第11話 三人ぐらし初日 湯あがりガール(?)ズトーク
お風呂から上がって、脱衣所を出てリビングへ。
強めの冷房の涼しい空気が、火照った肌に心地よい。
だけどそれだけでは足りなくて、あたしは扇風機の前に立って風を浴びた。あ~、って声を出して自分の声がブレブレになるのを聞きたい気分だったけど、残念ながらこの家の扇風機には羽根がなかった。
「それじゃあ最後は私だね」
副店長が立ち上がって、あたしと入れ替わりで脱衣所へ入っていく。
「JKの残り湯、
「そういう小悪魔気取りのセリフはよしなさい」
自分用に買っておいたコーヒー牛乳をがぶ飲みしてから、ソファに座ってだらりと足を伸ばす。身体の力を抜いて、ソファに沈み込むような感覚。
オーディオセットの大きなスピーカーからはずっと音楽が流れている。普段はスマホのイヤホンでしか音楽を聴かないあたしだけど、こういう聞き方も意外といいかもって思う。耳だけじゃなくて肌でも音楽を聴いているみたいだ。歌声に包まれている感じがするというか。
「長谷川君は今お風呂?」
古井河先生が様子をうかがうようにやってきて、あたしの隣に座った。
「隣、いいかしら」
「座ってから聞かれても」
こっちの返しを先生は笑いでにごした。
そのまま無言の数分がすぎて、曲がひとつ終わる。
何しに来たんだろ。
副店長がいなくなるのを待ってたみたいなタイミングだったけど。
先生と二人きりだと、何を話していいかわからなくなる。
副店長相手だと、適当な話題で流せるんだけど、先生相手だとそうはいかない。あたしを叱ったり指導する立場の人なので、どんな話も説教につながってしまうんじゃないかって、いちいち警戒してしまうのだ。
せっかくの音楽に集中できなくなって、つい、テレビのリモコンに手が伸びそうになる。オーディオの音も下げないと、
「音量はそのままにしておいて」
先生があたしより先にリモコンを押さえた。
「なんで?」
「せっかくお風呂場の音が聞こえないボリュームになってるんだから」
「え? ……あっ」
先生に言われて初めて、副店長の気遣いに気づいた。
オーディオを大音量にしたのは、あたしがお風呂に入っているときの音が聞こえないようにっていう配慮だったんだ。
「気を使ってくれてたんだ、副店長」
「どうかしら。わたしは予防線だと思うけど。聞き耳を立ててないっていう証拠にしたいのよ」
「センセ、考え方が意地悪い」
「満員電車にときどきいる、吊り革を両手で持ってる男の人と同じよ」
「チカンしてませんアピール?」
「慎重よねぇ。長谷川君らしいけど」
先生は呆れたような口調で言うが、その口元は優しげにゆるんでいる。
……なんか、意外な態度。
副店長とは同級生らしいけど、接点はあまりなかったとも言っていた。そんな程度のクラスメイトについて語るにしては、なんていうか、こう……。
「センセと副店長って、学生時代どんなだったの」
「長谷川君は何か言ってた?」
「ほとんど接点はなかったって」
「そんな感じよ」
「嘘っぽい」
「どうして?」
「そんな程度の関係の異性と、同じ部屋に住むとは思えないけど」
「じゃあ水渡さんはどうなの? 副店長のことは」
「あたしは……、副店長を利用してるだけ。他にアテもないし……」
「あらまあ悪女的」
先生は手のひらで唇を隠してニヤニヤと笑う。口元のほくろが色っぽい。
「……センセは少なくとも、あたしよりは、選択肢がたくさんあると思うけど」
そう返したら、先生は肩をすくめた。
「あるように見えるだけよ。いくら手を挙げられたって、その手を取りたくない相手ばかりなら意味がないわ。だから、お互いしばらく、長谷川君のやさしさに乗っかっておきましょ」
「そっちのがよっぽど悪女じゃん……」
「でも、ひとつ、わたしからの忠告」
急に声のトーンが下がって、あたしは思わず先生を凝視した。
「……何」
「あまり踏み込み過ぎないこと」
「別に踏み込んでなんか」
「さっき水渡さん、食器の数のこと聞こうとしてたでしょ。独身にしては部屋が多いとか、それなのに食器は一人分と少ししかない、とか。そういうこと、考えなかった?」
「そりゃ、まあ……」
「そういう疑問を口に出したら、この三人ぐらしはバランスを崩してしまうわ。ひと夏限りと割り切って、好き勝手にやるのも、個人の自由とは思うけど、子供扱いされたくないなら、遠慮と尊重を覚えた方がいいわ」
子供扱い。
今のあたしにとって、それは一番、神経を逆なでされる対応だ。
「……こんなときに説教とか」
「そりゃ教師ですし?」
古井河先生は語尾を上げる。
「教師だから、あたしと副店長を二人きりにするのは良くないと思ったから、だからこの三人ぐらしにつきあってくれてるの?」
「それだけが理由じゃないけどね」
両指をからめて腕を上へ伸ばす先生。んっ、と声がこぼれる。色っぽい。あとその仕草は胸がやたらと強調される。野暮ったいジャージのくせに、なんてチート胸。
「このアパートが学校に近くてけっこう便利なこととか、長谷川君と旧知だったこととか、引越し時期じゃないから良い部屋がなかなか見つからないこととか……、まあ、いろいろあるのよ」
ふぅ、と腕を下ろした先生は、だらしなくソファへ背中を預ける。
いろいろあると言って、実際、いろいろな理由をしゃべったくせに、肝心なことは語ってくれていない気がする。
「複雑で面倒くさい社会の中じゃ、たった一つの理由だけでは、動き出すにはパワーが足りないのよ」
「そんなことないと思うけど」
「そう? パワフルな理由、何か思い当たるの?」
「例えば、恋、とか」
口に出して、それが耳に届いて、自分の発言を自覚して、焦る。
あたしは何を言ってるんだろう。
自分が今、誰かに恋をしているわけではない。
それは断言できる。
単に、この訳知り顔の、あたしにはないものをたくさん持っている古井河愛佳の、大人ぶった持論を否定したかっただけだ。
先生の言ってることはたぶん正しいけど、それを認めてしまうのは嫌だった。
この対抗心がどこから来るのかはわからないけど、だからって。
……よりにもよって、恋とか。
男性ボーカルの声に紛れて聞こえてなければいいのに、そう願って隣を見ても、先生はニマニマと面白がるように口元を歪めていた。
「ねえセンセ、クーラーついてても、その格好、ちょっと暑くないですか」
あたしは長袖長ズボンの野暮ったいジャージを指さす。
「……だ、大丈夫よ、このくらい」
先生の声は、心なしか硬かった。
ああ、やっぱり。攻めるならここしかなさそうだ。
あたしはそれなりに自信がある足をテーブルの上ですらりと伸ばして、上目遣いにセンセを見た。
「歳をとると肌を見せるのが怖くなるってホント?」
先生の顔が引きつるのをあたしは見逃さなかった。
してやったりと溜飲が下がるのと同時に、少し虚しくもなる。誰でも持っていて、いずれ失うものでしか、あたしはこの人と勝負できない事実に。
◆◇◆◇◆◇◆◇
風呂から上がると、七海はソファで眠っていた。
慣れない環境に風呂上がり、流れているのがしっとりとしたバラードとくれば、睡魔に襲われるのも無理はない。
そして、教え子の隣では、元担任が缶ビールをかたむけて喉を鳴らしていた。
風呂上がりの一杯。夕食で焼酎を
「……何よ」
「いや、何も」
ちらりとテーブルを見るが、結露した水滴はついていない。おそらく七海が寝たあとで飲み始めたのだろう。一応、飲酒しているところを見せないよう、気を遣ってはいるらしい。
「ねえ、長谷川君、ちょっと来て」
コン、と空になった缶をテーブルに置いて、古井河が立ち上がる。
「どうしたの」
「大人同士のひ・み・つ、の話があるの」
口調で冗談だとわかっていても、つい彼女の口元の艶ぼくろに目が行ってしまう。
「酔ってるの?」
「シュレディンガーの
「……おお」
それを持ち出されては逃げられない。
七海の反撃だろうか、と彼女の寝顔を見つめると、心なしか口元が得意げに上がっているように見えた。
もっとも。
本題はそれではなかった。
古井河の部屋へ連行されて、そこで伝えられた話というのは、確かに、七海本人には聞かせられない内容だった。
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