刀を失くした大道芸者 七
アイツは子供が嫌いだった。無知を許せず、無邪気さを許せず、傍若無人さを許せずにいた。それは、彼やその両親が受けた仕打ちを思えば否定することはできなかった。
咎人の子は等しく咎を負うのだと、だから悪党の子供も殺すべきだと主張するほどの嫌悪であった。
「……まあ、アイツの言ったことが正しかったんだけどなあ」
門柱に背を預けてしゃがみ、膝頭に頬杖をついて惟臣はぼんやりと呟いた。兄貴は共に中に入ることを望んだが、それだけは断固拒否し、門柱で待機することで溜飲を下げてもらった。
門柱待機を許可されたのは、ひとえに人通りが多いからだ。
今も惟臣を不審げに見下ろしながら、三十路くらいの女が門を跨ぎ、家屋へと進んでいく。程なくすれば「ごめんください」と声が聞こえ、しばらく経てば女は子供を連れて門まで戻ってくるだろう。失せ物、神隠しが増えたことで、学所まで親が送り迎えに来ているとは兄貴の言だ。
予想通り、少し低い女の声が「ごめんください」を告げ、惟臣は息を吐いた。
「子供嫌いが師匠とか……、やっぱり勘違いかもなあ。そもそもアイツ、学ねえし」
場所だけ貸しているのか、何にしても勘違いならそれでいい。
しかし、勘違いとも、場所貸しだけとも言い切れない節がある。昨夜遭遇した桃苑の旦那は、アイツの気配に相違なかった。声色が記憶のものよりいくぶんも冷たかったが、それでも最後にかけられた声は、まさしくアイツのものだった。
——お前は何を探しているんだ。
寂しげな声だった。あの夜に聞いた声だった。
あの時、自らが手を離してしまった時の声だった。
目に映る景色に影が差す。雲でも流れて来たのだろうか。薄暗くなった空間に、満開の桃の花の色が異様に浮く。薄紅から紅に、鬼灯のような鮮烈な赤へ変わっていく。
その色が嫌で、惟臣は足を抱えて、膝頭に額を押し付ける。ぎゅっと目を瞑れば、今度は雨音が近づいてきた。雨音が、降り頻る雨が草を荒屋の屋根を打ち、草を打つ。
寒い、寒い、鳥肌が立つ。吐く息が白くなる。
体を縮こませて、足を抱える腕に力を込める。
——トリミぃ……
「惟臣さん?」
蘇る声を押しのけて聞き慣れた、優しく落ち着いた女性の声が惟臣を現実に引き上げた。
つられるように顔を上げれば、まばゆい光の洪水が真っ先に目を刺激し、もう一度、ぎゅっと目を瞑る。
「その髪の色、唯臣さんよね? どうしたの? 具合が悪いの?」
ふんわりと頭に手を乗せられる。手のひらが薄く、指の細い女性の手。
面を上げれば世界には光と色が戻っていて、ややまろい頬の柔和な貌の女性が目に映る。華やかさはないが、垂れた目は出会った頃から変わらぬ愛情を称えていた。
「姐さん?」
「顔が真っ青よ。うちの
「兄貴は、佐助を迎えに行くって……」
惟臣が肩越しに門向こうの家屋を見やれば、姐さんも同じくそちらに目を向ける。
「そんなこと、今朝は言ってなかったのに」
姐さんは細眉を眉間に寄せる。
「桃苑の旦那にも、用があったから……」
惟臣はかち合いそうな歯を宥めながら短い言葉を紡いでいく。
有難いことに、姐さんは惟臣に言葉で合点がいったようだ。
「知らせに行った方がいいかしら……」
姐さんは惟臣の真横に移動して再びしゃがみ、今度は背中を撫で始める。視線は家屋を向いたままだ。
惟臣もまた家屋——そこに至るまでの短い桃の並木を見晴かす。そうすれば、また桃の紅が目を痛め、耳の奥で雨音が聞こえ出す。
あの氷雨の降る夜が迫ってくる。
「……ここで待っていれば戻ってくるかしらね」
姐さんは袂を一瞥すると、目を細くして、惟臣の背中を撫で続けてくれた。
そうこうしていると、足音が聞こえてきた。一つは大人のもの。もう一つは子供のもの。
「あれ、お伊音さん、斗良ちゃんもこんにちは、佐助さんのお迎え? でも佐吉さんもいらっしゃっているわよ」
それは、先ほど不審げな目で惟臣の横を通り過ぎていった三十路くらいの女性だった。女性が姐さんの背中にも声をかけているところを伺うに、佐助の妹の斗良を負っているのだろう。
「そうなの。仕事のついでに迎えに来たみたい」
「あら、それなら佐助さんを呼びに行った方がいいわ。真之助さんと仕事の話をしているのかしらね、佐助さんが飽きていたわよ。——そちらの方はお知り合い?」
再び不審げな目で見下ろされる。手負の獣よろしく、思わず睨み返してしまえば、女性の目付きも鋭くなった。
「うちの働き手よ。具合が悪いみたいなの」
姐さんがそう答えると、女性の目元が少し和らぎ、心配の色も乗る。まじまじと惟臣を見下ろし、眉尻を下げた。
「本当、顔色が悪いわね。気づかなくてごめんなさいね。ちょっと待って」
そう言うと、女性は大きく息を吸い込み、胸を張る。彼女の息子が密かに耳に手を当てた。
「佐助さーん! おっかさんが来てらっしゃるわよーッ‼︎」
咆哮が轟いた。木の門柱が音波に押されしなる。花弁がひらひらと雪のように散っている。小鳥が空へと羽ばたいた。花見客は一様に三十路の女性を目を丸くして見つめる。
惟臣の耳から雨音が追い出された。姐さんの「あらー」と言う朗らかな感嘆が耳をくすぐる。
女性が声を張り上げてすぐに子供が駆けてくる音がした。
「おっかあ!」
姐さんと同じくらい聞き馴染んだ甲高い男児の声が近づいて来る。
「やっと帰れる! おっとう、ぜんぜん動かないんだよ!」
姐さんに抱きつこうとした佐助は、背中に妹がいるのを認めて、姐さんの腕を掴むに留めた。
「おっとうはお仕事みたいよ。まだお話してたの?」
その問いかけに佐助は大きく頷く。
「なら先に帰ろうかしら」
「そうしたら? そっちのお兄さんも早く横にした方がいいわよ」
女性の提案に姐さんが同意を見せる。
姐さんの腕を離した佐助が、姐さんを回り込んで惟臣の前に立つ。
「いたのか、惟臣。どうした?」
佐助もしゃがんで下から惟臣を見上げてくる。
「いや、大丈夫……」
兄貴に似ている顔にから笑いを向ければ、首を傾げたきょとん顔で返される。
「ダメそうだぞ?」
無邪気にダメ出しをされ、子供にも通用しない自身の表情に自重する。
「ほら、早く帰りましょ。ちょっと待ってて」
佐助のダメ出しを受け、女性が再び気張る。彼女の子供がもう一度そろりち耳を塞ぐ。佐助も心得ているのか耳を塞いだ。姐さんは惟臣を思って巻き添えになる心積りか、諦めたように微笑んだ。
女性の体が力んだまさにその時、降って湧いた足音と一緒に、
「大声を出しなさんな」
兄貴が呆れたように制止をかけた。
「いやあ、もう一度花を散らせてほしいかもしれないな。花吹雪は嫌いじゃないんだ」
聞きたくない、会いたくない男を引く連れて、ようやく兄貴が戻ってきた。
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