第23話 甥の告白

 飲み込もうとしていたカレーが喉に詰まって、むせるかと思った。


「だってそうでしょ。嫌いな人とのご飯なんて何食べたって最悪な印象しか残んないし、どうでもいい人とのご飯に旨いも何もないでしょ。でも僕と食べるご飯は全部美味しいって。ようくん、僕とのご飯は作る時も食べる時もいつも嬉しそうにしてたけど、それって葉くんが僕のことを好きだからだよ」


「人の感情に勝手に名前を付けるなよ」


 俺は咄嗟にそう言い、気持ちを落ち着かせるように水を一口飲んだ。

 細かく砕かれた氷が、舌の上を急速に冷やしていく。

 自分の気持ちを深掘りしないよう、この冷たさに意識を集中させる。


「そっかそっか。葉くんは僕のことを好きなのか」


 いつも通りのおどけた口調。だが、声の温度は明らかに下がっていた。

 さっきまで俺たちの間に流れていた穏やかな空気の質が、急速に強張っていくのを感じる。

 アクリル板のように硬い空気が、俺とあまねを隔てているみたいだ。


「おい周、今何を考えてるんだ」

「でもその気持ちは違うと思う。違うんだよ。葉くんのそれは勘違いなんだ、きっと」

 

 声は冷えているのに、顔は笑っている。

 勘違いとは。

 周は割り箸を手にしたものの、割ろうとしない。


「僕さ、葉くんのこと試したんだよ」

「試した?」

「終業式の日にあったことを言っても、葉くんは変わらずに僕といてくれるのかって。僕が男の人しか好きになれないことが葉くんにバレても、優しいまま触れてくれるのかって」


 手にした箸をぎゅっと握り締めている。

 俺は周の言葉を待った。


「僕さ、”恋愛ごっこ”がどうのこうのってなる前から、葉くんのこと男の人として好きだよ」


 整った顔でにっこりと笑顔を作りながら言う周は、泣いているように見えた。


「だから、Yとして歌詞を書くために恋をする相手が必要になった時、気持ちが先に動いちゃって思わず『僕でどう?』て言っちゃったんだよね。でも本当に好きだからなんて言えないじゃんか。そんなこと甥っ子に言われても、困るだけでしょ。だから”恋愛ごっこ”なんて言ってこじつけたんだ。そうすれば受け入れてもらえる、”恋愛ごっこ”を盾にして葉くんのそばにいられるって」


 少し離れたテーブルから、幼い子どもとその親たちの声が聞こえる。

 わいわいとしたその声は、夏のおでかけにふさわしい健全な明るさを振りまいていた。


「自分の指向のことは一生黙ったままでいようと思ってた。その方がずっと気楽だし、僕がどれだけ好きな気持ちを言っても、恋愛ごっこって枠の中でのノリで済ませることが出来たから。でも、一緒にいればいるほど、本当のことを隠したまま恋愛ごっこを続けることがどんどん苦しくなっていって」


 俺と目を合わせず、周は話し続ける。


「本当の僕を知ったら、気持ち悪がってごっこ遊びなんてやめようって言うかもしれないって怖くなったり、いやいやそんな人じゃないって思ったり。葉くんに悟られないよう気を張ってたけど内心結構ぐちゃぐちゃで、もうどうしたらいいのか自分でもよくわからなくなってて。だから、あの雨と雷が凄かった日に言ってみたんだ。それで葉くんが引いたなら、僕はただの甥っ子に戻ろうと思ってた。でもさ」


 周はこれから懺悔でもする罪人のように深く目を閉じ、大きく息を吐いた。


「僕の中には別の計算もあった。葉くんは優しい人だから、あのことを言えば絶対心配するだろうし、僕のことをかわいそうだと考えるに違いないって。それなら例え僕を気持ち悪いと思ったとしても、恋愛ごっこをすぐ中止にはしないハズだって。案の定、葉くんは僕を拒まなかったし、恋愛ごっこも続くことになった。ずるいよね。浅ましいよね。僕は葉くんの優しさにつけこんだんだよ。今日のデートだって、大人のハイリョってヤツをしてくれたんでしょ。僕のこと、わきまえることが出来る人間だと思ってるかもしれないけど、全然だよ。滅びたらいいのは周りの人間じゃなくて僕の方だ」


「周」


「知らなくていいことを知ったせいで、葉くんは勘違いしたんだよ。ほら、よく言うじゃんか。同情と愛情を履き違えるなって。葉くんが僕に抱いている感情はそういうことだよ。僕の秘密を知ってしまったから、単に情が湧いただけなんだ。恋愛感情なんかじゃない」


「ひとりで完結すんな」


 口から棘のような言葉をこぼしながら、周が俺を見た。


「葉くん、本当にごめんね。やっぱり僕なんかが葉くんの恋の相手になれる訳がないんだ。今日まで、ふわふわと楽しかった。ありがとう。約束の期限には少し足りないけど、これで歌詞、作れるかな。ていうか、こんな気持ちじゃもうデートどころじゃないよね。ごめんなさい。それとさ、本気になったらおしまいにするって約束だったから、ちゃんと守るね。僕から言い出した話だったけど、恋愛ごっこは今日でおしまいに」


 言った瞬間、周の頬を次々と涙が伝い、スープを吸ってぶよぶよになった麺の上に落ちた。一度流れ出してしまったら堰を切ったように、なかなか止まらない。

 周は泣きながらおにぎりを一口齧った。


「周、こっち見ろ」

「おにぎり、梅だった……」


 酸っぱくて泣くなんて初めてだと言いながらむしゃむしゃ食べている。

 いやいや、順番逆だろ。どんな言い訳だ。

 泣く程終わらせるのが嫌とか、お前、どれだけ俺のこと好きなんだよ。


 決めた。

 ちゃんと言葉に出して、向き合う。

 自分の感情にも周の想いにも。

 俺は急いでカレーを平らげると、周に告げた。


「言いたいことは全部言ったか。なら、次は俺のターンだぞ」

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