瞬夏終冬(しゅんかしゅうとう)

もも

第1話 失恋作詞家

「悪いけど、もう恋愛はしないって決めたんだ」


 外は雨。梅雨の6月。

 少し風が強いのか、吹き込んだ雨粒でベランダが濡れている。カーテンの隙間から視線を空へ向けると、濃淡のある灰色が広がっていた。


「そんなこと言ってもさ、もう2年になるんだぞ。新曲を待ってくれてる人たちだっているだろうが」


 おそらく額に手でも当てているであろう電話の相手は、怒ることを通り越して呆れ声だった。


「大体恋愛なんてもんはしないと決めたところでしちゃうもんなんだぞ。『落ちる』て言うだろうよ。偶発的な上に不可抗力なんだから、決めること自体が無駄じゃないか」

「だから用心して家から出来るだけ出ないようにしてるんだよ」

「あー、これだからなまじ金持ってるヤツはダメだわ。無理に働きに出なくても生活出来ちゃうんだもんな」

「そんな訳でもう俺のことは諦めてくれ。大体、海津かいづだって劇伴やったり色々ソロでやってんじゃねぇか。なんだって俺にこだわるんだよ」


 変わりそうにない空模様を眺めるのは止めて、俺は時計に目をやる。13時。そろそろあいつが来る頃か。


「そんなもん、ようの歌詞が好きだからに決まってるだろ。お前の書く言葉が一番メロディをつけやすいし、かきたてられるんだ」

「褒めてくれてありがとな。じゃ、そういうことで」

「いや待てまだ話は終わ」


 プッ。


「悪いな、海津」


 電話は苦手だ。声だけじゃ相手の本心がわからない。

 スマートフォンをテーブルに置き、冷蔵庫から缶入りの酎ハイを取り出す。昼間から酒を呑んでも誰にも咎められないとは、いい生活だ。

 苦いビールではなく酎ハイの甘さで舌を麻痺させるようになったのは、いつからだろう。


 空きページを埋めて欲しいと言われ、文芸部の部誌に詩を書いたのが高校2年の時。それを見た海津から「組まないか」と声を掛けられた。俺が書いた詩に海津が曲を付け、俺たちの名前のイニシャルから付けた『YK』名義で顔は出さずに動画サイトに投稿を始めたところ、高校3年の秋にアップした3曲目がバズッた。

 その後もコンスタントに楽曲を投稿し、メジャーデビューしたのは20歳の春だった。


「毎回前作超えてくるのスゴ」

「失恋した時はこれ聴いて泣くに限る」

「Yの歌詞には共感しかない」


 コメント欄には毎回賛辞の言葉が綴られていて、正直悪い気はしなかった。


 ただひとつ問題があるとすれば、俺が綴る歌詞は全て失恋を歌ったものだった。

 それも自分の経験を基にしないと書くことが出来なかったのだ。


 今まさに別れようとしている時の心境を描いたものだったり、サヨナラを予感した瞬間を膨らませたものだったり、別れてから数年後に当時を振り返って後悔に浸るものだったりとある程度バリエーションはあるが、出来上がったものはどれも終わった恋ばかりだった。


 恋愛真っ最中の歌を作ろうと思わなかった訳じゃない。挑戦したこともあった。

 が、自分が浮かれている時の恋愛事情を文字に残すことは、俺にとっては内臓を見られるような耐え難い恥ずかしさを感じて無理だった。第一、他人の恋の話など聞いて、誰が楽しいと思うのか。心のどこかで「早く別れればいいのに」と願いながら笑顔で相槌を打つのが人間だろう。


 それに対して、終わった恋なら記録するような感覚で冷静にアウトプットが出来る。悲しいと思う感覚は、楽しいと感じる感覚よりも共感を呼び起こしやすいこともあって、失恋の歌ばかり作っていたら、いつの間にか『失恋作詞家』の呼び名が定着していた。

 

 曲がヒットするにつれ羽振りが良くなると、色々な意味で周りに人が増えた。

 “恋をする”というよりも、“恋愛的な何か”をする機会が増え、相手に対する思い入れが軽くなるのに比例して、歌詞の深度も浅くなった。


 インスタントな歌は、飽きられるのも早い。


 このままではマズい、ちゃんと恋をしようと相手の女性たちと向き合ったりもしてみたけれど、歌詞を作るために恋愛をしていることに気付き、嫌気が差した。


 手段と目的の逆転。


 自分の中にある別れた相手への想いを取り出して広げてみても、そこには悔やむ気持ちも安堵の想いも何もなかった。当たり前だ、そんなもの、最初から存在しない関係だったのだから。


 動画の登録者数が減っていき、「昔は良かったのに」と回顧するコメントが目につくようになったある日、俺は一文字も書けなくなった。


 切り売りするような感情など、もう自分には残されていない。


 そうして海津に「辞めたい」と告げたのが、今から2年前のこと。

 俺は30歳になっていた。

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