女子高生とその担任を同居人にした話
水月康介
夏の章
第1話 同居に至る経緯 その1 女子高生・水渡七海
ワイパーをいくら動かしても視界が晴れないほどの、激しい雨だった。
車を降りてアパートへ入るわずかな間にも、雨は身体を濡らしていく。肩から背中までにかけて、ワイシャツがびしょぬれになってしまった。これが出勤時だったら労働意欲がガタ落ちになっているところだ。
服をはたいて水を落としながら階段を上がると、共用通路の奥に誰かがいた。
赤いリボンのついた半袖のシャツ。
短いスカート。
すらりと伸びる白い足。
黒光りのするローファー。
女子高生である。
彼女もまた雨に濡れてしまったのか、周りの通路には黒い染みが広がっている。
こんな場所で女子高生に声をかけるのは気が乗らなかったが、部屋の前に陣取られては素通りもできない。何よりその子の顔には見覚えがあった。
「……
あきらめて呼びかけると、仮面のようだった横顔がパッと明るくなる。
「あっ、副店長! やっと帰ってきた」
女子高生は笑顔をこちらに向けながら立ち上がった。濡れた黒髪の先端から水が滴り、白い頬を流れ落ちる。
女子高生の名前は水渡
「近くで遊んでたら急に雨が強くなってきて、歩きじゃ帰れないしどうしようかって困ってたところだったんです」
「それは災難だったね。……どうして私の部屋を知ってるんだい」
七海はこちらの問いに答えず、逆に聞き返してくる。
「副店長ってひとり暮らしですよね」
「ん? ああ、そうだね」
「独身ですよね」
「……あ、ああ、そうだね」
「恋人もいませんよね」
「…………今は仕事が恋人だね」
独身アラサー男性のささやかな強がりを無視して、七海はずいっとこちらに近づいてきた。両手を合わせて見つめてくる。身長差のせいで視線は上目づかいだ。
「じゃあ、あたしを部屋に泊めてください」
激しい雨音のなかでも、その〝お願い〟はかき消えることなく、はっきりと聞き取れた。僕はいちど視線を外して小さくため息をつき、再び七海と目を合わせる。
「ダメだ。帰りなさい」
きっぱりと断ると、七海は目を丸くして口元を押さえた。
「えっ、ウソ……、女子高生のお願いを断れるおじさんなんていないって聞いたのに……」
「それはどこ情報かな? あと、私はまだおじさんという呼ばれ方には抵抗のある年齢なんだけどね」
おじさんの震える声をスルーして、七海はすがるような上目遣いをする。
「お願いです、副店長。こんな雨じゃ帰れないし……」
「じゃあ家まで送るから――」
そのとき、ポケットのスマートフォンがけたたましい音を発した。七海のかばんからも同様の警報音が鳴っている。
取り出して画面を確認すると、案の定、緊急警報だった。市内全域に大雨洪水警報、避難指示がうんぬん、という内容である。
「こんなの出てますけど」
「むう……」
見上げた夕空は灰色の雲におおわれていた。切れ間はなく、雨は止むどころかむしろ強さを増している。加えて先ほどの警報だ。こころなしか雨音がさらに強くなってきた。さすがにこの豪雨のなかでの運転は危険すぎる。
あきらめてため息をつき、七海に向かって手を差し出した。
七海の表情が明るくなる。
「契約成立の握手ですね」
「違う。スマホを貸しなさい。親御さんにつないでから、私に代わるんだ」
「親に連絡するの? なんで?」
「こういう状況だからね、泊めるしかないだろう」
「ホントですか? よかった!」
七海は顔の前で両手を合わせ、その後、きょとんと首をかしげる。
「……でも、じゃあ、なんで?」
「まず報告を入れないといけない。大雨で帰れなくなっているお子さんを預かっています、とね」
「はあ」
七海は生返事をする。
「それから、あくまで緊急避難措置として、こちらでひと晩だけ面倒を見ますが、よろしいでしょうか、という相談もしないとね」
いわゆる報告・連絡・相談である。社会人の常識であると同時に、こちら側にやましいことはないという潔白のアピールも兼ねている。
「別に、そんな面倒くさいことしなくても……。黙ってれば分かりっこないのに」
「親御さんが心配するだろう」
「ウチの親なら大丈夫ですよ。子供がどこで何をしていようが――ナニをしていようが、気にしませんから」
七海はニヤリと意味深に笑う。こちらを揺さぶろうとしているのが見え見えの冗談だが、僕は動揺よりもむしろ、その強がりに痛々しさを感じてしまう。
「未成年の女の子を部屋に泊めるんだ。親の許可がなければ法に触れてしまう」
「こっちがいいって言ってるのに?」
「大人と子供の間で交わされた合意に、世間様は正当性を認めてはくれないよ。口先で丸め込まれたと思われるのが関の山さ」
「……あたしはまだ未成年だけど、でも、子供じゃないです」
余裕ぶった笑顔をくもらせ、七海は口をとがらせた。
そういう発言が子供なんだよ、と胸中で苦笑しつつ反論する。
「君の言い分はわかった。だが、こちらも譲るつもりはない。親御さんに連絡して許可を得るのは、絶対に必要な条件なんだ」
七海が自分を子供だと認めなくとも、こちらは彼女の
「……わかりましたよ。どうせ意味ないと思うけど」
七海は投げやりに言いながらスマートフォンを操作して、こちらへ差し出してくる。それを受け取り耳元にあてて、待つこと十数秒。緊張がうすれて、思わずあくびが出てしまうほど長く続いた呼び出し音のあと、ようやく通話がつながった。
『もしもし~、七海ちゃん? どうしたのぉ~』
娘からかかってきたと思っているためか、電話口の声には緊張感がない。先方をなるべく驚かせないよう、静かに話を切り出した。
「夜分に申し訳ありません」
『え? ええ? あら、男の人?』
「わたくし、水渡七海さんの上司で、副店長をしております、長谷川と申します。実は……」
そうして、ひととおり現状を説明したのだが、
『はあ……、そっちはそんなことになってたんですかぁ』
七海の母の返事は軽く、まるで深刻さがない。こちらの話がきちんと伝わっているのだろうか。不安を感じつつも、それを表に出さないよう、ていねいに説明を続ける。
「親御さんとしては、年頃の娘さんを男性のところへ預けるのは不安だと思いますので、こちらで付近の女性従業員に話をつけて、七海さんを泊めてもらえないかどうか、確認を――」
『そこまでしなくても大丈夫ですよぉ、七海ちゃんがいいと言ってるなら、それで』
「は?」
『ええと、長谷川さん、でしたっけ。七海ちゃんをよろしくお願いしますねぇ』
「え? ああ、はい、
通話は切れてしまった。
ツー、ツー、という不通音が耳元でむなしく響く。
年頃の娘が、一回りも年上の男の部屋に泊まるというのに、母親の態度はあまりにもあっさりしすぎていた。
画面に写る『お母さん』の文字をじっと見つめていたが、再び電話がかかってくることはなく、やがて待ち受けの画像に切り替わってしまう。
「だから言ったのに」
僕の手からスマートフォンを抜き取って、七海は白けた口調で言った。
そして、にっ、と口元を上げて、挑発するような笑顔を見せる。
「それじゃあ、親の許しも出たことだし、お願いしますね、副店長」
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