第3話 同居に至る経緯 その3 水渡ふたたび
馬車馬のごとく働いてクタクタになったアラサー男性がアパートへ帰ると、昨日と同じ場所で水渡七海が待っていた。
「あっ、副店長。おかえりなさい」
「ただいま」
疲労で注意力が散漫になっていたせいか、うっかり家族のような返事をしてしまった。表情を引き締めて、静かに問いかける。
「……また、来たんだね」
「いやー、たまたまこのあたりで遊んでいたら、いつの間にかとっぷり日が暮れちゃって、家まで帰るのも面倒だなーって」
七海は悪びれることなくごまかし笑いを浮かべると、あれこれ聞かれたくないのか、逆にこちらへ質問を投げてくる。
「今までお仕事だったんですか?」
「そうだよ」
「副店長っていつもあたしがバイト入る前から仕事してるし、あたしより先に帰ってるところも見たことない……。ウチの店ってまさかブラッ――」
「立ち話もなんだし、入りなさい」
「えっ? いいんですか?」
「ああ」
うなずいてカギを開ける。
本当は全然よくないのだが、ここで断って彼女を外へ放り出すわけにはいかない。
まったく。
何がたまたまだ。
思い返せば昨日もそうだった。
彼女の荷物の量は、明らかに宿泊用ではないか。
「うんしょ、っと」
七海は両手で重そうにバッグを持って部屋に上がり込む。
その背に向けて、胸中で「悪いね」とつぶやいた。
昼間の、古井河とのやり取りを思い出す――
◆◇◆◇◆◇◆◇
「実は昨日、ひと晩だけ泊めたんだ」
この手の話は隠すからこじれるのだ。最初から誠心誠意、正直に話していれば問題にはならない。そう信じて真正面から打ち明けた。
「えっ? 誰が」
「僕が」
「……誰を」
「だから、水渡さんを」
「水渡さんを、長谷川君の部屋に、泊めたの?」
「ああ」
「未成年の女の子を、アラサー男性の部屋に、招き入れたの?」
「……ハイ」
古井河の瞳から光彩が消えた。無表情のまま見つめられること数秒、彼女は静かにハンドバッグからスマートフォンを取り出した。
「まさか同級生を通報する日が来るなんて」
「その前に話を聞いてほしい」
古井河は数歩うしろに下がった。逆上した僕が襲い掛かってきても逃げられるよう距離を取ったのだろうか。犯罪者を相手にしているような、その対応がつらい。
「虚偽の発言は止めてね? 法廷で不利になるだけだから」
気を遣われているように聞こえないでもないが、その中身は「無駄な抵抗はよせ」に等しい。彼女は僕をいっさい信用していないようだった。しかし、こちらに反発的な者を相手にするのは職業柄、慣れている。
七海がアパートの戸口で待っていたところから、順を追ってていねいに説明していくと、古井河の態度は少しずつ軟化していった。
「……ふーん? そういう事情なら、仕方がないのかもしれないわね」
「理解してもらえて助かるよ」
「もちろん、あの子の話を聞かないと判断はできないわよ」
「わかってる。水渡さんがまた僕の部屋へ来たら、すぐに連絡するよ」
◆◇◆◇◆◇◆◇
数時間前にそういう約束をしていたのだ。
まさか、こんなに早くにその約束が果たされるとは思わなかったが。
七海を部屋に入れてから十分ほどが過ぎたころ、間延びしたチャイムの音が室内に響いた。
腰を上げて戸口へ向かうと、スマートフォンをつついていた七海が声をかけてくる。
「お客さん……、じゃないですよね、こんな時間に。通販ですか? あ~、もしかして、お店じゃ恥ずかしくて買えないような、いかがわしいブツなんじゃ――」
七海の楽しげなセリフは、来客の姿を目にしたとたん、ぱたりと途切れた。
「こんばんは、水渡さん」
「――古井河先生? え? なんで?」
七海は目を丸くして、僕と古井河を交互に見やる。
「先生は君を心配して、店まで様子を見に来てくれたんだよ」
手短に説明すると、七海は数秒ほど口を半開きにしていたが、やがて、
「そっか」
とあきらめたようなため息をついた。
「あたし、厄介払いされたんですね。今日はやけにあっさり入れてくれて、あれ? って思ったけど、でも、人のいい副店長なら、そういうこともあるかなって、うっかり信じちゃいました」
「水渡さん、そういう言い方は良くないわ」
「先生面しないでよ。あたしたち、もう、赤の他人なのに」
「……うん? それは、どういう意味だい?」
傍観者に徹するつもりだったが、聞き捨てならない内容に、うっかり口をはさんでしまう。
普通に考えれば、担任ではなくなったという意味なのだろう。しかし、七海の言い方からは、それ以上に強い拒絶を感じた。そもそも今はまだ夏だ。クラス替えの時期ではない。
七海は、余計なことをしゃべってしまった、とばかりに顔をしかめる。
「……わたしが説明するわ」
古井河が一歩、前に出る。
そして、無言を貫く教え子に代わって口を開いた。
「水渡さんは一学期末で転校しているのよ」
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