第10話 WANT <あおいと威吹鬼>

 メイドが部屋に運んでくれた極めて本格的な朝食を摂ると、威吹鬼は部屋にあった電話を使った。

『妖撃舎ですが』

「八柱さんか」

『威吹鬼かい』

「ああ」

『連絡は夜に入れる規則のはずだがね』

「ばたついてたんだ、いろいろと。今、クライアントの屋敷からかけてる」

『……もう出たのか?』

「ああ」

『どんな奴だった?』

「馬鹿でかいイナゴが三匹」

『てこずったか?』

「いいや。Cランクでも対応できる程度だ。ぐちゃぐちゃにしちまったから掃除が大変そうだけどな」

『そうか』

「だが終わっちゃいないぞ」

『どういうことだい?』

「クライアントは妙なことを言っていた。以前は黒いかたまりのような影を屋敷の庭の片隅で見た、と。六本足のオオトカゲが壁を這ってるのも見たと言ってた。それで昨日のイナゴだ。やつらは明らかに様子を伺ってる」

『……どういうことだ。一匹じゃなかったのか』

「とんでもねえ。後ろには大物が控えてるみたいだ」

『…………』

「奴らは何匹か、ひょっとしたら何十匹かのチームで動いてる」

『なんと……!』

「だからボスを引っ張り出すまで戦いは続く。向こうから来るか、こっちから動くか……わからんがな」

『わかった。こちらでも調べられることは調べておくよ』

「頼む。あと、クライアントにも言ったんだが、こうなってくると一匹ぶっ殺してナンボじゃ仕事がしづらい。何匹出てくるかわからねえからな。やっぱりしばらく泊り込んで子守りをすることになりそうだ。だからそういった場合の料金体系がどうなってるか、ってところはあんたがクライアントに直接話してくれ」

『わかった』

「あと……」

『うん』

「少し気になることがある」

『何だね?』

「……まあ、それはいいだろ。そういうことだ。もろもろ頼むぜ」

『ああ。引き続き頼む。あと、威吹鬼』

「何だ」

『夜には連絡するんだぞ』

「わかったよ」

 威吹鬼は乱暴に受話器を置いた。

 電話を切った威吹鬼は装備を身につけ、庭に出た。

 庭では、あおいと麻貴がボールを投げて遊んでいる。そこから十メートルほど離れた木陰に、威吹鬼は腰を降ろした。空は晴れていた。

 あおいがすぐに威吹鬼に気付き、少し緊張した顔でぺこりと頭を下げた。威吹鬼もそれに応じ、会釈する。あおいは麻貴の耳元でひとことふたこと囁き、威吹鬼のそばに駆け寄って来た。麻貴は一人で壁にボールをぶつけ、キャッチボールをはじめた。

「――こんにちは」

 あおいは威吹鬼の一メートルほど前に立ってもう一度頭を下げた。

「あの……坊っちゃんを守って下さる方なのに、わたし、ちゃんと挨拶せずに……」

「……ああ」

 威吹鬼はあおいの顔の辺りに意識を集中した。依然として威吹鬼は目を閉じているが、あおいは目を合わせられたような気がして俯いた。

「あの」

 振り切ったようにあおいは口を開いた。

「何だい」

「座ってもいいですか?」

 威吹鬼は自分が座っている右隣の地面を平手でぽんぽん、と叩いた。

「ありがとうございます」

 威吹鬼は少し笑った。

「礼を言うようなことかな」

 晴れた空は高く、上空に細い雲が流れていた。

 あおいはその雲を眺めていた。ちらりと横目で威吹鬼を見ると、威吹鬼も顎を上げ、空気の匂いを嗅いでいるように見える。あおいはすぐに沈黙が辛くなった。

「……あの……ハンターって長くやってらっしゃるんですか?」

「え……ああ。やってるよ」

「どれくらいですか?」

 威吹鬼は面食らったような顔をした。

「どれくらいって……ずっと前からさ」

「ずっと前?」

「ああ。ずうっと前から」

 あおいは肩透かしを食らわされた気がした。でもめげなかった。

「こんなこと聞いていいのかわかりませんけど……」

 威吹鬼は頷き、先を促した。

「その目は生まれつきですか?」

「ああ。生まれつきだ」

「見えなくても戦えるものなんですか?」

「昨日、見たろ?」

 あおいは膝を抱いた。

「ええ……でも信じられなくて。あんな化け物を、ほんの瞬きするくらいの間で」

「まあそれでメシ食ってるんでね。それに――」威吹鬼はあおいに顔を向けた。「目以外で、これでもいろんなもんが見えちゃいるんだよ。ものを見る、っていうのは目だけを使うもんじゃない」

 威吹鬼は軽く微笑んだ。目を閉じている威吹鬼に何もかも見透かされているような気がしてあおいは顔を赤らめ、つい俯いてしまう。麻貴は不思議そうな顔で威吹鬼とあおいを見ていた。

「あんたはいくつなんだ」

「十七歳です」

「やっぱりそうか。声の感じでそれくらいだと思った」

「わかるんですか?」

「まあ、わかるよ」

「威吹鬼さんは?」

「おれは……ええと、何歳だっけな。面倒で覚えちゃいないな」

「何年生まれ?」

「……それも面倒で覚えてない」

「何それ。変なの」あおいは小さな声で笑った。「目を閉じたままで何でもわかる人が、自分の歳もわからないなんて」

「面倒だからだよ。忘れちまっただけだ」

 あおいと話しながら、威吹鬼は不思議な気分を味わっていた。

 心地いいようで、懐かしいようで……。とにかく不思議な気分だった。遠い昔に置き忘れてきた記憶の琴線に触れるような。

 そしてすぐにその理由が分かった。

「……声か」

「え?」

「いや」威吹鬼はかぶりを振った。

 声が似ているのだ。

 記憶の中の母の声とあおいの声はとてもよく似ていた。母の声を幼くして、弾むような調子をつければ恐らくあおいのような声になるはずだ。

 威吹鬼は納得した。久しぶりに母の夢を見たことも、これで合点がいく。

 威吹鬼の足元にボールが転がってきた。麻貴がボールを追って駆け寄ってくる。威吹鬼はボールを持った。

「坊っちゃん……一人で退屈した?」

 あおいの問いかけに、麻貴は首をぶんぶんと横に振った。そしてまた不思議そうに威吹鬼を見て、素早く頭を下げた。

「……こんにちは……」

「こんにちは。偉いな、ちゃんと挨拶できて」

 麻貴はおずおずと、威吹鬼の持ったボールを指差した。

「ああ。――ほれ」

 まったく不思議な気分だ。どうかしている。威吹鬼はそう思いながら麻貴にボールを渡した。

 ふと、麻貴の指先が威吹鬼と軽く触れた。

 背筋に電流が走った。血がたぎった。毛穴が開いた。一瞬息を呑んだ。

「…………」

「……どうしたの? 威吹鬼さん」

「……いや。何でもない」

 しばらくぼんやりと威吹鬼の顔を見ていた麻貴は「ありがとう」と言ってボールを抱えると照れくさそうに微笑み、走っていった。

 威吹鬼の鼓動は速くなっていた。

 間違いない。あの子は月詠の子だ。

 威吹鬼の神経は、麻貴の身体から発せられる抑えがたい魅力に強く反応した。



 その瞬間。

 空気が変わった。

 風が臭った。

 威吹鬼の身体中に網目のように張りめぐらされた超感覚が危機の訪れを急速に告げていた。

 とっとと身構えろ、うすのろ。足を踏ん張って銃を構えやがれ、と。



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