第15話 【若さ】という毒

「そういえばさ」


 俺はふと思った疑問を口にする。


「お前、恋愛ごっこするって決めた日から毎日うちに来てるけど、姉ちゃんには何て言ってんの」

 

 夏休みの宿題を教えてもらっているとか、そんなもっともらしい説明をしているのだろうか。


ようくんの仕事を手伝いに行くって言ってるよ」

「げ。仕事復帰するの、バレてんじゃん。色々言われてんじゃないの」

「うん。『何で急に仕事をする気になったの?』とか『どんなことを手伝ってるの?』とか『今度の彼女とはどんな感じ?』とか、めちゃくちゃ訊いてくる」

「あーそれはそれは……。姉ちゃん、相変わらず心配性だな。俺もういい年なんだけど」

「仲が悪いよりいいんじゃない。安心してよ、さすがに『今度の相手は僕だよ』とは言ってないから」


 口の端だけで笑っている。


「……何やってんだろうな、俺。お前にも姉ちゃんにも、色々迷惑かけて」

「はい出た、葉くんのネガティブ。花ちゃんは心配してるだけだし、僕に至っては楽しいだけだから」

「本当に?」

「本当に」

「8月が終わるまで、あと1カ月もないんだぞ。ごっこ遊びとはいえ、今が楽しければ楽しい程、確実に終わりの来ることが分かっている関係ってツラくないのか」


 もう以前までの叔父と甥の関係には戻れないかもしれないのに。

 少しの沈黙。

 溶けたソフトクリームが、コーンを持つあまねの右手からだらりと垂れ落ちた。


「やば」


 周はソフトクリームが溶けて伝った跡を、下から上へ向かってゆるりと舐め取っていく。右手の甲から指先、湿って柔らかくなったコーンに舌を這わせながら冷たいソフトクリームを口に入れたところで、目が合った。


「葉くんがエロい顔してる」

「してない。わざわざ俺に見せつけるようにやってるなと思っただけだよ」

「なんだよー、欲情してよー」

「そんな言葉どこで覚えるんだ」

「『YK』の歌」

「俺か……」


 ひとしきり会話に区切りがついたところで、お互い無言でアイスを食べた。クスノキの葉の隙間から射す太陽の強い光で、首の後ろがじりじりと痛い。

 食べ終わったアイスの冷たさで、口と胃だけがひんやりしている。


「さっきの質問なんだけどさ」


 周が口を開く。


「今が楽しい程、確実に終わるのがわかってる関係はツラくないのかってヤツ」

「あぁ」

「僕の考えでは逆かな」

「逆?」

「終わりが来るのが分かってるからこそ、いっぱい楽しいことをしたい」

「そういう楽しい想い出が増えれば増える程、別れた時に苦しくなるだろって言ってる」

「分かってないなぁ、葉くんは」


 周はブランコから立ち上がる。


「本当に大好きな人との幸せな記憶があったら、残りの人生何があっても生きていけるって思えるじゃん」


 そう言ってにっこりと笑う周を見て、俺は「なんて考え方をするんだ」と心の中で震えた。


 閃光のように強烈な記憶を下手に持つことが、この先の人生においてどれだけの影を心の中に生み続けることになるのか、まるで分かっていない。

 若いということは、それだけで十分に浅はかで恐ろしく、毒々しい。

 こんな存在が近くにいるから、俺もその毒に少しずつ侵されてきているのだろうか。いつだって終わった後のことを考えてしまう自分には、もうこんな風に思える若さは残されていないのに。


「確認するけど、お前」


 本気になったら、恋愛ごっこは即終わりにする。そのルールは今も生きている。


「何」


 言葉の続きを待っている周の気持ちが見えない。

 “ごっこ”なのか。

 本気なのか。

 そして自分の気持ちの底にあるものも、俺にはわからない。


「葉くん。僕が何」


 訊いたところで恐らく周は“ごっこ”だよと答えるだろう。そしてそれは本心なのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。

 確認するだけ無駄だ。

 一方で、周は俺に踏み越えて来いと訴えている気もしている。

 夏の陽射しに煽られて、蒔かれていた種が時期でもないのに芽吹いているようだ。こんなことは正しくないのに。


「何でもない」


 ブランコから立ち上がり、伸びをする。暑い場所で考えるから、色々と煮詰まるのだ。


「そろそろ帰ろう」

「アイス、ごちでした」

「お前が働いて稼ぐようになったら俺にも奢ってくれよ」

「ソーダアイスね」

「もっと乳脂肪分こってりの高いやつがいい」


 周は任せてよと言ったけれど、その頃にはこいつとの関係はどうなっているのだろうと俺はまた無駄なことを考えていた。

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