桃鬼譚

青井志葉

追憶 一

 地獄の沙汰も金次第というらしい。しかし、そんな話は与太でしかなかった。

 地獄の沙汰は公平。金でどうこうできるものではない。

 正義だろうと、悪だろうと、人間の定めた法の外。

 いうなれば、都を騒がす盗賊を殺したところで、人殺し。

――後生をかけてお前が鬼にした者たちを討伐せよ――

 それが、死後、トリミに下された地獄の沙汰であった。


*   *   *


 トリミがトリミの体を捨て、新たな肉体と名でこの世に誕生して何度目か。 

 此度に与えられたのは惟臣という名、そして赤茶の髪と目。身分は地方の下級武士の末っ子。

 生まれながらにして背負う役目を果たすべく、惟臣は武芸に励んだ。上の兄たちや、近所の子と遊ぶこともなく、ひたすらに木刀を振り続けた。そのおかげか、いつからから対格差のある兄たちにすら勝ち越すことが多くなった。師には正式な弟子にと誘われることもあった。

 しかし、惟臣は慢心せずに武芸に励み続けた。

 役目を果たすためにがむしゃらだった。

 己を鍛え続ける日々の中、惟臣は不意に、一つ前の生の最期を思い出した。そして歳を数え、父から打診されていた話を思い出し決意する。

 惟臣は家を出た。十六のことであった。

 遅めの元服を翌日に控えた夏の夜、彼は誰にも、何も告げずに家を出て行った。口数の少ない子であったために両親すらその心情を推し量ることは出来ず、友人もおらず、心当たりを探すこともできなかった。

 一方、家を飛び出した彼は、生家から遠く離れた京師の山の中にいた。

 家を出た時から洗った形跡のない衣は薄汚れ、髪も汗や油でべとつき埃がからみついて、見るも無残なであった。

 山の中とはいえ蒸し暑い夜だった。常ならば冴え冴えしい月の光にすら、熱を感じてしまう。

 惟臣は汚い袖で額から滑り落ちた汗をぬぐう。顔がさらに汚れたがそれにすらかかずってはいられなかった。

「確か、この辺りに……」

 一つ前の生の最期の間近の記憶を呼び起こし、辺りを見回し、彼はとある一点で目を止めた。

 それは大きなうろのある巨木であった。空いっぱいに伸ばした太い枝には小枝がいく本と生えている。それなのに、葉は一枚となかった。まるで冬の木だ。

 彼は枝に垣間見える月に目を細くした。最期に見た時は、葉が茂っていた。このような惨めな姿ではなかった。ふらつく足で巨木へと寄り、うろの中を見下ろし、愕然とその場に膝を付いた。

「おのれ外道が――ッ」

 低い声が夜の山にこだまする。周囲の草木が怯えたように微かに震えた。

 彼の見下ろす先には掘り返された跡、深く大きな穴だった。大柄な男の腕の長さほどの穴の底には、かつて自分だったものが、肉を落とした状態で月明かりに浮かび上がる。なのに一緒に埋めてくれと頼んだ、アレがない。

 彼は巨木の幹を拳で殴りつけた。手に響く痛みより、心に迫る焦燥で胸が痛い。息が苦しい。

 返したくとも、相手の居所が分からずに返せず、生を跨いで持ち続けた。アレがあったからかつての自分は不幸になった。けれど、アレが惟臣と仲間を繋ぐ唯一の糸であった。大事なものだった。

「……必ず、見付けてやる。絶対に」

 唇を強く噛みしめ、吐き出すように彼は唸った。

 墓守を任せられた巨木が、申し訳なさそうに枝を揺らした。

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