第14話 LOST <あおいのこと>

 油霞町の表通りは自動自転車、電気自動車の往来に加えて油圧式路面電車もがたがた、と行き交っている。せわしない。しかし、威吹鬼とあおいが休憩場所に選んだ路上喫茶屋の周辺は少しだけ静かだった。前にちょっとした広場もあり、そこで麻貴は持ってきたミニカーを走らせて遊んでいる。

 あおいは二人分のコーヒーをカウンターで注文し、カップを二つトレイに載せて威吹鬼の向かいの席に座った。

 威吹鬼は座った姿勢でも、常に半身を麻貴の方に向けていた。そして意識も麻貴に向けているようだった。あおいは大振りのコーヒーカップを手に、そんな威吹鬼の姿をしみじみと見る。

 威吹鬼は新しく腰に増えた武器の存在にまだ不慣れなようだった。しきりに腰に手をやり、ホルスターの位置を細かく調整している。

 黒い革のジャケット。黒い革のパンツ。黒い革のエンジニアブーツ。膝までの長さの、フード付の茶色いマント。マントの隙間からホルスターが覗く。コングのホルスターも黒の革製で分厚く、極寒地や酷暑地といった劣悪な環境下でもひび割れたり破損したりしないようにたっぷりと油が引いてある。ホルスターは大きく長く、先端は膝の辺りまである。膝の少し上のところで、皮ひもで緩やかに結わえ付けられている。すべてに細かく手入れが施されていた。

 革のジャケットの左袖から下は、昨日の化け物との戦いで溶けてなくなっていた。しかし手のケロイド状の傷は綺麗に治っている。

 不思議な人だ、とあおいは思った。

 もっとも、お金のためとはいえ、自分の命を危険にさらして化け物と戦おうという人だ。変わった人間でないはずがない。

 しかし、とあおいは思う。

 威吹鬼は何かが違う。

 今までに直接触れ合うことさえなかったが、ハンターと呼ばれる人間は何度か見たことがある。その多くは粗野だった。目がぎらついていた。大男だった。下品だった。自分とは絶対に合わない。合わせる必要もない。住む世界がまるで違うのだ。そう信じていた。

 だが、威吹鬼は違う。

 威吹鬼の顔は美しい。ハンターにしては小柄で華奢だ。

 だが外見だけではない。これまで見てきた、あおいの認識の中にあるハンターとはどこか違う。どう違うのかはあおいにもわからなかった。ただ、威吹鬼に対してはなぜか、あおいは自分のことを話したくなるのだった。

「わたしの父は――」あおいはカップをゆっくりとテーブルに置き、口を開いた。「賞金稼ぎでした。威吹鬼さんと同じように」

 威吹鬼はほんの少し、顔をあおいの方に向けた。

「もちろん威吹鬼さんみたいな凄いハンターじゃありません。腕は三流と呼ぶのがふさわしいものでした。ですが、体はがっちりしていて大きかったんです。肉体労働をしていたので力もありました。だから賞金稼ぎをやってみようと思ったんでしょうね……。

 わたしがこんな成りだから……気持ち悪い子の父親、ということで職場での風当たりもあまり良くなかったようです。同情してくれる人もいたみたいだけど……社長は父を嫌っていました。それに不況も重なって。父親は職場を馘首くびになったんです。そのあとしばらくは仕事を探していたんですが、なかなか見つからなくて。それで、なんていうか、しょうがなく賞金稼ぎになって……すいません。こんな話、退屈ですよね?」

 威吹鬼もカップをテーブルに置いた。

 やはり似ている。母の声に。

「いや。続けてくれよ」

 あおいは少しだけ微笑んだ。

「賞金稼ぎになってはじめての仕事で父は死にました。わたしが十三歳の頃です。威吹鬼さんだったら多分、すぐに退治できるような怪物です。かけられていた賞金もとても安かったから……。でも経験のない父には、過ぎた相手だったんでしょうね。

 ギルドから届いたのは、父の右腕だけでした。……現場で働いている時に事故を起こして、右腕に切断しなくちゃならないほどの大怪我を負ったんです。その時に手術して、父の右肩には人工筋肉と合成塩化繊維でできた擬似腕が付いたんです。その右の擬似腕以外の全部、つまり肉の部分は全部化け物に食べられた、とギルドの人は言いました。話しているギルドの人はびっくりするくらい冷静でした」

 威吹鬼は沈黙し、話に聞き入っていた。麻貴に意識を傾けたまま。

「母はとっくに亡くなっていたので、父とわたし二人だけの親子でした。わたしは悲しくてすごく泣きました。……わたしの手元に残ったのは父の擬似腕。それとギルドの登録料の借金と、父には荷が重すぎた高性能すぎる銃を買った時の借金でした。小学校を卒業すると、わたしはすぐに働きはじめました」

「ハンターである父親を化け物に殺されて、生活が行き詰る家庭は多い。でもそういうケースの補助について、まだまだ政府の対応はなっちゃいねえな」

 あおいは哀しげに微笑み、少しだけ頷いた。

「十三歳の女の子にできる仕事はとても少なかったです。雇ってくれる職場も。しかもわたしはこんな顔だし。仕事は選びませんでした。どんなことでもしました。辛い毎日でした。何年間もほとんど休まずに働き続けていました。――そんな時です」

 あおいは麻貴をいつくしむように見た。麻貴はぶうぶう、と言いながらミニカーを走らせるのに余念がない。

「この子に会ったのは。――丁度派遣期間が終わって、次の仕事を探している時でした。街頭の掲示板で求人をチェックしていたわたしの、汚れた作業服の裾を坊っちゃんが引っ張ったんです。「遊ぼ」って。坊っちゃんはわたしにそう言いました。わたしは「いいよ」って言って。丁度その――」

 あおいはミニカーを指差した。

「おもちゃで、一緒に遊んだんです。それを奥様が見られて。すごく驚かれたんです。「初対面で、麻貴から人に声をかけることなんて今までに一度もなかった」って。わたしね、何だか子供にすごく好かれるんです。何だかわからないけど、ヘンに好かれちゃうんです。何でなんだろ? ……それで、丁度この子のお世話係を雇おうと思っていたから、あなた明日から屋敷に来てちょうだい、って言われて。断る理由なんてありませんでした。こんなわたしを高給で雇ってくれたんです」

 あおいは暫定的に微笑み、コーヒーを一口飲んだ。「……威吹鬼さんのご両親は?」

「母親はおれが子供の頃に病気で死んだ」

「お父様は?」

 威吹鬼は口をつぐんだ。コーヒーで口を潤し、会話を遮断した。「――それにしても、わかんねえな」

 威吹鬼は腕を組んだ。脚を組まないのは、ハンターとしての習性なのだろう。

「昨日も言ったけど、おれは目以外の部分を使っていろんなものを見てる。例えば耳だ。よく聴いてみると、美人だ、って言われてる女の声にはある一定の法則、というか波みたいなもんがあるんだ」

「はい」

「まあ、これも目が使えない人間にしかわからんことだがね。あおいさん、あんたの声は美人のそれだ。あんたは多分、けっこうな美人さんなんだと思う。そんなあんたが「こんな成りのわたしが」って、どうしてそんなに自分を卑下するようなことを言うんだ?」

 あおいは俯いた。「……だって、それは――」

「あおいー」

 唐突に麻貴があおいに声をかけた。

「坊っちゃん。どうしたの? ごめんね、退屈だった?」

「あおいー。月のうさぎさんのお話をしてぇ」

「……またですかぁ? もう」

 あおいはふくれっつらを作った。

「何だい、月のうさぎさんのお話って?」

 本当にどうかしている。「何だい、月のうさぎさんのお話って?」だと? このおれがこんな質問をするとは、な。まったく調子が狂う。

 威吹鬼はため息をついて頭を掻いた。

「ああ、それは」あおいが微笑んだ。「昔話にあるでしょ? 満月にはうさぎが住んでる、ってお話。あの話が坊っちゃんは大好きなんです」

「へえ」

「ねぇあおいー。月のうさぎさんのお話ぃ」

「しょうがない坊っちゃん」

 あおいは麻貴を抱き上げ、膝の上に座らせた。

「むかしむかし……」

 麻貴の目が輝きはじめた。

(皮肉なもんだな)

 威吹鬼は思った。

 今はその満月が、神が住んでいるはずの美しい満月が、この子を怯えさせるものになっている。

(うさぎさん。あんた、月の神様なのか? だったらあんたも一緒にこの子を守ってやってくれ。この子を呪われた運命から解き放ってやってくれ)



 もちろん油断はしていないつもりだった。

 しかし、つかの間訪れた安穏とした雰囲気が、ほんの数秒、威吹鬼の反応を遅れさせたのかもしれない。

 腐土病を患ったような、灰茶色の肌をした浮浪者が三人、威吹鬼達のテーブルに近づいてきていた。いずれも虚ろな目をしている。


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