第31話 ありがとう、さようなら

 何十回目かのじゃんけんでコンビニに着いた。冷凍ケースに並ぶアイスはどれもパッとせず、仕方なく俺たちは無難なバニラアイスを選び、店を出た。


「ここで食べようぜ」


 かろうじて雨に濡れない程度の店の軒先でアイスを渡す。


ようくんの家で食べたい」

「溶けたら嫌だからここで食う」


 あまねは渋々受け取ると包装紙を剥がし、近くに置かれていたゴミ箱に捨てた。


「いただきます」

「ん。いただいてくれ」


 一口齧る。無難な価格のアイスは無難なバニラの味しかしない。舌が重くなるような甘さに喉が渇く。


「そういえばさ」

「うん」

「新しく作る曲って、誰が歌うんだろう」


 俺も海津かいづも作る専門なので、仮歌を入れることはあっても完成品に使うことはない。作り始めた当初は歌声合成ソフトを使用していたが、ある程度知名度を得てからはその曲調に合うアーティストにコラボレーションの依頼をかけていた。


「いつも通り、どんな曲になるかわかってから依頼する感じになるんじゃねぇかな。映画の絡みもあるだろうし」

「そうなんだ」


 そう言って口の中のアイスを飲み込むと、周はしばらく黙った後にぽつりと呟いた。


「葉くんに歌って欲しいな」

「んんっ」


 何を言い出すのかと驚いた拍子に、アイスが喉に詰まりそうになった。


「いやいや。俺の声は歌うのに向いてないよ。音域も狭いし、そもそも求められてない」


 はは、と笑って流そうとしたが、周は繰り返した。


「葉くんに歌って欲しい。僕は聴きたいよ」


 僕とのことを歌うんだったら適任は葉くん以外いないでしょ、と。


「そんなこと言い出したら、これまでの曲、全部俺が歌うハメになるぞ。俺の経験からしか作ってないんだから」

「それもそっか」


 二人で顔を見合わせて笑う。こんな軽い会話も、これが最後だ。

 周のアイスは残り三口程になっている。そろそろ切り出そう。


「お前さ、それ食べ終わったら帰れよ」

「嫌だ」


 予感していたのか、即答だった。


「この後打ち合わせがあんだよ。だから帰れ」

「その間、どこかで時間を潰すから大丈夫」

「帰れってば」

「じゃあ明日来る」

「明日もダメ」

「明後日は」

「明後日も、だ」


 周が黙り込む。この隙に、俺は頭の中で考えていたことを一気に吐いた。


「言っただろ。恋愛ごっこは本気になったら終わりにするって。昨日はつい流されたけど、最初の約束通り、今日でおしまいにしよう」

「だからお前はもう、うちに来るな」

「で、2学期から高校に戻れ。教室に行きたくないなら保健室登校でもいい。今の高校が嫌ならスパッと辞めて別のところに編入するとか、通信制に通うとかしろ」

「でもって、大学もちゃんと行け。俺は大学に行かなかったからどんなところかよく知らないし、行ったからって何かが上手くいくかどうかなんてわからない」

「でも、少なくとも今よりお前の世界は広がるだろうし、気を許せるようないい出会いだってないとも限らないだろ」


 我ながら表面的で薄っぺらいことを言っているなと分かっている。

 それでも、心が強くて、ちゃんとお前のことを考えて、お前が抱える後ろめたさなんて物ともせずに引っ張りあげてくれるような人との出会いが本当にあるかもしれないじゃないか。

 俺には出来ないことを易々とやってのけるような人との出会いが。


 だから。


「もう、うちには来るな」


 雨は止む気配がない。軒先から雨水がぱたぱたと降り落ちる。コンビニを出入りする人たちから、俺たちはどんな風に見えているのだろうか。本当の恋人にはなれず、ただの叔父と甥の関係にも戻せない。

 静かに聞いていた周が、こちらをじっと見詰めながら口を開く。


「それ、葉くんの本心?」


 目を逸らすな。


「そうだよ」

「僕に拒否権はないよね」

「ない」


 ふざけんなって怒れよ。嘘吐きとかバカとかアホとか、悪態つきまくれよ。なんなら殴るぐらいすればいい。

 その方が、気が楽だ。


 そう考えてハッとした。

 この期に及んで、俺はまだ自分が招いたことの責任を、自分ひとりで背負おうとしていなかったことに気付く。

 本当に滅びたらいいのに。

 周の右手に目を遣ると、握られていたアイスが溶け出していた。白い液がぽたりぽたりと地面に落ちる。

 周はすっかり角が丸くなったアイスを見て「寒いな」とこぼした。


「アイスで冷えたのかな。凍えそうに寒いや」


 ゆっくりと周の顔を見る。

 口の端をほんの少し上げて、周は笑っていた。


「寒くてたまんないからさ、葉くんのこと、ぎゅってさせてよ」

「それは」

「温めさせてもらうだけだし、葉くんは何もしなくていい。だから葉くんがいつも言ってる高校生には手を出さないルールには違反してないでしょ。カイロ代わりだと思ってよ」


 変わらない表情。変わらない口調。

 落胆。軽蔑。諦念。

 今の周が俺に対してどんな感情を抱いているのか、読めない。分かっているのは、これが最後の触れ合いになるだろうということだけだ。


「……どうぞ」


 周に向かい合うようにして立ったものの、正直どんな顔をすれば良いのかわからない。正面から周を見ることが出来ず、目を閉じて待っていたら、後ろからそっと抱き締められた。


「え」


 予想外のことに戸惑う。首だけで振り向こうとすると「こっちは見ないで、目は閉じたままでいて」と止められた。

 耳元で、周の声が響く。


「葉くん、温かいね。こんなに温かい人、どこに行ったって他にいないと思う」

「僕の価値観は、葉くんが作ってくれたんだ。葉くんは僕の全部だよ」

「好きでいさせてくれて、嬉しかった」


 だからさ。


「これで残りの5日間は、チャラにしてあげる」


 包み込む腕に一瞬ぎゅうっと力がこもったかと思うと、するりとほどかれた。


「10秒数え終わるまで、目は開けないで」


 10、9。

 背中から熱が離れていく感覚。


「ありがと」


 8、7。

 右手の小指に一瞬、周の指が触れる。


「ばいばい」


 6、5、4。

 気配が遠くなる。

 濡れた地面が去り行く足音を吸い込む。

 雨とコンビニの雑音に紛れて、周の音が聞こえない。


 3、2、1、0。

 カウントダウンを終え、目を開ける。

 見える範囲に周の姿はなかった。

 傘立てには、周のものが残されたまま。

 あいつ、傘も差さずに行ったのか。


 バカだな。

 本当にバカだ。

 俺みたいなのに巻き込まれて。

 損ばかり、傷付けられてばかりだったのに、何が「ありがと」だよ。

 ヒトの気持ちもロクに受け止められない俺みたいな自分勝手なヤツ、今すぐ誰か消してくれと思うと同時に、また他人任せにして逃げようとしていることに心底うんざりした。

 背中の感触が少しずつ薄れていく。


「……さみぃな」


 思わずしゃがみ込む。

 書かないと。

 この気持ちを言葉に落とし込んで吐かないと、これまでのことの全てが意味を失くす。

 右手の小指を眺めながらそう思ったけれど、ぐるぐるとした感情は一向に言葉として形をなさず、ただ俺の鳩尾みぞおちに溜まり続けた。

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