第30話 葉と周

 どれぐらい時間が経っただろう。ぼんやりしていたら再びインターホンが鳴った。


「おはよう、ようくん」


 俺の顔を見て、あまねがふにゃりと笑う。

 その瞬間、俺は無性に周を抱き締めたい衝動に駆られた。この柔らかい笑顔を守ってやりたいと思った。何も知らず、何も聞かなかった振りをして、このまま8月を終わらせることが出来たらどれだけ良かっただろうと自分の弱さを呪った。


「どうしたの。中、入っていい?」


 俺の反応をいぶかしむ周の声。


「あぁ、いや……ちょっとコンビニまで行こうと思ってたから」

「そうなんだ」

「お前も一緒に行こう」

「えー。また雨の中歩くの嫌だな」

「アイス買ってやるから」

「お高いヤツ?」

「そうそう」


 姉とのいさかいの気配が薄く漂う部屋には通したくない。この場所で過ごした時間は楽しかったまま、周の中で眠らせて欲しい。

 傘を手に、外へ出る。


「明け方の時と比べて、ちょっと強くなってきたな」


 雨粒の形がはっきり見える。流石に傘なしで歩くのは難しそうだった。素足にサンダルを引っかけただけの俺の足元は、10分も歩けば雨に濡れてぐずぐずになるだろう。


「あれ、そっちに行くんだ」

「いつもと違うとこだとラインナップも変わるから」


 少しでも周との想い出がある場所には行かないよう、普段なら少し遠くて行かないコンビニへ向かう。


「傘差して葉くんと歩くの、レアだね」

「そうだな」


 ポツポツと頭上から不規則に音が響く。並んで歩いているのに、傘の幅の分だけ距離が空く。普段なら気にも留めないその隙間が、俺にはとても痛かった。


「何かあったでしょ」


 隣から声がする。


「いつもの葉くんなら、雨の日に僕を外に連れ出そうとするはずがないしね。外に行くつもりだったって言う割にはめちゃ部屋着だし、アイスのためにわざわざ遠いコンビニに行くなんて、面倒臭がりなのにあり得ない」


 傘の布越しに、周がこちらを見ているのがわかる。本当に察しが良い。それでも俺はここで頷く訳にはいかないのだ。


「ネタ作りの一環だよ。雨ってのは、割と印象的に使えるモチーフだしな」


 周の反応はない。

 うまく誤魔化せただろうか。

 傘を差しているせいで、こちらの表情が相手から見えにくいのと同じように、今の周がどんな顔をしているのか、俺にはわからない。


「葉くん」

「何」

「口でじゃんけんしよっか」

「え」


 唐突な提案に、素で反応してしまった。


「コンビニ着くまでの間ね。いくよ、じゃーんけーん」

「パー」

「グー」

「俺の勝ちだ」

「負けちゃった。じゃ次ね。じゃーんけーん」

「チョキ」

「チョキ」

「あーいこーで」

「パー」

「チョキ」

「あ、負けた」

「やりぃ。一勝一敗だね」


 顔も見ずに、単純なじゃんけんゲームを延々と繰り返す。お互いに難しいことはもちろん、簡単なことすら考えず、ただただ口から「グー」「チョキ」「パー」のどれかを言い続けた。勝敗などどうでもいい。ただ目的地までの時間を埋めたかった。

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