第8話 CONTACT <美也・戦闘>
一階の豪華な応接室では、
「威吹鬼さんはあの……目がお見えにならないの?」
威吹鬼は軽く頷いた。
「そうなの……」
美也は美しい女だった。年齢は四十を過ぎているように見えるが、身体の線は崩れておらず、肌のきめも細かくて色が白い。身体にぴったりと密着した、黒く丈の長いワンピースを着ていた。香水の匂いがきつい。
「それで、あの、目が不自由でお仕事の方は」
「ご心配なく」威吹鬼はぴしゃりと言った。「一応、組合からは〈S〉の認定を受けています」
ギルドではハンターのランクを上からS、A、B、Cと四段階に分けている。もちろんSは最高ランクで実力がある分、強力な化け物の相手をすることも多い。ついぞのような、ハンターばかり何人も喰った河童の相手もSクラスの仕事だ。
「目が開かなければ開かないで、普通の人間が見えないものが割合に見えたりもするんですよ」威吹鬼が表情を変えずに言った。
「……威吹鬼さん」
「はい」
「あなた美しいわ」美也は威吹鬼の流麗な口の動きをじっと見て言った。「とても美しい」
威吹鬼は答えない。
「私の息子もね、麻貴も、とても美しい子なの。ええ、もう素晴らしく美しい子よ。私によく似ているわ」美也はティーカップから少しだけ紅茶をすすった。「だから化け物に狙われているのかしら」
「失礼ですが、ご主人は?」
「死んだの」
ノックの音がした。
「――奥様」
「入ってちょうだい」
ドアが厳かに開き、洛が一礼して入室した。あおいも続いた。
「彼女には麻貴の世話係をしてもらっているの。私も仕事で家を留守にすることが多いから。――ほら、あおい。こちら、妖撃舎の威吹鬼さん」
「……あおいです。こちらのお屋敷でお世話になっています」
あおいはあわててぺこんと頭を下げた。わずかな空気の揺れを感じ、威吹鬼も軽く会釈した。
「あとは料理人が一人とメイドが一人と、掃除婦が二日に一度来るだけ。こんな大きなお屋敷、必要ないのよね」
美也が微笑をたたえて言った。
あおいは慣れない空気にどうしていいかわからず、落ち着かない様子で、手を前で組んだままなんとなく洛の横に立ったままになっていた。
「大体の話は聞いてらっしゃるわよね?」
威吹鬼は頷いた。「ええ、軽くは」
「揃ったことだし、ちゃんと話すわね。――息子の麻貴は今月、五歳になるわ。数週間前から、屋敷に妙なものが現れはじめたの。夜の庭の隅で真っ黒な影がうずくまっているのを料理人が見たわ。その影は、麻貴の部屋をじっと見ていたらしいの。それで私はあおいを雇ったの。ごつい男のボディーガードなんて、かえってあの子、怯えるから。……他にもあるわ。掃除婦は、六本足の大きなトカゲのような生き物が外壁を這っているのを見て悲鳴を上げた」
美也は冷静な口調で淡々と話し続けた。
「もっともそのトカゲのような生き物は、恐ろしく速い動きで逃げていったようだけどね。半径五百メートルに響き渡るような掃除婦の絶叫を聞いて。問題は、そのトカゲも麻貴の部屋に向かおうとしていた、ということ」
「化け物は、子供や女性を襲う傾向にあります」
「どうしてかしら?」
威吹鬼は肩をすくめた。「男より喰うのが楽だから、でしょう」
美也は黙った。そして少し間を空けて、また話し出した。
「……ある時なんて、麻貴が目を覚ますと窓が開いていて、部屋の隅の闇に自動自転車ほどもある大きなイナゴがいたんですって。麻貴とあおいが悲鳴を上げることもできずにじっと見ていると、それはゆっくりした動きでまた窓から姿を消した、って。……私は本当に世間知らずだから……化け物が人間を襲うことは知っていたけれど、それを専門的に退治してくれる機関が民間にあるなんてことも知らなかったのよ。それで洛に相談したら、そちらを紹介されて」
威吹鬼は頷いた。
「今の話で、何か気付いたことがあって?」
「一種じゃなく、何匹も違う化け物が来ているのがひっかかります。恐らくは様子を見に来ているのでしょうが……」
「様子?」
「そうです」
「何の様子を?」
「もちろん、お子さんを喰う頃合いの様子です」
美也は絶句した。
「……なぜ、麻貴が狙われるの?」
「それは恐らく、お子さんが月詠の子だからでしょう」
「……つくよみ?」
「そうです。月詠、です」威吹鬼は紅茶を一口飲んだ。「お子さんは今月五歳になる、とおっしゃいましたね?」
「そうよ」
「つまり十月生まれ」
「……そう」
「十月の満月の夜に生まれた子を、化け物どもは月詠の子と呼びます。その月詠の子を喰えば化け物は強くなれるんです。……恐らく化け物どもは月詠の子に霊的パワーが最も宿る日、つまり、今月の――」
美也はため息をついた。「麻貴の誕生日ね」
「その周辺を狙ってくるつもりでしょう」
威吹鬼は腕を組んだ。
「しかし言ったように、一種じゃなく、何匹も違う化け物が来ているところが妙だ。普通、奴らは群れを作ることは滅多にありません。単体で行動し、単体で人間を襲う。化け物の習性です」
「……優秀なリーダーが一匹いて、そいつらを組織している、ということ?」
「察しがいいですね」
威吹鬼は組んだ腕を解き、紅茶をもう一口飲んだ。美也は威吹鬼のクールな仕草に少しいらついたそぶりを見せた。
「なぜ群れなんか作って行動しているのかしら?」
「さあ……? 化け物が何を考えているかまでは。しかし、連中はこっちが思うほど馬鹿じゃない。もうハンターが来ていて、自分達の得物を守ろうとしていることに気付いているはずだ。となると――」
いつの間にか室内が暗い。陽はかげりはじめている。
微妙な空気の澱みを、威吹鬼は感じ取った。
「おいでなすったようだ」
ガラスの割れる音がした。
「エントランスだ」
洛がかすれるような声で言った。
「待て、行くな!」
威吹鬼が叫ぶより速く、洛が部屋を飛び出した。同時に洛の絶叫が聞こえた。
「ちっ」
威吹鬼が疾風のように部屋から躍り出た。
エントランスの東側にある大窓のガラスが粉々になっており、大きく開いた穴から体長一メートルほどの巨大なイナゴが二匹、今まさに侵入しようとしていた。
「こ、こいつを!」
威吹鬼の足元から少し離れたところで洛が叫ぶ。
「こいつを先に何とかしてくれぇ‼」
洛は先に侵入したイナゴの一匹に乗りかかられていた。洛は必死でイナゴの頭を自分から遠ざけようとしている。枝切り鋏ほどもある大きな牙が、がちっがちっと音を立てて洛の首の上で噛みあわされた。
のど笛を食いちぎろうとしている。イナゴの口蓋からは絶えず薄黄色の粘液がだらだらと洛の顔に垂れ流されていた。
「こいつを!」
洛がもう一度叫んだ瞬間、イナゴは威吹鬼の強烈な前蹴りで吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられていた。
イナゴは全部で三匹いた。威吹鬼によって壁に叩きつけられた一匹も体勢を立て直し、きちきちきち、と奇妙な声を出している。真っ黒な複眼が憎悪に燃えていた。
先頭の一匹がぶぶぶぶぶ、と羽根を振動させて飛び上がった。その瞬間、威吹鬼は腰のホルスターからコングを抜いた。
轟音。威吹鬼の狙いは正確だ。
蟹自慢のアーマーピエシング弾はイナゴの眉間に、正面から命中した。イナゴの頭部は胴体にずぶりとめり込んでひしゃげ、茶褐色の外骨格が割れて四方にはじけ飛んだ。一方の眼球が体液の尾をひきながら天井まで飛び、シャンデリアに引っかかった。
「いい弾丸だなー」
威吹鬼は軽く口笛を吹いた。
頭を失ったイナゴは、いかにも跳躍力のありそうな太い脚をしばらくばたばたさせていたが、じきにおとなしくなった。
外見は虫そのものだが知能はあるらしく、同僚のあっけない死に他の二匹はたじろぎ、後ずさりした。
「どうした。さあ来いよ」
まだ薄く煙を吐いているコングの銃身で、威吹鬼は肩をとんとんと叩いた。
「おまえら、お友達の葬式には行ったことねえのか? マナーは存じません、ってか」
イナゴが二匹同時に大きく跳躍した。
威吹鬼に到達するまで約一秒。右と左から同時に襲いかかってくる。
威吹鬼はまず右のイナゴを向けてぶっぱなした。がん、という射撃の轟音に続いてどしゃ、とスイカをコンクリートの床に叩きつけたような音がした。イナゴは、耐火レンガ製の大きな暖炉に回転しながら激突した。放たれた弾丸は一匹目のように正面から命中したわけではなかったので、イナゴは顔の下半分、あごの部分が吹っ飛び、暖炉のそばでびくびくと痙攣していた。
もう一匹のイナゴが勢いよく、威吹鬼の左肩に飛びついた。一匹目と同じく、大きなあごについた鋏のような牙をがちがちいわせている。節だらけのぼってりとした腹部がぐねぐねといやらしく蠢いた。節と節の間には小さな寄生虫がびっしりと張り付いている。
「まったくおまえらを見なくて済んでほっとしてるよ」
言うなり、威吹鬼はコングの銃身をイナゴの眉間に思い切り叩きつけた。
重量七キロだ。イナゴはぎゃっと叫び、威吹鬼の肩を離れて空中を飛んだ。間髪いれず、コングが火を噴いた。イナゴの頭は四散し、胴部はどしんと大きな音を立てて地面に墜落した。
威吹鬼はつかつかと暖炉のそばで痙攣しているイナゴに近づき、頭をもう一発撃ち抜いた。イナゴは六本の足をピアニストの指のようにかたかたかた、と素早く動かし、やがて活動を完全に停止した。
屋敷のエントランスは散々なことになっていた。あちこちに緑と黄色と赤の極彩色の体液が飛び散り、悪臭を放っている。
美也はぽかんと口を開けていた。
洛は脱いだジャケットで、顔についたイナゴのよだれをごしごしと拭いていた。
あおいは立ったまま腰を抜かしていた。
「ザコだったんで、すぐ処理できました」
威吹鬼はまだ銃身から煙を上げているコングを腰のホルスターに収めた。
「――高羅さん、この分だと一匹いくらでは難しいですね。何匹来るかわかったもんじゃない。料金のそこらのことは、妖撃舎と直接話して下さい」
「……ええ……」
「どうしました?」
「……いえ……」あまりの展開に、美也はなかなか適当な言葉を見つけることができなかった。「……お掃除が大変そうね」
「……ああ、まあ」
威吹鬼は左右を見回すように首を動かし、鼻をひくつかせた。
「すいませんが、これから毎回こうなりますよ。掃除婦の方には毎日来てもらった方がいいかもしれない」
「そうね」
その時、うわあん、という泣き声が二階から聞こえた。麻貴の声だ。
「坊っちゃん」
あおいははっとし、目をぎゅっとつむって顔を二、三度強く振ると、階段を駆け上がった。
「安心して下さい。二階には奴らはいません。一階での騒ぎを聞いて怖くなっただけでしょう」
威吹鬼が落ち着いた口調で言った。息一つ乱れていなかった。
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