第4話 同居に至る経緯 その4 担任と教え子
「水渡さんは一学期末で転校しているのよ」
古井河は淡々と告げた。
「だから確かに、わたしは今現在この子の担任じゃないし、それ以前にもう
「……転校?」
と僕は繰り返す。わけがわからなかった。七海は夏休みに入ってからもアルバイトを続けていたからだ。となると――
「転校先は、そんなに遠くないところなのか?」
尋ねるが、七海は黙り込んだままだ。
「隣の県よ」
と古井河が代わりに答える。
「引越しはもう済んでいて、親御さんもそちらへ移っているわ。今まで住んでいた部屋は引き払っているのに、水渡さんは友達の家を渡り歩いて、まだこちらに残っている」
昨日の、七海の母親との電話を思い出す。
大雨のせいで出歩くのは危険だから部屋へ泊める、という旨を伝えたら、返ってきたのは『そっちはそんなことになってたんですか』という、気の抜けるような言葉だった。
親子なのにまるで他人事ではないかと、そのときは憤ったものだが、あの反応の鈍さは親子関係の良い悪い以前に、物理的な距離も理由だったのだろう。
「申し訳ないが、私の部屋を宿代わりにすることはもうできないよ」
「……わかってます」
七海は古井河にちらりと恨みがましい視線を向ける。
「他に行く当てはあるのかい」
「友達の家に――」
「それが駄目だったから、バイト先の副店長、しかも男性なんていうリスキーな相手を頼ったんでしょう?」
古井河の指摘に、七海は押し黙った。
図星だったのだろう。
今日だけではなく昨日も、大雨など関係なしに元から泊まる当てがなくて、最後の手段として僕を頼ってきたのではないか。そう考えると、彼女の境遇には少し同情してしまう。
「ねえ水渡さん、どうしてまだこちらに残っているの? 何か理由があるんでしょう?」
七海は先ほどまでの責めるような口調から一転して、おだやかに問いかける。やさしい先生と評判なのだろうなと、彼女の教師っぷりが想像できる声だった。
しかし、七海の返事は素っ気ない。
「だから、古井河
「でも、お友達や長谷川君のところが駄目だったら、どこに泊まるつもり? ホテル? ネットカフェ? お金はあるの?」
立て続けに問い詰められて、うっとうしそうに眉をひそめていた七海だが、やがて、ふっとその表情が一変した。軽薄な笑みを張り付けて口元をつり上げる。
「知らないおじさんにお願いしたら助けてくれるんじゃないですか?」
「――水渡さん!」
古井河が声を張り上げる。
そこには
だが、心配される側というのは、その貴重さになかなか気づかないものだ。
「夏休みが終わるまでにはこの街からいなくなるから、もう放っといてください」
七海は鞄から出して床に置いていた荷物を片づけはじめる。そっちが出ていかないならこっちが出ていく、ということらしい。
さすがに未成年を二日続けて泊めるつもりはないが、強がっている未成年をなんのフォローもせずに放りだすのも寝覚めが悪い。
従業員の間でおこったイザコザを幾度となく収拾してきた、副店長という肩書きのクッション――その
「――つまり、宿が必要なのは夏休みの間だけというわけだ」
二人の注目が集まったのを確かめてから話を続ける。
「だったら、私から知り合いに声をかけてみよう。何日か、水渡さんを泊めてくれないかって。大丈夫、ウチの従業員だから、君も知っている相手だ。……もちろん、親御さんの許可が下りるのが大前提だが」
どうかな? と視線で問いかける。
七海の瞳は揺れていた。
古井河への反抗心よりも、僕への疑問が強まっている。なぜ自分に救いの手を差し伸べようとするのか、理由がわからず、しかし、その手を取るべきかどうか迷い始めている。そういう表情だった。
古井河の瞳もまた揺れていた。
元教え子に対して打つ手はないが、放っておくことは決してできない。それなら行動が把握できる僕の提案に乗るのも有りだろうかと悩み始めている。そういう表情だった。
「じゃあ、それで――」
「――それなら、こうしましょう」
同意しようとした七海の言葉を、古井河がさえぎった。
「水渡さんはわたしの部屋に泊まりなさい」
「はぁ?」
七海が今どきの女子高生らしい雑な声を上げる。偏見だろうか。
「いくら同じ職場といっても、赤の他人でしょう。それだったらまだ、元担任のわたしの方が関わりは深いわ」
「いや、そんなの――」
「確かに一理ある」
と僕も同意する。
「ちょ、副店長?」
「それに私の方は、これから頼んでみるところだからね。まだ泊めてくれると決まったわけじゃない。不確かな相手よりも、目の前にはっきり請け負ってくれる人がいるんだから、そちらを頼りなさい」
「決まりね」
「そんなこと勝手に――」
反発する声は弱々しくなる。
七海もわかってはいるのだ。
バイト先の同僚よりは、元担任教師の方が、まだ気楽に迷惑をかけられる。相手側から名乗り出てくれているのだから、なおのことだ。
はあ、と七海はため息をつく。
女子高生が折れた瞬間だった。
これからどうするか話し合うために、古井河と目を合わせようとした、そのとき。ふいに電子音が鳴り響いた。
僕と七海の視線が動くが、古井河の反応は薄い。
「古井河の電話だろう」
「今はいいでしょ」
そうは言うものの、呼び出し音はなかなか鳴りやまない。途切れたと思ったら再び鳴り始めるあたり、緊急の要件なのかもしれない。
3度目が鳴り始めると、古井河はバッグからスマートフォンを取り出し、「ちょっと外すわ」と断って外へ出ていった。
二人きりになると、七海は険しかった表情をふっとゆるめた。
こちらをからかうイタズラっぽい笑みを浮かべ、上目遣いで見つめてくる。
「さっきから気になってたんですけど、副店長とセンセって、どういう関係なんですか?」
「ん?」
「お互いの呼び方。「長谷川君」に「古井河」って、なーんか距離感近くないですか?」
「ただの元同級生だよ」
「ホントですかぁ~?」
「楽しそうだね。古井河の家でアルバムを見せてもらえばいい」
「持ってないんですか」
「過去は置いてきたのさ」
「あ、ごめんなさい……、いい記憶ばかりじゃないですよね……」
冗談半分だったのだが、七海は本気で申し訳なさそうな顔になる。
「ともかく、向こうが引き受けてくれてよかったよ。こちらの心当たりは、あまりアテにならなかったからね」
「えっ、じゃあ駄目だったらどうするつもりだったんですか」
「ああいう風に言えば、古井河はたぶん自分から引き受けてくれると思っていた。彼女の性格や責任感を考えれば、そう悪い賭けじゃない」
もっとも、恋人と同棲中、などという事情であればどうしようもなかったが。
「……勢い任せで無茶言うなーと思ったら、計算づくだったんですか」
「かなり大雑把だけどね」
「副店長って、狡猾ですね」
七海がいたずらっぽく口元を上げる。宿なしの状況が解消されそうな安心感もあるのだろう。表情が豊かになるのはいいことだ。
「あまり威力の高い言葉を使うものじゃないよ。せめて頭脳派とか」
「センセ、遅いですね、なに話してるのかな」
たしなめる僕をスルーして、七海は入口へ近づき、そっとドアを開けようとする。
が、ドアは逆に外側から勢いよく開かれ、七海は慌てて後ずさった。
「わっ、びっくりした……」
戻ってきた古井河の顔色は青ざめていた。
「ごめんなさい、さっきの話、ちょっと無理かもしれない……」
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