第21話 FLIGHT <月の神様>

 陀羅鬼は大きく跳躍した。十発のうち一発が陀羅鬼のわき腹をかすり、残りは陀羅鬼が立っていた場所の後ろにあった岩を砕いた。

 弾倉をチェンジした。

 陀羅鬼は。――威吹鬼の真上にいる。飛びかかってくる。

 撃つことはできる。しかし、陀羅鬼の頭を吹っ飛ばすと同時に陀羅鬼の爪で自分の頭が吹っ飛ばされることを威吹鬼は瞬時に確信し、射撃を諦めて後ろに跳んだ。威吹鬼の立っていた場所に陀羅鬼の爪が突き刺さり、地面がクレーターのように大きくえぐれた。

 後ろに跳びながら、威吹鬼はコンマ三秒で五連射した。

 陀羅鬼は滑るように横に跳び、すべて避ける。

 当たらない。威吹鬼は舌打ちした。

 陀羅鬼が地面を蹴ったのを威吹鬼は認識した。次の瞬間、陀羅鬼は威吹鬼の一メートル前にいた。考えられないスピードだ。

(やられる)

 とっさにコングを横に持ってガードした。

 びゅん、と風を切る音が鳴り、陀羅鬼の爪は鋼鉄製のコングを真二つに引き裂いた。そして威吹鬼の身体にも深く爪跡を残した。

「相棒が死んだぞ、え?」

 陀羅鬼は長く伸びた爪でさらに威吹鬼を引き裂こうと指をかぎ状に曲げ、振り回してくる。すんでのところで威吹鬼は陀羅鬼の爪をかわした。爪先がかすっただけで威吹鬼の革のジャケットは荒っぽく引き裂かれた。

 空振りし、陀羅鬼の爪は再び地面を大きくえぐる。威吹鬼の胸にできた爪跡からは、血がぼたぼたと流れ落ちた。

 二撃目を見舞おうと、陀羅鬼は平手を振る。何とかやり過ごすが陀羅鬼の攻撃は速く、ビアンカを抜くひまがない。

 陀羅鬼は反対の手で拳を固め、威吹鬼のみぞおちに叩き込む。

「ぐ」

 威吹鬼は両手でガードしていた。しかし、その破壊力に両腕の骨は軋み、腕越しに内臓にもダメージがきた。

 威吹鬼の身体は後ろに傾いた。倒れ際に、二打目を食らわそうと突っ込んできた陀羅鬼の顎を、鉄板が入った硬いブーツの爪先で力いっぱい蹴り上げた。

「がっ」

 丸太もへし折る威吹鬼の蹴りだ。

 陀羅鬼は一声叫ぶと顎を押さえ、後ろにのけぞった。

 そのまま威吹鬼は後ろに倒れた。しかし腕をバネのように突っ張って素早く跳ね上がり、今度は威吹鬼が陀羅鬼に強烈なボディーブローを打ち込んだ。二発、三発、四発と。

 五発目を打ち込もうとした時、威吹鬼は肩を掴まれ、そのまま横に投げ飛ばされた。二十メートルも飛び、受身を取りそこない、首から落ちた。

「……う……」

 威吹鬼は押し寄せる激痛を気力で振り払い、何とか立ち上がった。

「強く成長したな」

「……てめえを殺すためだ」

 疾風のように陀羅鬼が駆け寄ってくる。

 駆け寄りざま、陀羅鬼は威吹鬼に向けて大きく頷くように頭を振る。すると二本の角が勢いよく伸びた。

 避けられるようなスピードではない。角は二本とも、威吹鬼の腹を貫いた。

「か……はっ!」

 威吹鬼は咳き込み、大量の血を吐いた。

「死ね。死ね、小僧」

 角は背中まで貫通している。

 陀羅鬼は角で突き刺したまま、首の力だけで威吹鬼を垂直に持ち上げた。威吹鬼の身体は宙に浮いた。

「角もない鬼。半人前め。いいか小僧、角はこんなふうにも使えるのだぞ」

 威吹鬼の自重で、角はさらに深く傷に食い込んだ。血が角を伝い、陀羅鬼の顔にぼたぼたと流れ落ちる。

「う……ぐ……」

 威吹鬼が苦しげに呻いた。

 美也は座り込み、呆然と戦いを見ていた。言葉が出るはずもなかった。

 あおいは涙を流していた。あおいの口からも言葉は出なかった。

 しかしあおいは確信していた。

 必ず威吹鬼が勝利することを。

 なぜだかわからない。

 しかし確かな思いがあった。必ず威吹鬼がみんなを助けてくれるという思いが。

 涙はとめどなくあふれた。

 威吹鬼は苦痛に震える手でビアンカを抜き、腹に突き刺さっている角を撃ち折った。

「ぎゃあああっ」

 今度は陀羅鬼が悲鳴を上げた。

 ぼとり、と威吹鬼が地面に落ちる。そして寝転がったままで力を振り絞り、身体に刺さった二本の角を引き抜いた。

 傷口から血が噴き出す。抜かれた角の長さは五十センチもあった。

「貴様……よくも儂の角を……!」

 陀羅鬼は苦痛に顔を歪めていた。

「……へっ。ツノ……だと……?」威吹鬼も苦痛に喘いだ。「てめえらが、こんなもん持っているから……人間は不幸になる。こんなもんがこの世にあるから、哀しみに涙を流す人間が生まれる」

「返せ! 角を返せッ‼」

「けっ。おれには必要ねえんだ。返してやるよ」二本の角を両手で逆手に持ち、威吹鬼は大きく跳躍した。「――返してやるッ‼」

 あおいは威吹鬼を仰ぎ見て、泣いた。

 大きく満ちた月をバックに、折れた二本の角を頭上に振りかぶり、跳ねた威吹鬼の黒いシルエットが、一瞬だけ映った。

 その姿は、まるで。

「うさぎさんだぁ!」

 麻貴が無邪気な声で言った。

「ねえ、あおいー。しょうきんかせぎのお兄ちゃん、うさぎさんみたいだよー」

「……そうね」

「お兄ちゃんは月の神様なの?」

「ううん――」

 あおいはかぶりを振った。

 涙のしずくは宙を舞い、月の光を受けてダイヤモンドのように煌いた。

「正義の味方のうさぎさんよ」

 彼はきっと神様にはならない。だって人間だから。

 そしてうさぎのように、自分の身を犠牲にして死ぬこともない。きっと帰ってくる。

 あおいの涙は麻貴の額に落ちた。

 泣いているあおいを、麻貴は不思議そうに見上げた。

「おおおお‼」

 威吹鬼は渾身の力を体重に乗せ、陀羅鬼の首筋に二本の角を突き刺した。角は陀羅鬼の太い首の筋肉を突き破り、骨を砕いた。

「う」

 一声発し、陀羅鬼は黙った。

 動きを止めた。

 威吹鬼は朱尾を抜き、両手で大上段に構えた。

「陀羅鬼。おまえを、討つ」

 音もなく、威吹鬼は朱尾の重いブレードを陀羅鬼の折れた角の間に叩きつけ、そのまま縦に真一文字に切り降ろした。

 静寂が辺りを支配した。

 陀羅鬼は目を威吹鬼に据えたまま身じろぎもしない。

 威吹鬼は口から血を流している。

「……でかした」

 静寂を破ったのは、陀羅鬼だった。

 みりみりみり、と音をさせたかと思うと、陀羅鬼の身体は真二つに裂け、そのまま左右に倒れた。

 地面が少しだけ揺れた。

 断面からは噴水のように血が噴き出した。

 げあ、げあ。

 人面烏の鳴き声が、再び森に響いた。

 月はただ沈黙し、辺りを青く照らしていた。


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