第10話 餃子ディスタンス

 A4サイズの紙が、全部で8枚。

 1枚目には太字で印字された大きな文字が並んでいる。


「この間話した映画の資料。現時点でのヤツな」

「俺が見ても問題ないのか」

「ないっしょ」


 目を通しているそばから、海津かいづが口頭で説明する。


「公開予定は今のところ、来年の夏前ぐらい。30代半ばの女と男子大学生との年の差恋愛を軸にしたラブストーリーでさ。色々あった末に結末としてはハピエンなんだけど、途中にすれ違いがあったりする」

「よくある話だな」

「撮影する監督がこれまでCM中心にやってた人で、映画は初めてなんだと。演出にちょっと癖があるから、それを楽しみにしてる人が多いらしい」

「なるほど」

「音楽面でも話題を作りたいって言われてさ。それなら『YK』の書きおろしでどうかなって話になって」


 来年発表となると、『YK』としては3年ぶりの新曲になる。

 だがしかし。


「お前これ、ハッピーエンドなんだろ。俺が書くのは失恋の曲なんだが」

「あぁ、それは大丈夫」


 台所からパチパチとはねる派手な音がする。あまねが仕上げとしてフライパンに油を足したのだろう。餃子をカリッと焼き上げるコツなのだと以前言っていた。


「お前が失恋の歌詞を書いてきたら、すれ違いであれこれしている時の挿入歌として使うから」


 ん? 


「俺はそれしか書けない作詞家だってこと、お前が一番よく知ってるじゃないか」

「それはそうなんだけどさ。いや俺、今日までずーっと思ってたことがあって」

「何だよ」


 長い付き合いだというのに、今更何を思うところがあるのか。聞き出そうとしたその時、大皿いっぱいに広げられた美しい焼き色の餃子が到着した。


「お待たせ。熱いうちにどうぞ」

「待ってたよー! 餃子餃子!」


 海津は「話は一旦後回しな」と言うと、勢い良く餃子に噛り付いた。


「アッツ!そんでウッマ!」

「火傷するぞ」

「旨いモン食べて火傷するなら本望だわ。あー、このふわっと鼻に抜ける感じが毎回たまんないんだよね。何入れてんだっけ?」

五香粉ウーシャンフェンだよ。山椒とか色々入ってるミックススパイス。圭くん、毎回訊いてくるよね」

「俺の日常の中にないもののことはなかなか覚えらんないんだよ」

「覚える気がないだけだろ」

「あは。そうとも言う」


 コイツのこういう悪びれない軽さが、実は音楽的な遊び心にも繋がっていたりするのかもしれない。俺と周にチクチク言われながらも、「ヤバい、最高」と上機嫌で餃子を頬張っている海津の様子を眺めていたら、突然目の前に箸に挟まれた餃子がぬっと現れた。


「え、何」

「何じゃないよ。ようくんも、あーんして」


 にっこり笑顔の周が餃子を口元に近付けてくる。


「ちょ、待て待て。自分で食べるから」

「遠慮しなくていいんだよ。ほら、葉くんも僕の餃子好きでしょ。熱いうちに食べた方が絶対美味しいから。はい、口開けて」

「や、うん、それは分かってるんだけど」

 

 あーん、とか言われたの、何年ぶりだよ。

 助けを求めて海津に目線を送ったが、ビールを呑んではニヤニヤされるだけだった。くそ、後で覚えとけよ。


「あ、そうか。葉くんはふーふーして欲しいんだね。いいよいいよ。存分に僕に甘えてよ。ふーふー」

「マジですまん。俺が悪かった、今すぐ食わせろ」

「OK。はい、あーん」


 一回り以上年下に焼き立て餃子をふーふーされた上、あーんで食べさせられる俺。

 この絵面を想像したところで、誰も得しないだろうに。


「うん、美味しい」


 食べさせられ方は別として、餃子自体はやっぱり旨かった。

 カリカリとした皮の食感に、歯が悦んでいる。野菜もたっぷりで見た目よりも軽くあっさりしているため、いくらでも食べられそうだ。


 次々と食べ進める俺たちを見て、周がうっとりとした面持ちで呟く。


「僕が作った食べ物が葉くんの身体の中身を書き換えていくのかと思うと、なんだかゾクゾクするなぁ」

「わぁお。葉、本当愛されてんね」

「喉が詰まるわ」


 お前は俺に心と身体を差し出すと言うけれど、俺には内臓を明け渡せというのか……。

 18歳が提案する恋愛ごっこというからにはもっと可愛らしい感じかと思っていたのに、ずっしり重量クラスである。このままだと歌詞の内容がどす黒い感じになってしまいかねない。いやまぁ、それでもいいんだけど。

 と思ったところで、先ほどタイミングを逃した話について海津に続きを促す。


「あのさ、さっき言ってた『ずっと俺に対して思ってたこと』て何?」

「ん? あー、その話ね」


 いや、大したことじゃないんだけどさ……と前置きをして、海津は言った。


「俺、お前は失恋じゃない歌詞も書けると思ってんだよなぁ」

「わはは、無理無理」


 3缶目に突入していた酎ハイを吹くかと思った。


「絶対無理だよ。恥ずかしくて死ぬわ」

「だーかーらー、それだよ」


 箸で人のことを指すんじゃない。こいつ、軽く酔っているな。


「カッコつけてる場合じゃないだろって時でも崩さねぇじゃん。俺、お前がなりふり構ってないとことか見たことねぇもん」


 海津は口を尖らせる。


「すぐ手ぇ引くし、切るし、深みにもハマんねぇ。頭ん中も防衛ライン張ってっからか、いっつも冷めてんだよな。まぁ、だからこそ失恋ソングが書けてるとこもあんだけど。だってさ、別れた時の気持ちを目に見える言葉に置き換えて歌詞にするって単純に言やぁさ、痛みの再現でしかないハズなんだよ。普通やんないし俺ならやりたくないね」


 海津は残り少なくなったビールを、クイと口に流し込んだ。


「そういう冷静なとこを取っ払えたら、恋愛で馬鹿になった葉の歌詞が見られるんじゃないかなーと俺は思ってんだけど」

「海津先生の丁寧な分析、恐れ入ります」


 自分では特に考えたこともなかったが、そんな風に見られる何かが俺にはあるんだろう。酔っ払いのぐだぐだな話を聞いていた周がまとめにかかった。


「じゃあ、葉くんが僕になりふり構っていられなくなれば、葉くんの歌詞は新しい世界への扉を開くかもしれないってことだね」


「そうそう。相手のことをめっちゃくちゃ好きになって、自分のプライドとかどうでもよくなるぐらい伝えたい気持ちが溢れたら、すっげぇいい歌詞作るよ、コイツは」


 そう言うと、海津は悪そうな顔をして「つーことで、周との恋愛ごっこ、期待してるぜぇ」と笑った。

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