第17話 万引き少女

 副店長の業務のひとつに、万引き犯への対応というものがある。

 店の売り上げに直接の関係はないくせに、精神的な疲労感はトップクラスの、非常にやっかいな仕事だ。気持ちの切り替えに時間がかかり、その後の作業効率も低下するため、結果として残業も増える。


 ここ数日は七海のおかげで充実した朝食を食べることができて、気持ちにもゆとりを持てるようになっていた。それでも一気にマイナスへ感情が落ち込んでしまうほどに『万引き発生』の報は僕をうんざりさせる。


 大げさと思われるかもしれない。

 しかし、頭に〝軽〟がつくとはいえ、犯罪者との対面はそのくらい精神的にこたえるものなのだ。


 万引き犯の態度は様々である。

 きちんと代金を払うつもりだったと主張する者。

 濡れ衣だと怒りをあらわにする者。

 ひたすら謝罪を繰り返して逃れようとする者。

 何の反応も示さない者。


 そこへさらに年齢層や性別の違いも加わり、万引き犯はまさに十人十色、千差万別のリアクションを見せる。


 今日の相手は女子高生だった。


 扉を半開きにした事務室。

 直に対応するのは僕だが、相手が女性ということで同じ女性従業員の榊原にも同席してもらっている。


 相手の個人情報や、盗ろうとした商品の一覧などが記された報告書を流し見てから、正面のパイプ椅子に座る女の子に声をかける。


三ツ森みつもり青葉あおばさん」


「ん」


 三ツ森青葉は気だるげにうなずいた。


 万引きが見つかった中高生というのは普通、その態度におびえの色が混ざるものだ。侮られないようにと虚勢を張る子でも、未成年だから大した罪にはなるまいと楽観している子でも、そこは同じ。こちらへ向けられる瞳には、顔色をうかがうような警戒心が見え隠れする。


 しかし、目の前の女子高生にはそれがなかった。

 皆無ではないが、かなり薄い。

 自分がこれからどうなるのか、ということに興味のないタイプだろうか。


「もうすぐ警察が来るから、それまで待っていてください」


「ほーい」


「当店から親御さんや学校への連絡はしないので、あとは向こうでやってください」


「ほーい」


 三ッ森は適当な返事を繰り返していたが、話が終わると首をかしげた。


「……え、それだけ?」


「ああ、そうそう。いちど万引きをした人は当店へ立ち入り禁止の措置を取らせてもらうので、ご了承ください」


「……それだけ?」


「他に何かあったっけ」


 僕は後ろに立つ榊原主任を振り返って声をかける。

 榊原は腕組みをしたまま仏頂面で、


「ない」


「……だそうです」


「はあ」


「三ツ森さんは何が物足りないと感じているんですか」


 逆に質問すると、女子高生は不愉快そうに顔をしかめた。


「別に物足りないとかじゃないけど。ほら、なんかあるっしょ、どうしてこんなことをしたんだーとか、親が悲しむぞーとか」


「つまり説教はしないのかと」


 話を端的にまとめると、女子高生は舌打ちして目を逸らした。


 そんなことを気にするということは、彼女は今までにも万引きをして、捕まった経験があるのだろう。そして、大人たちからあれやこれやと注意を受けた。


 なるほど、それならこういう態度になってしまうのも無理はない。


「説教というのは娯楽ですからね」


「え? ゴラク?」


「相手の都合を考えず、安全圏から一方的に自分の主張を投げつけて、悦に浸る行為のことです。勤務時間中の娯楽は禁じられているので、そういうことはできません」


「はあ」


 女子高生は毒気の抜けた、ぽかんとした顔つきになる。


 とりあえず時間つぶしにはなっただろうか。


 内線の通知を榊原が取って、警察官が来てくれたことを告げた。

 いつもおつとめご苦労様です本当に、と心の中でつぶやく。

 僕のような軟弱な心身ではとても務まらない職務である。


「ねえおじさん」


 女子高生がぽつりと言った。

 もうすぐ身柄を引き取られる緊張からか、その声は今までよりも弱々しい。


「……なんですか」


「ここに水渡七海ってバイトがいるっしょ。あいつが密告チクったの?」


「いいえ」


 僕は即座に嘘をつく。

 三ツ森青葉を捕まえたのは偶然ではない。


 数日前、七海と三ツ森が店内で話をしていた。

 僕はそれを隣の通路で立ち聞きしていたのだ。


 その内容から、三ツ森青葉に万引き常習の疑いありと見て、監視員に彼女の特徴を伝え、チェックしてもらうように頼んでいた。


 だから、七海が密告をしたわけではないが、七海がきっかけで捕まったのは間違いない。まあ、そのあたりの小細工は伝える必要のないことだ。


「水渡さんとは知り合いですか?」


「中学の同級生ってだけ」


「――友達が働いてると知っていて、この店で万引きをした?」


「……っ、だったら何」


 しかめ面の女子高生に問い返されて、答えを用意できていない自分に気づく。


 だったらなんだというのだろう。


 うちの子を悲しませることはするな、とでも言うつもりだったのだろうか。


 沈黙が不自然になるよりも先に、複数の足音が近づいてきた。

 僕は席を立って警察に事情を説明する。

 その間ずっと、三ツ森の視線を背中に感じていた。



  ◆◇◆◇◆◇◆◇



 三ツ森青葉が警官たちに連れられて裏口から店を出ていく。それを見送って、対応してくれた監視員に礼を言い、ようやく一連の問題が片付くと、榊原主任に背後から呼びかけられた。


「長谷川、さっきの何」


「さっきのって?」


「『説教というのは娯楽ですからね』とかキメ顔で言っといて、速攻で万引き少女に説教かまそうとしてた忘れっぽい副店長に聞いてんの」


「辛辣だなあ」


「水渡、何かトラブルに巻き込まれてる?」


「いや、それは知らない」


 僕は呼吸をするように嘘をついた。


「じゃあなんで怒ってたんだ」


「怒ってた? 僕が?」


「ドスの利いた声で敬語も忘れて、さっきの子もビビってただろ」


「ビビってたかな? おじさんの小言に顔をしかめてただけなんじゃ」


 首をかしげると、榊原は「はっ」と短くため息をついた。呆れているような、小馬鹿にしているような。


「あれはそういうんじゃないよ。目の前でニコニコしてた大人が急に怒るからびっくりして、でもそれを悟られたくないから難しい顔をしてごまかしたんだ」


「へえ」


 さすがは、日々たくさんのお客様と接しているレジ主任だ。見事な観察眼にただただ感心するしかない。


「……万引きの罪を今さらどうこう言うつもりはないよ。ただ、友達がバイトしている店を選んでそれをやるというのは、犯罪以前の問題として、いびつな悪意を感じてしまって、私もちょっと、冷静さを欠いたかもしれない」


「それは、悪意を向けられたのが水渡だったから?」


「私は全従業員を公平に扱っているつもりだけど、若い女の子は無意識のうちに贔屓ひいきしてしまってるかもしれないなぁイタ


 ローキックを放った直後とは思えない姿勢の良さで榊原は話を続ける。


「水渡はどうする?」

「なるべく伏せておきたいところだけど……」


 スネをさすりながら応じるが、残念ながらその願望は叶わない。

 事務室から出ると、七海が心細そうにぽつんと突っ立っていた。


「……水渡」


「水渡さん」


 大人二人がそろって、どう話したものかと迷っていると、七海が先に口を開いた。


「あの、副店長、さっきのって……」

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