第15話 ABDUCT <敗北、拉致>

 うかつだった。威吹鬼は歯噛みした。

 こんな人込みで奴らが攻めてくるとは思わなかった。人が多すぎる。コングの水平射撃はできない。化け物を貫通した弾頭は、間違いなく通行人に当たる。

 それにしても近づかせ過ぎた。やはり油断していたのだ。

 ええいくそったれ、おれの馬鹿が。どうも普段の調子が出ない。

「あおいさん」

 麻貴に話しながら威吹鬼に視線を移して、あおいはその表情の変化に化け物の来訪をさとった。麻貴を抱いたまま立ち上がる。

「建物の中へ入れ」

 浮浪者の一人がネコ科動物のような敏捷さで威吹鬼に突進してきた。

 立ち上がりざま、威吹鬼はカウンターで浮浪者の額に膝蹴りを叩き込んだ。岩のような固さだった。威吹鬼は斜め横にはじき飛ばされ、コンクリートの壁で背中をしたたか打った。

 すかさず、もう一人が威吹鬼の胸に強烈なショルダータックルを食らわせた。こちらは粘土のようにずっしりと重く、コンクリートの壁と挟まれて威吹鬼の肋骨はみしり、と音を立てた。

 威吹鬼は拳を固め、タックルをかけてきた男のこめかみに渾身の力を込めたフックを叩き込む。ずご、という音とともにそいつの首はぐにゃりと曲がり、人間の皮がずるりと剥けた。

 中身は、あの黒い膜、地溜りだった。

「またてめえか」

 何だ何だ、という顔で見ていた通行人や路上喫茶屋の店員や客達も、地溜りの姿を見るなり悲鳴を上げて逃げ出した。

「化け物だ」

「公安を呼べ」

「ギルドに連絡しろ」

 口々に騒ぎ出した。地溜りが人間の皮膚を完全に脱ぎ捨てた。

 あおいの悲鳴と、麻貴の泣き声が聞こえた。一番長身の三人目が、異様に長い両腕で麻貴を抱いたあおいごと抱きかかえていた。

「ちくしょう!」

 朱尾を抜き放った時、岩のように固い身体を持つ一人が、昆虫が脱皮するように背中から人間の皮を脱いだ。

 ぎらぎらと油膜のような虹色に光る逞しい腕と脚と身体を持つそいつは、甲虫そっくりだった。再び甲虫が突進してきた。

 威吹鬼は紙一重で突進を受け流しながら、横殴りに力いっぱい朱尾の重いブレードを叩きつけた。

 刃渡り四十センチ、厚み二センチ、重量三キロの信頼に値するブレードは、甲虫の突進スピードも相まって頭部に深々と食い込んだ。

「ごふ」

 甲虫は黄色い体液を吐いた。

 甲虫の呻きを聞き、もう一撃叩き込もうと振りかぶった威吹鬼の腕はぴくりとも動かなかった。地溜りのねばねばにしっかりと絡め取られている。

 ハエトリグモが得物の羽虫に飛びつくように、瞬時に地溜りは威吹鬼に取り付いた。

 だがそのねばねばが威吹鬼の全身を覆うよりコンマ五秒ほど速く、威吹鬼は腰のガンベルトからビアンカを抜いていた。

 ばしゅ、という奇妙な銃声は威吹鬼もはじめて聞いた。消音器サイレンサーを装着した拳銃の発射音のようだ。

 地溜りはびゃっ、と一声鳴き、ぶるぶる震えて威吹鬼からゆっくり離れた。

 ゼリー状の身体のど真ん中に直径五十センチほどの穴が空き、穴の周辺はぶすぶすと音をたてて紫色の煙を上げていた。

 ばしゅ、ばしゅ、ばしゅ、と3連射すると、地溜りの身体はほとんど吹き飛んでなくなった。

「いい仕事すんじゃねえか、蟹の野郎」

 突如、ああああああ、としか表現できない、音のような何かが威吹鬼の頭に響いた。

 威吹鬼はよろけた。猛然と頭が痛む。太い針金でねじ上げられているかのごとく痛む頭で、何とか意識を長身の男に向けた。

「……超――音波!」

 男は相変わらず灰茶色の顔で、口を縦に二十センチほども開いていた。

 その口から絶え間なく、ああああああという超音波が威吹鬼に向けて発せられている。

「……くっ……」

 割れそうな頭痛に堪えきれず、威吹鬼は膝をついた。男は依然、超音波を吐きながら、背中から蝙蝠そっくりの巨大な羽を出した。

「……待て」

 胸のむかつく超音波に、あおいの悲鳴と麻貴の泣き声がシンクロする。

「威吹鬼さんっ‼」

 あおいが叫び、暴れる。麻貴が泣き叫ぶ。かまわず、蝙蝠男は飛び立った。

「待ちやがれ‼」

 叫んだ瞬間、威吹鬼の口からは血が飛び散った。超音波は内臓にまで影響を及ぼしていたようだ。

 つかの間、意識が遠のき、威吹鬼は両手を地面についた。きききき、とあざ笑うような蝙蝠男の声が、威吹鬼のかすみがかった意識に何とか届いた。

「くそっ」

 威吹鬼は拳で地面を殴った。そしてまだ呻いている甲虫の頭に短針弾を一発撃ち込んだ。申し合わせたように甲虫の頭は跡形もなく消し飛んだ。



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