刀を失くした大道芸者 三
惟臣が重い足を引きずるように兄貴について行った先は、件の桃苑ではなく、その手前にある菓子屋であった。
店前に赤い毛氈が掛かった二人掛けの床几が二脚ほど置かれ、すでに満席となっている。店もまた混んでいる様子で、今を盛りとしている桃苑見物のお供にしているのか、はたまた、店前で披露されている奇術につられて入ったのかは定かではない。
惟臣たちが来店した理由としては、
「桃苑の旦那への手土産」
「ただのお使いなのに?」
「いつも世話になってるしな。それにあの人、上から下まで顔が広いから、媚びを売っておいて損はないんだ」
という、打算ありきな安易な賄賂である。いっそう面倒くさそうな顔をする惟臣に、兄貴は「ご機嫌伺いは商売には必須」と大仰に頷いた。
店先ではお品書きを記した紙が配られ、目星をつけた者から店の者に申告する手はずとなっているようだ。
紙を受け取り戸惑う惟臣とは違い、兄貴は慣れた様子で惟臣から紙を奪うと、顎に手を当てて思案する。惟臣も横からお品書きを盗み見みるが、商品名が凝っているのか、とんと菓子の全体像が掴めない。
惟臣は早々に飽きてすべてを兄貴へ投げ、店前で客引きをしている大道芸者見物にいそしむことにした。
芸を披露しているのは惟臣よりも兄貴と同い年くらいで、深い緑のはっぴを羽織った若い青年――、どこかで見た顔だと思ったら、昨日蕎麦屋の前ではしごに昇っていた彼であった。その証拠に、彼から少し離れた所に昨日の刀が横たえて置かれている。盗まれたいのか、咎められたいのか、相変わらず袋にも入れず剥き出しだ。
「ではでは次にこちらの紙をご覧ください」
闊達な声に誘われて、青年が掲げる紙に惟臣含め周囲が注視する。
「さて、ここにあるのはそちら、
青年の前を陣取っていた子供たちや、その周囲の大人が一斉に振り返る。惟臣は何となく面映ゆく、兄貴の手元を見るふりをした。
「モナカ……、団子……」
兄貴が呟く。
「ほうほう、今の時分は桃の実を模した饅頭があるそうな。なるほど、なるほど。さて、皆の衆、ご注目!」
衆目が再び青年に注がれる。惟臣もそろりと青年に目を向ける。
青年は掲げた紙を、あろうことか真っ二つに引き裂いた。裂かれた二枚を重ねてさらに裂く。それらを重ねて再び裂くを繰り返す。青年が裂くたびに奇妙な擬音をつけるものだから子供たちも奇声を発し、大人たちは苦笑いを浮かべ成り行きを見守る。紙を配っている店員は微妙な顔つきで青年を見ていた。
あらゆる視線を一身に受け、青年は細かくちぎった紙を片手にまとめ、紙片で山を形作る。
風がそよそよと柔らかく吹き抜ける。
「さーて、お立合い! ここにありますは、何の変哲もない紙の屑! ただただ散ったのならば紙吹雪!」
ちぎられた紙の欠片が数切れ、風に運ばれていく。
観衆と一緒に紙片の行く末を目で追っていた惟臣の耳に、
「桃の実はダメだ。旦那が嫌う……」
呪文のような兄貴の言葉が入る。
そういえば、アイツも桃の実が嫌いだった。あの桃がなければ村を追われることも、盗賊討伐に赴くこともなく、英雄だとたかられ、罪人だと罰せられることもなかった。
そして、あの桃がなければ、惟臣とアイツが出会うこともなかったのだ。
「されど、オレがこの扇子であおいだならば、なんと不思議! 紙吹雪は花吹雪!」
青年がもう片方の手を懐に差し入れ、扇子を一本取り出した。中骨を掴み、墨で描かれた猿の絵の乗る扇面を開く。
「いざや、御覧じろ!」
口上は高らかに、しかし、その手付きは繊細に、青年はまるで息を吹きかけるような弱々しい風を扇子で生み出し、紙片の山の下からへ吹きかけた。
初めこそ恐々として紙の山にしがみついていた紙片たちも、次第に風に誘われて宙へと旅立つ。紙片が綺麗に飛ぶのを確認した青年が扇子を振るう力を強くする。すると紙片は連なって宙へと旅立ち、上がり切ったところで――。
「すごい! すごい!」
幼女たちが揃って歓声を上げた。大人たちは感嘆を漏らす。
惟臣は、目を細くした。
目の前で吹き上げられた紙片たちはその姿を桃色に染め、まるで花びらが舞うように右へ左へとゆっくりと宙を揺蕩う。いや、花びらのようではなく、まさしく桃の花びらであった。
青年が二本目の扇子を取り出し、下から花びらの舞を手助けする。
花びらたちはずっと宙で舞い続ける。
――桃の恨みを知れ!
遠い昔、アイツが無理やりに散らせた桃の花の欠片をかき集め、アイツに目掛けて振りかけた時があった。その時はアイツが桃を嫌いだと知らないで純粋に、散らされた桃花の仇討ちに加え、自分の名前や出生を嫌悪するアイツに苛立っての所業だった。
アイツは初めは何が起こったのか理解できずにぽかんとしていたが、すぐにムッとして手近な花びらを握り込み、投げ付けてきた。
――ふざけるなよ、トリミ!
耳の奥で記憶が声を呼び起こす。怒っていた声は次第に呆れた声になって、しまいには笑い声になって。
「アイツ、桃の花は好きだったな」
「どうした?」
独り言のつもりが、兄貴が反応した。
惟臣は鼻をすすった。
「いや、昔馴染みが桃の花見の時に、よく胡桃をむさぼってたなあって思って」
昔は貴重な保存食だった。アイツも、惟臣も胡桃が好きだった。
兄貴は青年が舞わせている花びらを眺め、「胡桃か」と呟くと、店の中に入っていった。何か閃いたらしい。
はたして胡桃があるかいなか。惟臣は兄貴の背を見送り、青年に向き直る。彼は盛り上げの声を発しながら、上手い具合に風に渦を起こして、花びらの旋風を作っていた。
青年の掛け声は熱を帯び、巻き上げる風も強くなる。舞っていた花びらたちは風にもまれてなぶられて、どんどん上昇していく。
衆目が空へと向く最中、ふと惟臣は視界の端に動くものを感知した。疑問に思い視線を下げ、目的ものものを探してみれば、子供の一人がじりじりと横歩きに移動していた。
ますます不思議に思って観察していれば、その子供は群衆を抜け、身を低くして移動を続ける。頭がしきりに動いているのは何か目星をつけているのか、足取りに迷いはない。
子供の進む先になんぞあるかと視線を先に運ぶと納得ができた。それと同時に惟臣も足音を立てないように移動する。
目指すは例の子供。そして、野ざらしにされている青年の刀だ。
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