桃鬼譚
青井志葉
追憶 一
十八年前、彼は地方の下級武士の家の末っ子として生まれた。
赤茶の髪と目を持って生まれたその子は上の兄弟達とも遊ばず、いつも書物を読んでいるという奇特な子供であった。だからといって貧弱者であるかと言えばそうでもなく、竹刀を持てば喧嘩剣法であったが、体格差のある兄どころか、大人ですら打ち負かす腕すら持っていた。
そんな彼が家を出た。十六のことであった。
遅めの元服を翌日に控えた夏の夜、彼は誰にも、何も告げずに家を出て行った。口数の少ない子であったために両親すらその心情を推し量ることは出来ず、友人もおらず、心当たりを探すこともできなかった。
一方、家を飛び出した彼は、京師の山の中にいた。
家を出た時から洗った形跡のない衣は薄汚れ、髪も汗や油でべとつき埃がからみついて、見るも無残なもの。
山の中とはいえ、蒸し暑い夜だった。常ならば冴え冴えしい月の光にすら、熱を感じてしまう。
彼は汚い袖で額から滑り落ちた汗をぬぐう。顔がさらに汚れたがそれにすらかかずってはいられない気迫。
「確か、この辺りに……」
辺りを見回し、彼はとある一点で目を止めた。
それは大きなうろのある巨木であった。空いっぱいに伸ばした太い枝には小枝がいく本と生えている。それなのに、葉は一枚となかった。まるで冬の木だ。
彼は枝に垣間見える月に目を細くした。最後に見た時は、葉が茂っていた。このような惨めな姿ではなかった。ふらつく足で巨木へと寄り、うろの中を見下ろし、愕然とその場に膝を付いた。
「おのれ外道が――ッ」
低い声が夜の山にこだまする。周囲の草木が怯えたように微かに震えた。
彼の見下ろす先には掘り返された跡、深く大きな穴だった。大柄な男の腕の長さほどの穴の底には、灰白のそれが月明かりに浮かび上がる。なのに一緒に埋めてくれと頼んだ、アレがない。アレらがない。あるのは、生前の自分の成れの果てのみ。
彼は巨木の幹を拳で殴りつけた。手に響く痛みより、心に迫る焦燥で胸が痛い。息が苦しい。気付けば目頭が熱を持ち、ともすれば、激情のままに無様をさらしそうになって袖で目を擦った。何度も擦った。目が痛みによって無様をさらさないように、強く、強く擦り続けた。
「……必ず、見付けてやる。絶対に」
唇を強く噛みしめ、吐き出すように彼は唸った。
墓守を任せられた巨木が、申し訳なさそうに枝を揺らした。
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