櫛を失くした男 三

 松の旦那から前金をはずんでもらった兄貴は、惟臣に松の旦那を預け、自身は別の依頼へと向かってしまった。

 そんなわけで、惟臣は今、松の旦那と肩を並べて歩いているのである。

「佐吉さんはいなくなってしまいましたが、何でも屋も忙しいんでしょうか?」

「最近は探し人の依頼が多いな。今で四、五件はきてた気がする」

「ああ、神隠し事件ですか。うちの客にもいるんですよ」

「夜逃げじゃあないのか?」

 惟臣がくつくつと笑う。

「没落したお家はないと聞きますし、そんな家にうちは物は売りませんって」

 人を見る目はあるんです、と得意げに鼻を鳴らす。そして少し眉を下げて、申し訳なさそうに惟臣を見上げてくる。

「しかし、そんな忙しいときに赤おにさんを借りて、本当によかったんですかね」

 松の旦那は両手を腰の後ろに回わし、胸を張るようにして歩く。店先ではいつもそんな姿勢だから癖になっているのかもしれない。一際目立つようになった丸いお腹の上で、羽織紐のぼんぼんがある気に合わせて愉快に跳ねる。

 惟臣は頭の後ろで手を組んだ。

「大丈夫じゃないかな。奉行所とかも動いてるし。それに、顔の広い旦那と一緒にいれば、俺の探し物の手がかりも見つかりそうだ」

「そういえば、赤おにさんも何か探し物をして武陽に来たんでしたっけ?」

「そうそう。友達の形見の刀」

「あれま、それは一大事だ。私の知り合いの質屋に聞いてみましょうかね」

 松の旦那は丸い顎を撫でる。声色に本気が出ている。

「まだいいよ、松の旦那。必要になったら、ちゃんと金を払って頼むからさ」

 惟臣は片目をつむり、肩をひょいと上げた。

「そんな水臭いですって、赤おにさん。お金なんていただきませんよ」

 あなたと私のよしみじゃあないですか。言外にそう伝えてくる。

 松の旦那はもともと兄貴と懇意で、その伝手で惟臣も知り合った。惟臣くらいの歳の息子がいるらしいが、商売の修行だと家を出ているらしい。寂しさの反動なのか、惟臣を構いたがる。

 それは惟臣にとってありがたく面映ゆいのだが、向けられる善意を素直に受け止めるには、前世と言う存在が邪魔をしてくるのだ。

「ダメだぜ、旦那。そこはきっちりしねえと。じゃねえと、うちの店に来る金払いの悪い連中みたいのにたかれるぜ」

 自分たちは困っているのだから助けてくれと焦燥しきった顔でやって来る。なんとかしろよと無理をしいる。

 どいつもこいつも醜い顔で叫ぶのだ。惟臣はそんな人間の顔が苦手であるし、大嫌いである。

 ならばなぜ客商売をしているのか。そんなもの、佐吉の商売がそれであったからというほかにない。武陽に出たのはいいが、見た目のせいでどこも雇ってくれなかった惟臣を拾ってくれたのが佐吉であったのだ。惟臣の見た目も、接客態度も気にしない彼のところだからこそ居続けている、ただそれだけだった。

「赤おにさんは手厳しい」

 しかめっ面になっていた惟臣を見て、松の旦那は苦笑した。

 惟臣は松の旦那を見下ろしてにやりと笑う。

「そんなことはねえよ。商いには必要だろ? なのに兄貴はお人好しに依頼受けたり、値引きするからたかられる。今日の人探しだって前金無しときたもんだ」

 兄貴が惟臣に、松の旦那と一緒に行けと言ったのは、安請け合いした後ろめたさがあったのかもしれない。

 松の旦那は眉を八の字にして首を横に倒した。

「佐吉さんの良いところですが、悪い癖でもありますねえ」

「だろ? だから、俺が真面目ぇに金額分だけ働くんだ。そうすれば変な客は減っていく。姐さんだって、最近は金の回りが良いって喜んでたんだから」

 松の旦那が穏やかな笑い声をあげる。

「確かに、赤おにさんは支払った分に見合った仕事をしてくれる。そこは良いところだ。まあ、それ以上をしてくれないのは玉に瑕ですけど」

「商売に過剰労働はなしでしょ。追加料金をどーぞ」

「否定はしませんね」

 松の旦那はおかしそうに笑う。

 惟臣も一緒になって笑いながら、心は冬の夜のように冷えていく。

 恩だとか、情だとか、そんなもので動くべきではない。そんなもので動いてしまえば人はつけあがるもので、つけあがりはやがて傲慢になって、傲慢は無理を押し通すことを是とするものだ。

 その結末は悲惨なものだった。複数の人生を眺め、それらすべてが悲惨なものであったから学んだのだ。恩だの、情だの、不確かなものなどでもう動きはしない。動きたくない。

 だから金はいい。渡された金の分だけ仕事をすればいい。成功報酬よりも定額を示してくれればなおいい。

 人間なんぞそんな繋がりだけでいい。

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