第2話 同居に至る経緯 その2 女教師・古井河愛佳


 昨夜は何事も起こらなかった。

 七海にはベッドを明け渡し、僕はソファで眠った。

 もちろん部屋だって別々だ。

 朝はこちらの出勤する時間に合せて、一緒にアパートを出た。


 やましいことは全くない一夜だったのだが、世間はそれで納得しないだろう。


 ――女子高生を部屋に泊めたけど、何もしなかったんだよ。指一本触れていない。本当だぜ、信じてくれよ。


 仮に旧友がそんなことをのたまったとしたら、僕は彼の肩にそっと手を置いて、自首を勧めるだろう。潔白を信じる要素が皆無だ。


 おかげでその日の仕事は、今ひとつ身が入らなかった。


 周りの人々が自分を『女子高生を部屋に招き入れた犯罪者』と噂しているように感じてしまう。時間をおいて冷静になってみると、他に選択肢のない状況だったとはいえ、我ながら思い切ったことをしたものだ。


 七海は「誰にもしゃべりませんよ」と軽い調子で言っていたが、その言葉を鵜呑うのみにはできない。あらゆる隠しごとは、発生した瞬間に発覚する危険性をはらんでいる。


 そして、アラサー副店長が女子高生のバイトに手を出したというネタは、いかにも大衆が好みそうな下世話でわかりやすいスキャンダルだ。


 真面目に職務に打ち込んでコツコツと築き上げてきたイメージが、ひと晩の過ちで崩壊してしまうのか。こちらは善意でやったことなのだが、そこには誰も見向きしないだろう。噂において重要なのは面白いかどうかであり、コトの真偽は関係ない。下手をすれば善悪さえも。


 そんな風にあれこれ思い悩んでいたせいで、


『――副店長、副店長、至急バックヤードまで。繰り返します――』


 ただの呼び出しの店内放送にさえ、びくりと肩を震わせてしまう。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 バックヤードへ引っ込むと、そこには放送をかけた女性社員の榊原さかきはら主任と、もう一人、スーツ姿の女性が待っていた。どこかのメーカーの営業だろうか、と思いつつ近寄っていく。


「長谷川、学校の先生だって。ウチの学生アルバイトのことで話があるって」


 榊原が短く用件を告げて立ち去ると、スーツ姿の女性が口を開く。


「初めまして。伯鳴高校の古井河です。本日は……」


 言葉を途切れさせ、マジマジとこちらを見つめてくる。


「……長谷川君?」

古井河こいかわ


 と僕も応じる。

 彼女はかつての高校の同級生、古井河愛佳あいかだった。


 卒業したのはもうずいぶん前だが、それ以来の感動の再会、というわけではない。前々回の同窓会で顔を合わせていたし、お互いの職業も知っている。さすがに勤務している場所までは把握していなかったが。


 こちらが知り合いだとわかると、仕事モードで張り詰めていた表情がほころび、古井河は一歩、距離を詰めてきた。ただ歩いただけなのに、空間が色づくような華がある。相変わらず美人だ。


 軽いウエーブのかかったセミロングの髪。整った目鼻立ちに、すらりとした面長な頬のラインは、しかし大きな瞳のおかげでキツそうな印象はなく、むしろ親しみやすい愛嬌あいきょうがある。が、それと同時に、口元のつやぼくろがワンポイントとなって、簡単に手を出すのがためらわれるお高さ・・・も備えている。


 通りすがりの男性従業員たちが、彼女をちらちら盗み見ていくのも無理はない。


「そっか、ここで働いてたんだ。副店長かぁ……、出世してるじゃん」


「しがない中間管理職だよ」


「昔の知り合いと仕事中に会うのって、なんか変な感じ」


「普通は仕事のあとか休日だからね」


 古井河の脱線はまだ続きそうだった。高校時代はとくべつ親しかったわけではないし、今現在もそれほど会話が弾むような間柄ではない。少なくともこちらはそう思っていたのだが、彼女の方は話し足りない様子だ。


 しかし今はお互い仕事中の身である。


「……それで、今日はなんの用件で?」


 あからさまに話の流れを打ち切ると、古井河はハッと表情を引き締める。そして周囲に素早く視線を巡らせた。


 その仕草で察する。

 どうやら、あまり他人には聞かせたくない話のようだ。

 古井河を事務所へと案内し、ドアを閉めた。


「話というのは、こちらでアルバイトをしている水渡七海さんについてよ」


 僕は表情を無にした。


「――あの子なら勤務態度も真面目だし下手な新入社員よりもよほど真剣に仕事をしているよそこは上司として保証する。愛想がよくてお客様からの評判も上々であの子のレジに好んで並ぶ人もいるくらいだ。下心のある男性だけじゃなく女性客も多いよ歳の離れた娘か孫を見ているような感覚なんだろうね」


「長谷川君? どうしたの、そんな息ぎの少ないしゃべり方して」


「気のせいだよ」


「ふーん? まあいいけど」


 いきなりタイムリーな人物の名前を出されて動揺してしまったが、もう大丈夫だ。冷静に、こちらから話を戻す。


「その水渡さんがどうしたって?」


「バイトの勤務態度はきちんとしているらしいけど、こちらの相談は私生活の乱れについてよ」


「それは穏やかじゃないね」


 シンプルに同調すると、古井河は困ったように眉を寄せた。


「夏休みになったのをいいことに、家へ帰らず友達の家を泊まり歩いているという話を耳にはさんだのよ。学校の知り合いだけじゃなく、バイト先でそういう噂はないかと思って、話を聞きに来たの」


「嘘やん……」


「うそやん?」


「いやなんでもないよ」


 シンプルに否定すると、古井河は首をかしげつつも話を続ける。


「友達の家に泊まるといっても、高校生はほとんど実家住まいでしょう? 友達の親の目が気になって、長居はしづらいと思うの」


「その点、バイト先の知り合いなら年上が多いから、ひとり暮らしも珍しくない、と」


「ええ、それに、女子高生に泊めてくれと頼まれたら、喜んで受け入れる男性もいるでしょうから」


「男には下心があるからねえ」


「性的なトラブルに巻き込まれる可能性が高いと思うのは、偏見かしら」


「いや」


「長谷川君?」


 歯切れの悪さが気になったのか、古井河は再び首をかしげる。

 ここで不自然な態度を見せるのはよろしくない。小さくうなずき、話を続けた。


「わかるよ。いい歳をした大人が女子高生を部屋に泊めるなんて、社会的に許されることじゃないからね」


 意見に同意したはずなのに、古井河はなぜか眉をひそめて、こちらへ一歩踏み込んでくる。距離が近い。思わず背をのけぞらせる。


「……何」


「大丈夫? やけに汗が多いけど、具合悪いんじゃないの?」


「ああ、そういうこと」


 古井河はこちらの体調を心配してくれただけのようだ。彼女は高校時代から、性別問わず他者との距離が近かった。


「この部屋ちょっと暑いね。設定温度下げるよ」


 言いつつ回れ右をして、壁に備え付けのリモコンを操作する。

 小さな液晶パネルに映り込むのは、苦悩にゆがむ、いい歳をした大人の顔。


 簡単に状況を確認してみよう。


 現時点で、七海を泊めたことはバレていない。一夜限りの出来事であるし、これから先も、七海が何も言わない限り、発覚することはないはずだ。


 しかし、七海の抱える問題を聞いてしまったあとで、自分は無関係だと知らん顔をするのは、彼女の上司として、それ以前にひとりの大人として、正しい態度とはとても言えない。未成年の女の子を部屋に泊めるよりもアウトであろう。


 古井河の言うように、万が一、七海が事件に巻き込まれてしまったときは、報告をしなかった僕に責任問題が飛び火する恐れもある。


 それに、隠し事というのはひどくストレスがたまるものだ。


「……仕方ないか」


 結論は出た。

 僕は腹を決めて、元同級生に向き直る。

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