕のことを誰が最初にオトして食べるか、友達同士で競争してたんだって。ゾッとしたよ」
気持ちの拠り所がここにしかないかのように俺のシャツを掴んだまま、淡々と話し続ける。
「僕の知らないところでそういう遊びのネタにされていたことが純粋に嫌で物凄く怖かった。自分がそういう対象になったらどう思うのかなんて、少し想像したらわかることなのにね。何より自分のことを好きだと思ってくれてる人がすぐ近くにいるのに、平気で別の男にも手を出せる神経が理解出来なくて」
ズルくて欲深くて、獰猛。
そんな女性ばかりではもちろんないけれど、剥き出しの欲を押し付けられることは、ただの苦痛であり恐怖でしかなかっただろう。
「その子と同じ空間に居たくなかったし、友達にもどんな顔をすればいいのかわからなくなって、逃げた。雷も雨も凄かったけど、この気持ち悪さを全部流してくれるんじゃないかとも思ったんだ。勿論そんなことはなかったからこそ、今もゲリラ豪雨と雷に遭うと怖かった記憶を思い出して『うー!』てなるんだけど」
顔を上げた
「僕は自分のことを騙してでも、女の子と付き合っておけば良かったってことなのかな。女の子たちの誰かを受け入れていれば、そんなゲームをやろうだなんて誰も思わなかったはずだし」
周の心が揺れている。
自分とは異なる指向を持つ人々が多数を占める集団の中で、目立たず息をするために。
「それは違うぞ」
俺は即座に否定した。
「いいか。まずお前が友達の彼女から受けた行為について怒るのは当然だ。罪悪感を抱く必要など一切ない。それと、女の子を恋愛対象に出来ないことを理由に自分を責めるのは止めろ。むしろそんな状態で付き合ったってお互い満たされないし、誠実じゃない関係が長続きする訳ないだろ。なにより、お前の生き方に恥ずかしい部分など何一つないんだから、自信持って息吸ってりゃいいんだよ」
それでも周は「
「綺麗事で助かるなら上等だよ! 俺はお前の彼氏だろうが! まだ何か言いたいことがあるならなんでも聞いてやるからこの際全部吐き出せ!」
頭に手を当てていた周はしばらく固まっていたが、俺の言葉が脳に馴染んだのか、目を大きく見開いてベッドから跳ね起きた。
「よ、葉くんが恋人らしいこと、初めて言った!」
俺は男だから周との恋愛はどうの、て言ってた葉くんが……と、さっきまでの悲壮な様子から一転、テンションが爆上がりしている。
お前の彼氏、だってさ。
計算も意識もせずポロリと口をついて出た言葉なだけに、そんなことを口走った自分自身にちょっとびっくりした。気取られないよう、冷静な振りを装って言う。
「俺だって、お前にやられてばっかりじゃないんだよ」
「えー、どうしよう。なんかめちゃくちゃ嬉しいな。そんな風に言ってもらえる日が来るなんて思ってなかったもん。あー、まだドキドキしてるや」
にやつきながら再びベッドに転がると、俺の枕を両手で抱えてごろんごろんと悶えている。
「へへ。嫌な記憶、今ので全部デリートされたよ。もう雷もゲリラ豪雨も怖くないかも。なんなら豪雨記念日とか言って一句詠めそう」
「嘘つけ、学校も行けなくなるぐらいトラウマになってたもんが、そう簡単に拭えるか」
「拭えるよ」
俺に背中を向けた状態でピタリと止まる。
「嘘。すぐには無理」
「だろうな」
「でも葉くんに話して言葉を貰えたことで、かなり軽くなった気がする」
「そりゃ良かった」
「僕にとって、葉くんの言葉が持つ重みってすごいんだよ。昔からそう」
「曲の話だろ」
「それもあるけど、それだけじゃない」
「あと半月足らずで終わるような彼氏の言葉でも?」
「そうだよ」
――本当に大好きな人との幸せな記憶があったら、残りの人生何があっても生きていけるって思えるじゃん。
あの言葉の背後に潜んでいたものは、若さだけじゃないのかもしれない。
「そうか」
8月31日まで残すところ、あと2週間。
「なら、恋人らしくデートでもするか」
「え!」
周はがばっと起き上がり、こちらを見る。
「恋愛ごっこの一環で」
「デート(仮)てことだね」
「“ごっこ”だからな」
「“ごっこ”だもんね」
あちらとこちらの境目を踏み抜かないよう、声に出して言い聞かせる。
窓の外へ目を遣ると黒い雲は遠く西へ移り、空は眩しさを取り戻していた。
青いなぁ。
鮮やかさが突き刺さる夏らしい空に目を細める。
俺は曖昧にしている自分の本心を、いつまでぼかしていられるのだろうか。
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