櫛を失くした男 十二

 チヨと男が惟臣の名を復唱するより先に、惟臣は兄貴の影に全身を隠した。

「佐吉さんに隠れてる珍しい毛色の坊主ですか?」

 兄貴の肩からはみ出た頭髪を男が指摘した。本当に疑問に思っているのか、問われた側が疑いたくなる単調さ。誰もがしそうな問いをとりあえずしているような、感情のなさ。 

 惟臣の知るアイツは喜怒哀楽がはっきりとしていた。喧嘩別れとなったあの時でさえ、アイツの声に色があった。そんなアイツが淡々と言葉を紡ぐのは、混乱と言い知れない恐怖を惟臣にもたらした。

 この声の主は誰だ。アイツか。いや、そんなはずはない。アイツも鬼退治の輪廻に乗ったならば生まれ変わって別の体を持つ。トリミの記憶にある声であるはずがない。

 でも、けれども、自分がアイツの気配を間違えることなどあるのか。

 寄る辺を探し、震える手を伸ばし、辿り着いたのは兄貴の袖だった。兄貴から離れないように、兄貴が離れていかないように、袖をぎゅっと握り締める。

 兄貴はそんな惟臣を気にした風であったが何も言わず、手を振り払うこともしなかった。

「ああ、半年前くらいに京師から来ましてね、そっから面倒を見てるんですよ、――って、チヨさん」

 惟臣と兄貴の間に、腰をかがめたチヨがぬっと現れる。惟臣の手から兄貴の袖がすり抜ける。

「もしかして、さっきのが初めての仕事失敗ですか?」

 チヨに押されて兄貴が惟臣から離れた。影が取っ払われ、チヨの表情がはっきりとする。惟臣を見下していた。

「たったそれだけの事で落ち込んでるんですか? 男のくせに情けないですねえ」

 言い返してやりたいのに、それをできるだけの余裕が惟臣にはなかった。

 兄貴が慌てて惟臣とチヨの間に割って入った。

「まあまあ、チヨさん。それくらいでご勘弁を。オレたちもそろそろ女将を探しにいかねえといけないんで」

 チヨが半眼にして惟臣を見据えていたが、桃苑の旦那に呼ばれるといともたやすく惟臣たちから離れていった。

「今から探しに行くのか? もう夜が近いぞ」

 用意していた台詞を、妥当な場面で口にするような軽さで心配をされる。

 桃苑の旦那と既知であろう兄貴は慣れているのか、桃苑の旦那への態度に変わりはなかった。

「松館の女将がついさっき、何も告げないでふらっとどこかに行って戻らないらしいんですよ。近くにいると思うんですけどね」

「ほう」

「旦那も探しちゃくれませんか?」

 兄貴が余計なことを言う。惟臣が兄貴の着物の裾を掴みなおし、わずかに引く。

「そうだなあ……、ちなみに、女将は何かを探していたか?」

 兄貴が虚を突かれて口ごもる。代わりにチヨが答えた。

「松館さまからもらった櫛を探していたらしいです。さっき奴に持ってかれましたけど」

 最後は声を潜め、内緒話でもしているようだった。

 ひと騒動が終わり、大門前で立ち話をしている四人を眺めながら歩く人々には到底聞こえはしなかっただろう。しかし、間近にいた兄貴と惟臣には「奴」という言葉は聞き取れていた。

「奴とは?」

 兄貴と共に惟臣も問いを投げかけた。自然と上がった目線は、桃苑の旦那の顔を拝む前に、ハッとして顔を下げる。

 桃苑の旦那はすぐに答えなかったが、強い視線を感じた。それも兄貴ではなく、惟臣のみを見詰めている。

 視線から逃れるために、惟臣は下を向いたままじりじりと兄貴の影に入ろうとする。

「神隠しの犯人だ。目星はついているんだがな、なかなか尻尾が掴めない」

「櫛を持っていった奴が犯人が、神隠しの犯人っていうことですか? じゃあ、犯人は二人?」

 至極まっとうな一般人である兄貴は首を捻り、常識的な回答を出す。

 惟臣は心の中でそれを否定した。アレを見て確信していた。常識外の存在が関わっている。そして、この場でそれを解決できるのは、あれと因縁のある惟臣のみ――。

「いや、一人……、一匹と言うべきか」

 桃苑の旦那が確信

めいて言う。櫛を盗んだもの、神隠しを行うものは同一で人間ではない、と。

「どういうことですか? それだと、たった一人で、ここで櫛を盗み、女将をさらったってことになりますよ。桃苑の旦那、オレをからかってません?」

 兄貴は冗談ですませようとしている。

 惟臣も胸中で「冗談だ」と返ってくることを願った。常識的な答えをくれたのならば、桃苑の旦那はアイツではなくなる。

「からかってないぞ。一匹の薄汚ねえ奴によって行われたことだ」

 しかし、桃苑の旦那は非常識を肯定し嘲笑った。他者を侮辱する時のアイツとよく似た笑い方だった。

「しかし、それだとどうやって……、妖怪じゃあるめえし……」

「その類しか考えられないだろ」

 非常識を面と向かって突っ返され、兄貴がたじろぐ。

 その時、惟臣の背後からゆっくりと足音が近づいてくる。それと同時に何かを引きずる音も続く。

 ぎこちなく振り返れば、大門で固まっていたはずの門番が、顔を青くしたまま摺り足でこちらに向かって来ていた。どうにも腰が引けていると思えば、持っている棒の先であの赤い着物を引っ張りながらやって来てる。汚れてはいたが品のあった着物が、今や無残に砂と埃に汚れていた。

「桃苑の旦那ー」

 門番が言外に助けを求めている。

 桃苑の旦那の笑い声がやむ。

「女将を探す話、佐吉さんが金を払ってくれるのなら考えますが?」

 一気に感情が消え、平坦な声が戻ってくる。今度は兄貴が軽く笑いを落とした。

「遠慮願いますよ。うちじゃあ払えないんで」

「そりゃそうだ」

 桃苑の旦那が歩き出す。それにチヨも続く。逆に門番の足は止まった。赤い着物を棒先からぺいと打ち捨て、二歩ほど距離を取る。か弱い女性のように棒を両手で握り、胸にぎゅっと抱き込んだ。

 門番を観察する振りをする惟臣と擦れ違いざま、桃苑の旦那はこう言い残した。

「欲深い鬼がいる。探し物をしているだろ? お互い、鬼に喰われないようにな」

 鬼と明言した。あらゆる事象が、ただの偶然と捨て置くには重なり過ぎている。

 桃苑の旦那がアイツである可能性が高い。ただアイツの声に酷似していることが不可解で、桃苑の旦那と結び付けられない。

 人間は何百年と同じ姿形で生き続けるなど出来るはずがないのだ。

 その後をチヨが「失礼します」と礼を払って行く。

 兄貴も振り返る。惟臣は兄貴の背中から離れ、桃苑の旦那とチヨの後姿を眺めた。

「探し物って、 お前の親友の形見のことか? なんで旦那が知ってるんだか。知り合いか?」

「……あんな頭が不思議な奴、知るわけねえだろ」

 チヨの前を歩く男は華奢な体つきであった。臙脂の着流しに灰色の羽織。背中まで伸ばしている黒髪はくくられておらず、歩くに合わせて右へ左へ微かに揺れる。

 見覚えのある後姿に呼吸が上がりそうになる。

「不思議って、佐助と同じことを言っるぞ、惟臣」

 兄貴の息子の佐助も桃苑の旦那と知り合いのような口ぶりだ。

 兄貴は笑って続けた。

「ま、流行りの怪奇ものが好きなんだろ。ちょっと変わり者だしな」

 兄貴が大門へ向かう。桃苑の旦那が振り返りそうな素振りを見せ、惟臣も慌てて兄貴を追った。

 もしアイツが前世と似通った姿形で生まれ変わったとして、惟臣のなさなければならないことも、トリミが見捨てたアイツに合わせる顔がないことも変わりはしない。

 トリミの記憶から蘇るアイツの顔が、大門の門番が打ち鳴らす切り火の音に消えていった。

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