櫛を失くした男 六

 店主は惟臣の問いですぐさま察したようだ。ぽかんと呆然とし、松の旦那を見遣り、自身の顎を一撫でする。松の旦那は店主からあからさまに目をそらし、ひたすら汗をにじませていた。

 店の前を行き交う人の足音が響く。番頭がこちらをちらちらと見ながら、気まずげに帳簿をめくっている。店の後ろから誰かれかの話し声がする。店の前を駕籠が走っていった。

 店主がにわかに噴き出した。

「お前、失くしたのか!」

 松の旦那はふくよかな体を丸めてしまう。まるで大きな鞠のようだ。その丸い背中を店主は容赦なく叩く。

「奉公人全員を使ってまで隠蔽してたってえのに、そりゃないだろ!」

 惟臣にとって初情報である。なんとなしにただの櫛ではないと察し、

「そんなに大事な物だったのか」

と、誰ともなしに尋ねてみれば、松の旦那に代わって店主がおかしそうに口を開く。

「大事も大事、アレはこいつがかみさんに贈ったものだ。それをこともあろうに落として、はずみで踏んで、パキッとな」

 本当になんなのだろう、松の旦那は。おっちょこちょいというか、不運というべきなのか。

 丸い背中はさらに縮こまる。

「それを失くすとか、奉公人もさぞ呆れただろうなあ!」

 丸い頭が亀のように丸い体に引っ込んでいく。

 松の旦那、一度奉公人に呆れられたから店主にも打ち明けられなかったのか。店主の口振りでは、きっと櫛を欠けさせた時も相談しにやって来たのだろう。それで余計に口を開きにくくなり――、しかし、他人を介したところで何も変わらなかったな、哀れ松の旦那。

 惟臣は茶をすすった。

「あんれだけ命拾いしたと騒いでおきながら、バカだなあ、おい! 家、おん出されるぞ!」

 店主の快活な声に道行く何某たちが中を横目に除き過ぎていく。店主に背を叩かれて上手く茶が飲めない松の旦那は、湯呑を握り締め、涙目で惟臣を恨めし気に睨んでいた。

 睨まれたところで松の旦那の失態なのだし、惟臣はそれを遠回しに代言しただけである。睨むのであれば笑いころげている店主であろう。

 ところで、この店主も早く質問に答えてほしいものだ。惟臣はぬるくなった茶をすする。

 ひとしきり笑った店主はしまいに軽く咳き込み、茶を喉に流してひと息。懐から扇子を取り出しそれで顔の火照りを冷ましながら、いまだに緩む表情で店主と惟臣を見た。

「それで、俺のところに来た時のことだったか。ああ、確かに櫛は持ってたな。箱から出して見せびらかしたから覚えてる」

 なあ、と店主は番頭にまで確認を取る。番頭も困った顔をしながらもしっかりと首を縦に振った。

 松の旦那の顔に絶望が浮かぶ。

 そうだろう、そうなると最後の希望は、茶屋しかない。

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