第22話 HEAT <眠りによせて>

 遠くから声が聞こえる。懐かしい声だ。

 声は振り子のように揺れ、近づき、遠のく。遠のき、近づく。

 あたたかい声だ。聞こえるはずのない……これは、

 母の、声?

 いぶき。いぶき。

 呼んでいる。

 おれを呼んでいる。

 その声は、どんどんリアリティを帯びてくる。

 いぶき。いぶき。

 いぶきさん。



「威吹鬼さん!」

 ああ、やっぱり。かけがえのない声だった。

 威吹鬼は覚醒した。あおいの膝に頭を置かれていた。

「良かった。気がついたのね」

 威吹鬼はかろうじて微笑んだ。

 けたけたけた、と痴呆じみた笑い声が聞こえた。美也の声だ。極限的な恐怖を味わい続けた上に、真二つになった陀羅鬼の血の噴出を全身でまともに受けてしまい、一時的に精神が崩壊したのだ。

「……怪我はねえか?」

「わたしと坊っちゃんは大丈夫。威吹鬼さんこそ」

 威吹鬼は腹に手をやった。まだ大きな穴が二つ空いていた。

「すぐにお医者さんを呼んでくるから。待ってて」

「大丈夫だよ。じきに塞がっちまう」

「でも」

 威吹鬼の額に熱いものがぽたりと落ちた。

 威吹鬼は手を伸ばし、あおいの頬に触れた。指先が濡れた。

「……どうしてだ?」

 あおいはぽろぽろと涙を流しながら、少しだけ微笑んだ。

「やっぱりわかるのね。目を閉じていても」

「目以外で、いろんなもんが見えてるんだよ」威吹鬼も微笑んだ。「ものを見る、っていうのは目だけを使うもんじゃない」

「それ、前にも聞いたわ」

 威吹鬼はふっと息を洩らした。

 ああ陀羅鬼。確かにそうだろうよ。威吹鬼は思った。

 確かにな、陀羅鬼。汚濁と、貧困と、恨みと、苦痛と、恐怖にまみれているんだよ、この世界は。そして人間は、あまりにも不便で弱く、不条理きわまりない生き物なんだ。確かにそうだよ。――でも、な。

 またひとしずく、あおいの熱い涙が威吹鬼の額に落ちた。

 陀羅鬼、おまえは人間の美しさを知らない。

「……なあ」

「何?」

「戦っているおれは、化け物みたいだったか?」

「ううん」

「……鬼みたい、だったか?」

 あおいは強くかぶりを振った。

「……威吹鬼さん。戦っている時のあなたはまるで――」

 意識が急速に遠のいた。

 まるで。そのあと、彼女は何と言ったんだろう? 戦っている時のおれは一体、あの子達の目にどう映っていたんだろう?

 威吹鬼は再び意識を失った。

 それは失神ではなく、やわらかな眠りと呼べるものだった。


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