刀を失くした大道芸者 五

 子供が目にも止まらぬ速さで惟臣の影に隠れた。それに大道芸者の青年は片眉を上げ、不愉快そうに顔を歪める。

 惟臣は肩越しに子供を一瞥し立ち上がった。

「どうもしねえよ。ちょっと、コイツがいたずらをしようとしてたんだ。いま叱ったから許してくれ」

 そう言って、刀を青年に差し出す。

 青年は乱暴に刀を奪い返すと惟臣ではなく、彼の影に隠れる子供を蔑みをもって見下した。

「盗もうとしてたんじゃねえの」

 確信めいた冷たい口調である。惟臣は着物の裾が握られるの感じた。

「いやあ、刀なんて珍しいもんが転がってたら触ってみたくなるだろ? それだって」

「ほーん、触りたかったねえ……。なら、城の近くにでも行きゃあいいじゃねえか。触り放題だ」

「適当を言うな。武士の刀に触れたら斬られちまうだろ」

「斬られちまえばいいだろ、そんな汚ったねえ手。斬り落とされちまえ」

 熱のない声が容赦なく浴びせられる。子供を見下す目は、惟臣の着物を掴む小さな手が、なんなら子供の存在自体なくなってくれと、痛いほど願っているようだった。

「――ッ、おい、言い過ぎだッ」

 子供が震えているのが着物の裾から伝わってくる。当然だ。元服をすませた惟臣でさえ身震いを覚えるほどだ。大人より本能を優先する子供が耐えれるはずがない。

 青年の胸倉を掴みそうになるも周囲の目がそれを妨げる。見世物が終わり、それぞれが目的の場所、あるいはそぞろに歩いていく。語調を荒げた惟臣の横を女性たちがぎょっとして足早に通り過ぎて行った。菓子屋に並ぶ人たちの野次馬を思わせる視線もいただけいない。

 上がりかけた手で拳を握り、腕に力を込めて衝動を押しとどめる。

 青年は惟臣の影で怯える子供を鼻で笑い飛ばし、惟臣へ顔を向けた。

「お前、身なりからしてこいつとは無関係だろ。関わるなよ、こんなのと」

 咄嗟に反論しようと口を開く惟臣を、青年は柄頭を惟臣の眉間に突き付けて黙らせた。

「こういう奴は自分のことしか考えねえ。だから助けられたってすぐ忘れんだよ。それどころか逆恨みまでしてきやがる。そんなのがでかくなったって、害悪にしかなりゃしねえ」

 彼の真剣な悪態が悲嘆に聞こえる。

「俺の兄貴たちはそれに殺されたんだ」

 歪んだ顔が泣いているようだった。

 青年は惟臣の眉間から柄頭がはずし、刀を肩に担いだ。彼と少し離れたところから「森智もりともさーん」と呼び声がかかる。彼はそれに口上時の闊達な声音で返事をした。

「兄さんも気ぃ付けな。――あ、そうそう」

 青年の表情が芸をしていた時のお調子者然に瞬時に戻る。虚を突かれた惟臣の前に、今度は節くれだった手のひらが差し出された。

「見物料と、俺の計画をおじゃんにしてくれた迷惑料。お気持ちで払ってください」

 惟臣は厚い手のひらを見詰める。早く寄越せと指が手招く。青年に目を向ける。へらへらと、両手が開いていたらならば揉み手をせんばかりのあくどい顔である。

 惟臣は袂を漁り小銭入れを引っ張り出すと、ちらりと青年を見遣り、銅貨一枚と

黒銭一枚を彼の手に乗せた。

 あくどい顔がむすっとした。

「少なくなーい?」

「妥当だろ」

 道すがらの出し物に寄席の立見席と同等を払ったのだ。迷惑料とやらを含めたとしても多いくらいだ。

「これが俺のお気持ちだ」

 ふんと鼻を鳴らし、腕を組む。

 まだ唇を尖らせる青年であったが、

「森智さんってばー! 花びら、片付けてよー!」

との苦情に抗うことができない様子で、それ以上は文句も言わず、小銭を袂に転がした。

「まあいいか。いたずらだとすれば守ってもらったわけだし、大目に見よう」

 何故か上から目線で許される。

 青年はふてくされる惟臣に気付いているのかいないのか、再びへらへらと笑い、くるりと背中を向けた。

 彼は刀を担いだままであったから柄も勢いよく振れ、惟臣が顔を引かなければ鼻頭に直撃していただろう。

「危ないだろッ――、」

 柄頭を突き付けられた時には見えなかった柄が目に入る。深緑の柄糸、そして、糸の狭間からこちら睨んでくる――。

「これ、兄貴の形見なんだ。ありがとな」

 青年はへらへら顔を引っ込めて少年のように笑う。それに惟臣は答えられなかった。

 深緑の柄糸から睨んでくる、猿のような意匠の目貫に射抜かれて、心臓が止まるようだった。呼吸は一瞬止まった。

 惟臣の異変に青年は気付くこともなく、己を呼んだ者へと歩き去ってしまった。

 惟臣は右手で口を覆い隠し、左手で腰をさする。かつては常に腰にあった物に触れることができず、何度もそこをさすった。

 形見だと言っていた、兄貴の形見だと。あの刀が本物であるのなら、あの青年は今生でのアレの弟で、今生でアレはすでに故人となってしまったのか。

 駆け出して訊ねたい気持ちと、目を背けたい気持ちが相反する。

 ぐちゃぐちゃになる惟臣の気持ちに、寄り添うように小さく冷たい手が惟臣の左手に触れた。

「また殺すんだぁ」

 背後から低い女性の声が嗤う。しかし、大人の気配はない。左手に目を落とせど、触れているのは細くて小さい子供の手。

「良い人ぶって殺すんだぁ。友達も、仲間も、そして――、わたしたちも」

 小さな手の爪が長く伸び、惟臣の左手甲に突き刺さる。

「ッ!?」

 爪の縁に真紅が滲み、爪を伝って小さな手へと流れていく。

「でも、殺されなかったから鬼になれたぁ。殺してくれたから鬼になれたぁ」

 手の大きさは変わらないのに、声は惟臣の耳裏から聞こえてくるようだった。

 爪が皮膚に表面を削っていく。傷口が熱い。

「ありがとぉ、侵略者のお兄ちゃん」

 惟臣が力任せに手を払うと、存外爪は容易く抜けて、小さな手もするりと逃げる。体を反転させれば、やはりそこに大人の姿はなく、あのみすぼらしい子供が、

「だから、大事な物。わたしがちゃぁんと守ってあげる」

赤かがちを思わせる丸い目をかっぴらき、下唇を過ぎる八重歯を剥いて嗤う、二つ角の鬼の子供が後ろ手にちょこんと立っていた。

 惟臣の拳が何も考えず、その鬼の子目掛けて唸りを上げる。けれど拳を何者かを地に伏せることはなく、ケタケタと笑う残像を霧散させただけであった。

 

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