第28話 花と葉
夜明け頃から降り始めた雨は傘を差すか差すまいか迷う、一番厄介な降り方をしていた。
水族館デートからの翌日。
自分の中にある『書くこと』への執着を自覚すると共に、ヒトとして大切なものが欠けていることを再認識した次の日。
雨の日の
「やけに早いな、どうした」
言いながら扉を開けると、そこに立っていたのは姉だった。想定外のことに一瞬頭が真っ白になる。
「え、何。どうしたの、姉ちゃん」
「用があるから来たの。入るわよ」
「いや、ちょ、待って」
戸惑う俺を押しのけて玄関で靴を脱ぎ、ずかずかと上がり込んだかと思うと、勧めてもいないのに勝手に椅子に座る。
一体何なんだ。
「来るなら前もって連絡ぐらいしろよ」
「こういうのは奇襲が大事だからね」
「戦国時代かよ」
訳の分からないまま姉に促され、俺は向かいの椅子に腰掛ける。
「あー……、コーヒーでも淹れようか」
「いらない」
ぴしゃりと撥ね退けられた。言い方が厳しい。こういう時の姉は物凄く怒っているのだ。心当たりはひとつしかない。
「
やっぱりな。
姉はどれだけ怒りに震えていても、怒鳴ったり物を叩いたりすることはしない。ただただ理詰めで話すのだ。俺は姉のことは嫌いではないが、正論で詰め寄る姿勢は苦手だった。とはいえ、そうも言ってはいられない。
「周がどうしたんだ」
「今、質問してるのは私よ。答えるのは葉ちゃんだから」
そういえば昨日、似たようなやりとりを周としたのを思い出した。俺はこんな嫌な感じで周に返していたのかと思うと、更に自分のことを嫌いになりそうだった。
「俺と周のことを、何で姉ちゃんに話す必要があるんだよ」
「私はあの子の母親なの。理由としてはそれで十分でしょ」
「親に知られたくないことだってあるだろ」
「もしそういう内容だったならあの子の前では知らない振りをする」
「それは干渉し過ぎじゃねぇの。あいつはもう18歳だぞ」
「18歳なんてまだ子どもよ。世の中のことなんて知識として知っていても本当のところは分かってないんだから。親が子どもを守らなくてどうするの」
「守るって何だよ、俺からか。俺に周のことを見てくれって言ったのは姉ちゃんじゃないか」
「言った。言ったわよ。でも見てくれっていうのはあんたとどうこうなれっていう意味じゃない」
開きかけた口がそのまま固まる。
姉の言葉を理解した脳が、心臓をビクリとさせた。次の言葉が出てこない俺の様子を見て、姉が天井を仰ぐ。
「やっぱりそうなのね」
「……鎌掛けたのか」
「確認しただけよ」
大きなため息を吐き、眉間に皺を寄せながら目を閉じている。2歳年上の姉はきちんと生活をして、善良な日常を送り、真面目に家族を愛そうと努めている。同じ根から育った姉弟なのに、俺とは違う。
「帰って来た時、あの子は明らかにおかしかった。いつもみたいに笑ってたけど、触れてくれるなって全身で訴えてた。原因はあんたしかないじゃない」
今までしてきた
「周くんに何をしたのか、言いなさい」
これまでの俺なら口を割っていたかもしれない。でも周とのことは姉に話したくなかった。むしろ、姉だからこそ言いたくなかった。
黙ったままの俺を見て、姉は話の角度を変えた。
「私はね、周くんが好きになった人なら、相手は男性でも構わない。おめでとうって言える。でもあんたとなると話は別よ。だっておかしいでしょ。自分の息子と結婚相手の弟がどうこうなるなんて、旦那に申し訳なさ過ぎる」
わかるよ、姉ちゃん。
俺だってそう思ってるよ。
世間一般の正しさに照らし合わせたらそうなることぐらい分かってるんだ。
「私はね、あの子に後ろ暗い未来を歩かせたくないと思ってる。ただでさえマイノリティには冷たい社会なのに、身内同士でなんて周りにも説明がつかないじゃない」
頭を抱えている姉を前に、俺は胸の辺りがもやもやしていた。
話していることに対して、ずっと気持ちの悪さを感じている。
姉は正しい人だと思っていたけれど、この違和感の正体はもしかして。
「姉ちゃんは、周のことより自分の方が大事なんだな」
「……は?」
ギロリと俺を睨む。
「何言ってんのよ」
「そりゃそうか。姉ちゃんは周の父親と結婚したのであって周はついでみたいなもんだもんな。好かれるならそれに越したことはないけど、まぁ最悪嫌われなければいいかぐらいな感じに思ってそうだ」
「あんた、言っていいことと悪いことがあるわよ」
「だってそうだろ。旦那に申し訳ないとか周りに説明がつかないとか、姉ちゃんの考え方の真ん中にいるのは周じゃなくて自分だろうが」
「勝手に決めつけないで」
「あいつのことを俺に任せっきりにして、距離を縮めようとしなかったのは誰だよ。その癖ちょっと自分の立場が悪くなりそうになったら慌てて押しかけてきて周に何したか言えって、それは勝手過ぎんじゃねぇの」
相手が姉じゃなければ胸ぐらを掴んでいたかもしれない。
腹が立つ。
けれど俺だって、姉に怒りをぶつける権利などないのだ。姉も俺も中心にいるのは自分で、周のことは都合良く外に置いたままなのだから。
俺が詰まった隙に、姉が言葉を返す。
「あんたに預けてたって、私も旦那も、ちゃんとあの子のことは見てるわよ。あの子が好きになる相手は女の子じゃなくて男の子なんだってことも薄々気付いてた。だったらこれから先、誰とも結婚しないでひとりで生きていくことになるかもしれないじゃない。なら、親として出来ることは、ちゃんと大学に行かせてそれなりの会社に入らせるなり、自由に生きられるだけの資格を取らせるなり、色んな生き方があるって方向を示してあげることだと思ってる。何があったって支えるわよ。家族なんだもの、当たり前でしょう。あんたみたいに適当に相手して、ダメになったらすぐ放り出せるような薄い繋がりじゃないの」
驚いた。
あの姉が、理屈ではなく感情に任せて一気に言葉を吐いている。
周、お前のこと、やっぱり気付かれてたみたいだぞ。
「あいつとそういう話はしてるのかよ」
「面と向かってはしてない。あの子は賢い子だから言わなくても私たちが何を考えてるかわかってるし、伝わってるって信じてる」
違うぞ、姉ちゃん。
家族だからこそ、大事な話は言葉にしないとダメなんだ。でないと、察しの良い側は飲み込むばかりで吐き出せないじゃないか。
「だから高校のことも何も訊かないのか」
「本人が言わないのに無理に言わせようとする方が良くないでしょ。もう高校生なんだから」
「18歳は子どもだって言ってた癖に、肝心な場面で突き放すんだな。ご都合主義が過ぎんだろ」
違う。こんな言い合いをしたい訳じゃない。
俺は深呼吸をして、改めて姉に向き合った。
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