第7話 FLAT <あおいと麻貴と、月のはなし>
「あおいー。月のうさぎさんのお話をしてぇ」
「またですかぁ?
少女はカーテンを引いた薄闇の中をゆっくりと歩き、麻貴のベッドに腰掛けた。「――早くお昼寝しないと」
「聞きたいの。月のうさぎさんのお話」
あおいはふっと微笑んだ。
「……だって坊っちゃん、泣いちゃうんだもん。月のうさぎさんのお話をしたら」
「今日はぜったいに泣かないからー」
「ううん、いっつも泣いちゃうでしょ? だから、さ、早くお昼寝しましょ」
「泣かないから。おねがい、あおい」
麻貴は掛け布団から出した手をばたばたさせて駄々をこねた。こうなるとこの坊っちゃんは言うことを絶対に聞かなくなる。あおいはそれをよく知っている。ふうっ、とため息をついた。
「むかしむかし……」
急に麻貴の茶色がかった目はきらきらと輝きはじめた。
「あるところに旅人がいました。
旅人はたった一人で旅をしていました。
旅人は森に入ってしばらく歩いたところで、道に迷ってしまいました。
食べ物はたくさん用意していたのですが、
ついにそれもなくなってしまいました。
旅人は困りました。とてもおなかがすきました。
でも、おなかがすいても食べ物はありません。
困っている旅人を、いろいろな森の動物たちが見ていました。
『旅人を助けたい』。動物たちは思いました。
木登りが得意なおさるさんは木に登り、くだものを取ってきました。
くまさんはハチミツを取ってきました。
ところが、うさぎはなにも取ってくることができません。
きつねさんのように動きがはやいわけでもなく、
おさるさんのように身が軽いわけでもなく、
くまさんのように力があるわけでもありません。
うさぎさんは、おなかをすかせた旅人のために、なにもできなかったのです。
うさぎさんは困りました。
旅人のためになにかしてあげたい。なにか食べさせてあげたい。
心を決めたうさぎさんは、旅人のおこしていた焚き火の中に飛び込みました。
そして言いました。
『旅人さん。どうかわたしを食べて、元気になってください』」
あおいがちらりと横目で麻貴を見ると案の定、ベッドからすっかり身を起こし、ぽろぽろと涙を流しながらしゃくりあげていた。
やっぱりこうなっちゃった。目を泣きはらしていると、奥様が心配するんだけどなあ。あおいは思った。だがこのあとの展開もあおいには予想がついている。
「ほら泣いちゃった。でも坊っちゃん、大丈夫。まだ続きがあるでしょ?」
麻貴は目を擦りながら、うん、うんと何度も頷いた。
「自分のために死んだうさぎさんを見て、旅人は涙を流しました。
実は旅人は神様だったのです。
うさぎさんの優しい心に感動した神様は、うさぎさんを月に連れて行きました。
そして月に神殿を建て、うさぎさんを葬りました。
うさぎさんは、月の神様になったのです。
だから、月にはうさぎさんがいるのです。
満月の夜、うさぎさんはそのかわいい姿を私たちに見せてくれるのです」
「――おわり」
あおいは話し終え、麻貴の顔を見た。やはり笑顔に戻っている。
「面白かった?」
「うん。よかったね、うさぎさんは月の神様になったんだよ」
「そうね」あおいは微笑んだ。「もうお昼寝できるね?」
「うん」
麻貴は目をつむった。
あおいは心の中で、いち、にい、さんと数えだした。そして十を数える前に、麻貴は軽い寝息を立てだした。
いつものことだ。本当はとても眠かったようだ。あおいはそんな麻貴がとても愛おしかった。
振動を与えないように、あおいがそっとベッドから離れた時に、遠慮がちなノックの音がした。
「――あおい」洛の声だ。「いいか?」
「はい。坊っちゃんはお休みになりました」
ドアがゆっくりと開けられた。
「話していたお客様が来られた。一階の応接室にいらっしゃる」
「はい」
「おまえも会っておけ」
「……はい」
洛は先に立って広い階段を降りる。
「どうだね。坊っちゃんを寝かしつけるだけの仕事には、やりがいを感じるかね?」
あおいは目を伏せた。
「……他にもいろいろと仕事はありますから……」
「ふん」
洛は小声でせせら笑うように言った。
「絵本を読み、散歩をし、話し相手になる、か。あおい、おまえが羨ましいよ。そんな成りをしたおまえが、子供とじゃれてるだけでこんな高給をくれる屋敷で働けるとはね。坊っちゃんさえ懐かなければ、おまえなど」
「…………」
あおいは黙るしかなかった。
そんな成りのおまえ。昔から言われ続けてきたことだ。
「しかし薄気味悪い男だ。目が見えないらしい」
あおいは顔を上げた。
「……目が?」
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