形見を失くした大道芸者 四

 子供は手を伸ばせば刀に触れられる距離までさりげなくにじり寄り、滑らかな動きで身を屈める。その無駄のなく静かな動きは惟臣も舌を巻き、同時に手練れなのだと判じた。

 青年が口上を繰り広げる。歓声が広がり、人垣も増えていく。人が増えれば誰かが子供の行動を咎めようものだが、あいにくと、観衆の目は舞い上がる花びらに夢中であり、そうは目線がずれやしない。

 子供が四つん這いになる。片手を刀へと伸ばす。

 惟臣はその子の真後ろに陣取った。

「さあ、さあ、さあ! ご覧あれ!」

 花びらがその密度を増して舞い上がり、旋風の様相は形を崩し、さながら花の嵐がごとく観衆の頭上を吹きすさび、どういう仕組みなのか桃の香りまで漂ってくる。風からはぐれた花びらがはらり、はらりと花の雨を降らせていた。

 桃色の花弁が惟臣の視界をちらちらと遮る。子供の行動を見落とすどではないが、正直に言って邪魔ではある。

 しかし、これほどの花びら――紙切れかもしれないが——を巻き上げて、片付けはどうするのだろうと、詮無いことを思い、半眼に青年を見遣れば彼と目が合った。

 青年の目は、陽気な口上を述べていた者の宿すにはあまりにも不穏な、獲物を定めたような獣の光を湛えていた。目はすぐにそらされたが、にんまりと弧を描く口の端から犬歯が覗いたような気がして、背がぞくりと粟立つ。

 惟臣は唇に歯を立て、青年から目をそらし、件の子供へ視線を落とす。

 青年の口上に刹那の迷いが生じたのか、子供の手は鞘の端を握り締めたところで固まっていた。

「さあ、これにて!」

 トンッと青年が地を蹴り跳び上がる。その跳躍は見事なもので、周囲より頭一つ分抜き出た、六尺はあろうかという男の目線すらも超えたのだ。

 観衆は彼の跳躍力に驚愕し、彼が振り下ろした二面の扇子が巻き起こした風に落とされる大量の花びらに目をつぶり、口を閉ざし、ある者は身を屈めた。

 目の前一杯が桃色に染まる。

 惟臣も反射的に閉じそうになった目を、どうにか片目だけを閉じるにとどめ、子供がいたであろう場所に目を凝らす。

 しかし、子供はそこにはもういなかったらしい。

「いたっ」

 高い声音と共に惟臣の太ももに軽い衝撃が走る。微かによろめく傍らで、盛大に地面へ転がった塊がある。そちらに足先を向けてしゃがめば視界もいささかましになり、そこに転がる刀ともう一つの存在がありありと眼に映った。

 それは、みすぼらしい子供であった。十をやっと過ぎたといったところか。埃っぽい髪、薄汚れた着物、その袖や裾から伸びる細い手足。体が貧弱すぎて性別が断じえないが、子供ながらに惟臣を睨み上げてくる双眸はぎらぎらと苛烈に輝いていた。

 子供のたわいもない威嚇であったが、惟臣は息を詰めた。詰めざるをえなかった。見知らぬ子供に過去の過ちが見えてくる。

「――仕舞いでございます」

 しっとりと落ち着いた声が風を収めた。扇子が音を立てて閉じられる。一拍置いて喝采が起こる。

 惟臣の気が刹那、青年へと向く。その隙を見逃さずに子供は転がる刀を掴み、駆け出そうとする。けれど、子供が駆け出すよりも先に、惟臣は刀を掴み、再び子供を転がした。

 子供も今度ばかりは抱えた刀を手放さず、すぐに起き上がると惟臣から刀を奪おうと刀を引っ張る。足癖悪く、同じく刀を掴む惟臣の手を何度も蹴ってくるしまつ。

 小さな暴漢にどう立ち回ればいいのか、惟臣は考えあぐねていた。

 ここで刀だけ取り返し逃がしてやるか、しかるべき場所に突き出すか。どちらにしても恨まれるだろう。

 幼い獣のように唸る子供の目にはすでに怒りが上っている。そう時間もかけずにそれは憎悪に染まるだろう。

 惟臣が眉間にしわが寄る。

 子供とは恐ろしい。世界が狭いからこそ純粋で、一途で、考えが浅はかで、白と黒を明確に分け、一度決めつけたことは覆さない。一度灯した怒りの火を延々と燃やし続けるのだ。

 それを理解せず馬鹿みたいに諭し、大きな過ちを生み出したのは、かつての惟臣自身だ。仲間の助言を無視し、自分の偽善を押し通した結果が現在である。

 惟臣は首を横に軽く振った。

 どちらにしても恨まれるのならば、その場限りの恨みの方がいい。

「離せ、チビ助」

 子供の手に余計力がこもる。

「今なら番所には連れて行かない。これではなく他を当たれ」

 子供の細い肩が反応する。番所という言葉に怖気づいたのかもしれない。

 惟臣が刀を軽く自身の方へ引く。子供は腕を突っ張る。

「野ざらしで刀を置くバカがいると思うか? これは盗人を炙り出す罠だ」

 だから退けと言外に訴える。

 子供の唇が何かを言いたげにむずがる。大きな黒い眼が惟臣の思惑の真偽を測るかのように真っ直ぐに見据えてくる。

 子供との見つめ合いという奇妙な時間を過ごすこと十数秒、不意に子供の引き結ばれていた口元が緩む。それに伴い、刀を掴んでいた小さく細い指も開いていく。

 分かってくれたのかと惟臣が胸を撫でおろしたのも束の間、

「……なあ、それ、どうしようてんだい?」

と、不意に落ちてきた影と一緒に少しだけ警戒色をにじませる声が降ってくる。

 惟臣と子供が揃って顔を上げる。彼らの視界に入ってきたのは、眉をしかめてこちらを見下ろす大道芸の青年であった。

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