第19話 デート(仮)
俺が子どもの頃の夏休みは8月31日までだったが、今は違うのだろうか。
8月最終週の月曜日。
シーツを干すためにベランダに出たら、子どもたちの声が聞こえてきた。チラリと見下ろすと、ランドセルを背負った小学生がわらわらと歩いている。
もう2学期が始まるのか。
秋は運動会や音楽会、遠足など行事が目白押しだった。
今はどうなのだろう。
中学校は?
高校は?
学校なんて無理に行く必要はない。
まして、高校は義務教育ではないのだから。
逃げるなと言うのは撃たれたことのない人間だから言えるセリフだ。狩りのターゲットにされ、恐怖を味わった人間に対して「それでも高校は卒業した方がいい」と言うヤツの言うことは信用に値しない。今生きることをもがいている人間に、あるかもわからない将来を見据えてのアドバイスなど求めていないから。
俺は周の叔父だ。
血の繋がりもなく、姉のついでで付いてきたようなものだ。繋がりを持とうと意識しなければどこまでも存在を薄くすることが出来る。
そんなつまらない人間でも、周にしてやれることがあればいいのに。
あいつの中に深く根を張っている不安や、顔を曇らせる存在全てを引き抜いてやることが出来たら。
時計を見る。
午前9時。
そろそろ行かなくては。
「まだ10分前だよ。早いね」
「お前は何分前に来てたんだ」
「30分前」
「早ッ」
周の家の最寄り駅、3番ホーム5両目付近に9時50分集合。
処暑はとっくに過ぎているのに気温は今日も30度を超えていて、暑さがおさまる気配がない。
「
「そうかそうか。ネタ作りに協力してもらって悪いな」
「全然。お役に立つなら光栄だよ」
あのゲリラ豪雨の日に周が打ち明けた話は、父親にも継母である俺の姉にも話していないという。しかし。
「花ちゃんは何となく気付いてると思うんだよね」
「何を」
「僕のセーテキシコーについて」
わざと無機質に響くよう話している。
性的指向。
周の恋愛対象は女性ではなく男性である。
「あー。姉ちゃん、
「葉くんのところに僕が行くのも、本当はあんまりよく思ってないのかもしれない。『今日は何したの』とか、すんごい聞いてくるもん。僕、疑われてんのかな」
「言い方。姉ちゃんは心配してんだよ。しょうもない弟に可愛い息子が引っ掛かってないかって」
「本当はその逆なのにね」
周は悪そうな顔で、くくっと笑う。
「あ、電車来たぞ」
車両内は出勤時刻のピークが過ぎたこともあり、空いていた。周を窓際に座らせて二人掛けの座席を確保する。
「そういえば行先聞いてなかったけど、どこ行くの」
日よけを降ろしながら、周が訊ねる。
「そりゃお前、夏のデートと言えば水族館だろ」
「わ。水族館好き好き」
「屋内で空調効いてるのがいいんだよなぁ。炎天下の中、アトラクションを並んで待つとか動物見て回るとかもう無理だし」
「もっと甘い理由はないの」
甘い理由、か。
「……薄暗いから色々出来る」
「葉くん、ゲスいね」
「甘さの匙加減、ムズいな」
各駅停車のゆったりとしたリズムに揺られながら、何ということのない話をしている。
いつからだろう。こんな風にほぼ対等な目線で話すようになったのは。
周が大人びているのか、俺が大人になりきれていないのか。あるいはその両方か。
「葉くんはさ」
周の声にハッとする。
「今までデートで水族館って行ったことあるんだよね」
「まぁ、何回かは」
「今日行くところはデートで使ったりした?」
「使ってないよ。むしろ俺も行くのはかなり久しぶり」
「そうなんだ。へぇ、そっか。僕が初めてってことか。ふーん」
やけに嬉しそうな顔をしている。
「俺と姉ちゃんが小さい頃、よく連れて行ってもらったとこなんだよ。学校の遠足でも使われるような昔からある古い水族館だから、写真映えするようなフードもないし変わった展示の仕方もしていない」
5分ほど歩けば砂浜に辿り着くような、海のすぐそばにその水族館はあった。
「俺としてはその変わらなさが良かったんだけど、今月いっぱいで一旦閉館して来年、今っぽい感じにリニューアルするんだと」
レトロさがウケた時期もあったようだが、最近では客足も落ち、経営の建て直しが急務となっていたらしい。リニューアル工事では生き物の展示方法を大きく変更する他、地元で人気のカフェがテナントで入るなど施設全体を大幅に変える予定だという。
「なんか寂しいね」
「そうだなぁ。そう思ってる人は多いかも。だったらもっと頻繁に行っとけって話なんだけど」
浅い後悔は深い後悔よりも、時に始末が悪い。
「そんな訳で、懐かしの場所での最後の想い出は楽しいデートで締め括らせてくれよ」
「喜んで」
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